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【はかせ日記】21/3/9「見るまえに跳べ」=「a leap of faith」〜たけしイズムの本質とは?〜

博士の悪童日記 2021年3月29日(月曜日・前編)

5時半起床。
今日はたっぷり眠っていたのだな。
昨晩の深酒のせいかも。
さぁ、朝を取り返そうぜ!

昨日の日記を書く。
タイトルは『一歩前へ出ようぜ!』
それは19歳の相棒(玉袋)の台詞だった。

さて、この言葉を英語で言い換えれば、
「a leap of faith」だ。

こんなことは全部、
町山智浩さんから教わった。

今日の名言──。
「a leap of faith」だ。

例えば日経ビジネススクールでは、
この言葉の解説に、
こんなふうに書いてある。

これを英語では「a leap of faith」と言います。
直訳では「確信のジャンプ」とわかりにくいですが、
意味するところは
「結果が不確実でも、出来ると信じてやること」と、
オックスフォード大辞典にあります。

つまり「思いきった決断」。
take a leap of faithに
すれば「思いきって決断する」
と、動きのある表現になります。
イギリスのEU離脱も
アメリカのトランプ大統領選出も、
両国国民のleap of faith。
こう考えると、ジャーナリスティックには
「大きな賭け」とも訳せるフレーズですね。

町山智浩さんは、映画の解説で、
この言葉の解釈を頻出させているが、
最近の印象的なものを言えば、
「テネット」評でも引用している。

「見る前に跳べ」
は、たけしイズムに直結するワードだ。

本来は、大江健三郎の小説のタイトルだが、
もっと原点に帰れば、そのもとは 
20世紀イギリスの詩人W.H.オーデンの
“Leap before you look”
という詩からの引用だ。

さらに言えば,
この言い回しは英語のことわざ
“Look before you leap”
(転ばぬ先の杖)のもじりだ。

ビートたけしのシングル曲の
タイトルでもある、

この言葉が、ビートたけし関連に
初めて現れるのは、
ビートたけしの小説
『あのひと『(1986年・飛鳥新社)
のあとがきに書かれてからだ。

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 (文庫本は新潮社から)

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見るまえに跳べ
   ──あとがきにかえて

大江健三郎の初期の短編小説に
『見るまえに跳べ』という作品がある。
学生時代に読んだから内容については
あらかた忘れてしまっているが、
題名だけは鮮烈な印象となって
いまも強く残っている。

見るまえに跳べ、好きなことばだ。

昔から何度となくそのことばを口に出して
いってみたことがある。
そして、いうだけでなく、
俺はそのことば通りに
生きてきたような気がする。
小説家でもなく学者でもない俺にとって、
見る前に跳べ、は観念上の問題ではなく、
生き方そのものだったと思う。

子供のころときから、
なにか思い立ったときに
すぐさま行動しなければ
なにもできない性格だった。
少しでも時間を置いて
あれこれ考えていると、
必ず頭の中でブレーキがかかり、
行動するのをやめてしまったものだ。

そんな自分の生理が嫌だったから、
思ったことはすぐに実行する癖が
できたのではないだろうか。
見るまえに跳べ
ということばに感動したのも
そうした自分だったからだろう。

大学を中退したときも、
辞めようと思った
その日のうちに
スッパリ辞めてしまった。
一日あいだを置いて酒でも飲みながら
いろいろと考えていたら、
とても辞められなかっただろう。
最近でも、例えば、
コンサートをやろうと思ったら
その場で日取りや会場を
決めてしまうことにしている。
やることを決定しておいてから、
さてなにをやるのか、
あれこれ思い悩むという順番だ。
コンサートに耐えうる
立派なものを作って、
それからコンサートをやる
などと思っていたら、
永遠になにもできないことになる。
とにかく、まずやってしまう、
そしてあとから考える
というのが昔からの
俺のパターンなのだ。
やってしまえば、
どうにか格好はつくものだ。
その意味では俺の人生は
いままでのところ、
“フォローの人生”だったのかもしれない。

もちろん失敗もある。
大学を中退して間もない頃、
金を貯めて外国に行き、
通訳になろうと思ったことがある。
で、すぐにタクシー運転手になった。
金を稼ぐためだ。
結局、金が溜まるまで
時間がかかりすぎるので
途中でいやになってしまったけれど、
いちおう通訳になるという
夢に向かって
ステップは刻んだのだった。
これまでに俺は
いろんなことをやってきたと
自分でも思う。
成功したとはいえないけれど、
他人に、
「オレはいろいろなものに手をつけた。
 やるだけはやった」
と言い切る自信はある。
持続力は無いかもしれないが、
飛び出しのエネルギーだけは
他人に負けないものが
あるような気がする。
それは一種のスポーツ感覚
なのかもしれない。

俺の廻りにはなぜか
運動神経のいいやつばかりが
集まってくる。
ラッシャー板前は
柔道部のキャプテンだったし、
大森はバレーボール、
井手や足が早くて野球は天才的。
東はインターハイ出場組だし、
古田は空手とラクビー、
タカは運動神経のかたまりだし、
大阪はああ見えてもサッカーのCF、
みんなスポーツのセンスがいい。

スポーツは理屈じゃない。
理屈はやっぱりあとからつけるものだ。
だから、自分の生理や感覚で
人一倍強いものがあったら、
その力の命じるままに
動いてかまわないと思う。
最低限のモラルを持ってさせいれば
どんどん走ればいい。

もちろん、
大量テロとかのヘンな方向に
「見るまえに跳べ」
だったら困るけども。
テロするなら、
自分の内なるテロにならないといけない。

この初めての小説集は、
30代の後半になって
俺が見えるまえに跳んでみた
ひとつの結果だ。
小説を書くことも
俺にとっては
一種のスポーツなのだと思う。
楽しいスポーツを見るような感じで、
この本を読んでもらえたら、
ちょっとうれしい。

今更ながら、
あまりにも興味深く、
全文を引用してしまった。

この本を読み終えた後、
この言葉が、ボクを撃ち抜き、
そして、
ボクの行動の引き金を弾いた。

ボクは長すぎるモラトリアムに
区切りを付けた!

23歳のとき!

「暗闇に確信的なジャンプ」
=take a leap of faith
をしたのだ。

本格的に弟子志願をはじめた。

58歳の今でも思う。

人は言葉でぶっ飛ぶ!!

長くなったので、この日の日記の前編にする。

          つづきは後編で。





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