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【はかせ日記】21/3/25 (前編)「うしろをふり向く必要はない。 あなたの前には、 いくらでも道があるのだから」(魯迅)末っ子 の小学校卒業式に感涙。さらば!!ランドセル!!

博士の悪童日記 2021年3月25日(木曜日・前半)


4自販機(笑)➡4時半起床。

なんでこんな誤変換になるのだ。
怒りで目が覚める。

昨日の日記を書く。
タイトルは、
「高円寺散歩12時間」だ。

書いていて、
この今の下半身の痛みの原因がわかる。
しかも、靴ずれが
24時間不快感を伴っている。

が、自分を魔法にかけている。

芭蕉だ!芭蕉だ!芭蕉になるのだ!

いや、芭蕉以外でも誰でも良い。
毎日を歩き回った人ならば。
伊能忠敬でも。

そう言えば、伊能忠敬が測量のため、
歩き始めるのは55歳だ。

己が伊能忠敬だと思い込む魔法をかければ、
歩くことが当たり前に思える。

今日の名言──。

うしろをふり向く必要はない。
あなたの前には、
いくらでも道があるのだから。

   魯迅(中国思想家・1881〜1936)

この言葉にピンとくることは今までなかった。
魯迅に教えられることが今までなかった、
とも言えるが、
58歳にして初めて魯迅にピントが合った。

「老いては子に従え」ではないが、
子を通じて教えられることがある、
ということだ。

それは数時間後の話になるが……。

今日、改めて知ったが、
魯迅は55歳で没している。
30〜40ではないが、
現代では50代は「早逝」と言って良い。

昨日の柔道・古賀稔彦、
53歳の早逝にも大いに感じることがある。

もうボクも何時死んでも不思議ではないのだ。

しかし、既に魯迅より
長く生きているのだから、
今からでも前途洋々と思うべし。

ボクのほうが小説ではない、
リアルな「狂人日記」なのだから。

7時過ぎ食卓へ。

ママの今日のお弁当。

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料理は勿論だが、
絵で言えば額縁になる
「曲げわっぱ」がとても良いなー。

昔、殿のANNで
『秋田・大館名物・曲げわっぱ!』
と初めて聴いた時、
意味がわからなかったのが、
こんなに毎日、
お世話になるとは思いもしなかった。

10代の頃は「曲げわっぱ!」は「ゲロッパ!」
と変わらぬ、謎の呪文だった。

そして、50歳の時、
NHKラジオ『すっぴん!』の冒頭、
「お弁当ガーデン」コーナーで、
ボクが『秋田・大館名物・曲げわっぱ!』
を殿を真似て連呼するようになり、
最終的には浅草『柴田慶信商店』へ出向いて、
この「曲げわっぱ」を買ったのだ。

末っ子が見たこともない正装をしている。

そうだ!!!
今日は末っ子の小学校の卒業式だ。

ボクも急いで正装に着替えるが、
やはりズボンの前のホックが閉まらない。

玄関で末っ子を見送る時に、
「ランドセルはやめて!」
「パパ、うんこは漏らさないでよ!」

とキツく申し渡される。

12歳の小学校6年生児に、
何故、58歳の小学52年生児が、
ここまで強く言われるのか。

それは自業自得だ。

長くボクのSNSのアイコンは
ボクが背負うランドセル姿だった。

見たことがある人もいるだろう。

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そして、12年前に遡る、
2010年の4月6日だ。

長男の入学式にボクがランドセル姿で出席して、
驚かせたのは良いが、
そのときに、リアルにうんこを漏らして、
途中退席を余儀なくされたのだ。

その後、娘の入学式も、末っ子の入学式も、
それぞれの卒業式にも、ボクはランドセル姿を通した。

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幼児の頃はサプライズを喜んでいてくれたが、
思春期の彼等、彼女等は、
もう、父のお巫山戯は苦い想い出であり、
恥ずかしい、としか感じられないのだ。

今日も最後まで迷ったがランドセル姿は断念した。

小学52年生児でも成長はあるのだ。

「パパがはしゃいでいても、
人が嫌がることがあるのはわかって!」

と、ママに言われるのが、
最近、やっとわかってきた。

末っ子に遅れて30分。
9時に、末っ子の学び舎へ。

一昨年、小学校と中学校が統合された新校舎に、
ボクは初めて入った。

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何もかも施設は新しいのに、
何故か郷愁に駆られる。

4Fの式場のママの後ろの最後尾に座って卒業式を待つ。

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そして始まった。

コロナ禍なので式は簡略化されている。

卒業生の入場の時から、
末っ子の初めて見るダブダブのスーツ姿に、
すぐに涙腺が決壊する。

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もちろん、この時期にあらゆる卒業式で
この親バカ性の涙腺決壊事故は
同時多発しているのだ。

