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#13.一緒に孤独に/Avicii - Lonely Together (ft. Rita Ora)

おはようございます。8月がスタートしました。台風が近づいていて、連日の蒸し暑さに悩まされています。夏なので暑いのはしかたないけど、湿気だけは本当にどうにかならないかなと、最近ではいつも思っています。乾燥剤を全身に巻き付けるしかないですね。


「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」というのは、トルストイの書いた『アンナ・カレーニナ』の有名な出だしですね。

幸福はどの家庭でも似たり寄ったりのものだけれど、不幸の種類はそれぞれの家族ごとに千差万別、いろんなバリエーションがあることを表す一文です。

家庭に限らず、幸福というイメージにはそれほどバリエーションがないような気がします。お金や食べ物に困らない、健康である、周囲に理解ある人ばかりいる、仕事も趣味も充実している、そういった条件すべてに満たされていて、何かを思い悩むことはない……。

そんなふうに、人間が生きる上での問題なんてなく、何もかもが満たされていて、ゆえに何かを思い悩むことがない人なんて本当にいるのかなという気もしますが。

とにかく、幸福は単純だけれど、不幸は複雑とでも言いますか、人はそれぞれ異なる不幸を背負っている。たとえば、お金や仕事がない、不健康である、何かに依存している、仕事が向いてない、周囲の人間関係に恵まれない……。

そんなふうに何かひとつでも深刻に思い悩むことがあれば、自分がそれほど幸福だとは思えない、だから不幸を抱え込んでいるように感じる、みたいな。

あるいは、他人からは幸福に見えても、本人にとっては不幸を感じていることだってありそうです。たとえば、友達がたくさんいることは幸福のように思えるけど、友達の多さゆえに複雑な人間関係に煩わされて頭を悩ませるからけっきょく不幸を感じる、みたいな。

孤独というのも不幸のバリエーションのひとつですね。しかも、ひと口に孤独と言っても、やっぱり不幸のようにさまざまなバリエーションがあるのではないかと、わたしは思っています。

家族に恵まれない、友人が少ない、恋人と別れた、上司や同僚とうまくいかない、先輩後輩関係が鬱陶しい、クラスに親しい人がいない、自分を理解してくれる人がいない、などなど。孤独もその種類や中身は人それぞれに千差万別。

だから、孤独を抱える者同士が一緒にいても、その孤独が癒やされるかどうかはわからない。孤独の種類が異なれば、個々人が抱える悩みだって違うし。確実に孤独が癒やされるわけではなさそうだという雰囲気が漂います。

ということで、AviciiとRita Oraの"Lonely Together"。このタイトルを直訳すると「一緒に孤独になろう」みたいなことになりますかね。さらには「一緒になっても、けっきょく孤独になるのはわかっている」みたいな予感まで含んでいるようにも思えます。

Avicii - Lonely Together ft. Rita Ora

この曲の主人公は、ある人のことが熱烈に好きで一緒にいたいと望んでいて、その望みが叶って一緒になったとしてもけっきょくは孤独になってしまうのはわかっている。それでも、その人のことを求めている、みたいな感情を抱いている。

ひょっとすると、この曲の主人公は思いを寄せる人にはすでに配偶者や恋人がいるのかもしれない。だから叶わない恋だとわかっているけれど、心ではその人を求めている、みたいな。

この曲の主人公は「あなたはワインに潜む毒みたいで、私はワインボトルの底で自分を嫌いになるかもしれない」と、この曲の中で予感しています。自分が望んでワインを飲んだから、その毒の中で孤独に自己嫌悪に陥るという最悪な状況です。

自己嫌悪に陥ることがわかっているのに、あなたを熱烈に求めている。そのこと自体もまた孤独で苦しい状態です。その上、相手にはすでに配偶者や恋人がいる、みたいな状況なら誰にも相談できないし、それはそれでまた孤独を感じることでもある。

だからこそ「一緒に孤独になってほしい」という意味なら、けっこう相手にそれなりの覚悟を迫っているようにも聞こえますが、なかなか相手も「じゃあ、一緒に孤独になろう」とはならないよね。

ここまで書いて気づいたんだけど、夏目漱石の『それから』とか『門』は、そういう話でしたね。まさに配偶者のいた人と一緒に孤独になる話。これらの作品もまたある種の孤独を描く作品ですね。夏休みの読書にいかがでしょう。あまり夏向けの話でもないですが。


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