6年前からのことが走馬灯のように頭をよぎる。

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名前を呼ばれて末っ子が壇上へ。

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あらゆる様式化された礼節が、
小学校の卒業式には整然と正しく「ある」。

コロナ禍で「歌」や「踊り」や
「来賓の演説」などなど、
過剰包装の「祭り」の要素を
シンプルにしているので
余計に抽出された
儀式の持つ「美しさ」が際立つ。

大人が用意したことに
反発するものも、まだいない。
無邪気で無垢そのものだ。

「夜の校舎窓ガラス壊して回る」
ような狼藉者は、まだいないのだから。

しかし、これでもう最後だ。
その経験を3回経た
ボクとママにとっても。

そして、卒業生答辞で
卒業生一同が並ぶなか、
末っ子が中央に登壇すると、
答辞を朗々と読んだ。

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うっすらと答辞を読むことは
聞いていたのだが、
家で練習する素振りも無かったので、
ボクは完全に初見だった。

ウットリと聞き入り、
噛みそうになると、
まるで我がことのように
ハラハラとした。

誇らしくもあり、こそばゆい感覚。

そのなかで、末っ子が魯迅の一節を引いていたのだ。

うしろをふり向く必要はない。
あなたの前には、
いくらでも道があるのだから。

もはや還暦前の老人であり、
百瀬博教さんと同じく、
「想い出に節度のない」、
過去偏執狂でもあるボクなので、
この発言は耳に痛い。

しかし、
その言葉は、ボクのような老兵にさえ、
「前途洋々」とも聞こえるべきだ。

式が終わり、廊下に張り出された、
都知事の祝辞。

そして子どもたちの『決意の言葉』を見る。

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へー。
起業家になりたいのか……。

末っ子は、長男や娘と比べると、
ボクが最も「親ばか」になっていない。

3人目なので、
旅やキャンプや団欒の親子写真も一番少ない。

そこは今も申し訳ない気持ちを引き摺る。

一時、園子温に感化されて、
育児を完全に捨てて、
「非道に生きる」ブームがあった。

その分、
母親や姉、兄からの
愛情はたっぷり受けている。

しかし、今年コロナ禍で迎えた
中学受験に於いて、
自分の意志でストイックに
勉強に取り組み、
その一生懸命な姿は小野家全体に
良い影響を与えた。

「努力」の意味を年上の家族全員に
気づかさせてくれた。

なによりボクの長い沈黙から、
覚醒させる契機をくれたのは彼だ。

彼がボクと別人格であることを
ボクが自覚して、
良き人生を!!と切に思う。

親御さん、卒業生、在校生が校庭へ。
ボクは初めて見る芝生だ。

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5年生が作ったゲートを潜り式は終了。

ここから三々五々の撮影会が延々と。

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あまりにも感傷的になるので、
子どもたちを撮るフリをして、
ずっと自撮りをしていた。

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NHK『あさイチ』で共演したことのある某氏が、
偶然にもパパ友であることを初めて知る。
お互い照れながらパパトーク。

校門の前で記念写真。

歩いて高円寺の山形料理の名店『まら』へ行き、
3人で礼服をきたまま
『肉中華 あたたかいの』をすする。

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ママは11年間に渡る小学生の母、
という大役が今日で終わる。
毎朝、早起きして、
笑顔で子どもたちを送り出した。

感慨深いことだろう。

ママ、お疲れさまでした。

明日からも、
中学生と高校生の母親業は続く。
父親業も、今もなお無責任ながら続く。

ボクはラーメンに、
あえてミニ「親子丼」を付ける。

「食べすぎよ!」とママに言われるけど、
言えば「それ親爺ギャグだから……」
と一笑に付されるけど。


ここは行動で韻を踏むんだ。

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我が家の最後の小学生と「親子丼」を囲んだ。

さらば! ランドセル !!

しかし、卒業式に浸っている場合じゃない!!
今日はこれからが忙しいのだ。

                     後編へつづく。

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