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バーチャル死体安置室

VTuber, Virtual Streamer, バーチャルYouTuber, バーチャルタレント、バーチャルライバーの人をこの文章では「バーチャル」のひとくくりとします。以後、Vなどの略称も用いながら、彼らの魂と肉体について、死体という喩えを用いながら私の見解を述べてみたいと思います。
あまり優れた文章書きとは言えないので、書き殴っているなあと思いながら読んでください。

私は普段、Vをよく見ているほうだと思います。2017年の「この白い部屋から逃れられない」のキズナアイさんのスクショをmemeとして知り、にゃるらさんや小林銅蟲さんを経由して2017年末のバーチャルカンブリア大爆発とでもいうような「個人勢」の勃興から個人的にドハマりして、雑誌ユリイカのバーチャルYouTuber特集は発売日に手に入れました。
それから、デレステとプリパラという趣味を手放した2018年の春、にじさんじを好きになりました。

そこから私の人生は大きく変わりました。
毎日誰かが新しいコンテンツを生み出していて、消費しきれないほどで、しかも私は初めての上京で大学一年生。忙しくてとても楽しくて、気づいたらあっという間に夏休み。にじさんじのファンが集まるイベントがあったら、もしかしたら、私のハマってる人に私の容姿が見られるかもしれないと思い、ちっぽけな可能性を原動力に髪を染めて実家から持ってきた部屋着のような服を見直して美容皮膚科に行き顔面で目立つ直径4mm以上のほくろをメスで切開し除去しました。

東京にいるのだから、もしかしたらどこかの道でにじさんじの憧れの彼らに会っているのかもしれない。このライブイベントに彼らの誰かがいるかもしれない。それだけで、憂鬱な東京の狭い空は全く気にならなくなり、自分に自信をつけるためにやりたいことにどんどんチャレンジしていくようになりました。
勧めていたヘアケア用品を使い、香水やコスメを真似て、動画編集も覚え、二次創作も始め、視聴者参加型にも入り、ありえないほど楽しかったのを覚えています。

その楽しさと同時進行で、私はバーチャルの彼らをどうまなざせばいいか、常に問われている気持ちになりました。それが私の書く二次創作の特徴、つまりバーチャルとは結局どういうものなのか、につながっているのかもしれません。

おなえ組(鈴木勝・出雲霞・卯月コウ)のストーリー(劇場型配信)の中でも鈴木勝くんの配信をよく見ていた頃、あまりにハマりすぎて大学の友達に葛藤を相談して困らせてしまったことがあります。
本編は勝くんのチャンネルに再生リストとして残っているので、参照してください。
簡潔にまとめると、
鈴木勝の物語は2018年の初配信から始まります。

  • 「にじさんじシステム」により、本来生きていた世界線とは別のこの世界に鈴木勝は飛ばされてきた。これはおなえ組全員に共通するバックグラウンド。

  • 鈴木勝は「天才イケメンバーチャルライバー漆黒の捕食者すなわちダークネスイーターこと、鈴木勝」である

  • 鈴木勝は中学生の男子であり、バーチャル中学生として演劇部と塾の合間を縫って配信をしている

  • たまに意図せず配信が始まり、彼がバーチャルライバーになるまでの軌跡をリアルタイムのライブ配信で追うことができる

  • コメントはリアルタイムで鈴木勝の物語=彼の人生に干渉できる

それが終わりを迎えたのが、2019年の4/1になる直前の配信。鈴木勝の物語がそこで終わり、現在のみんながよく知る可愛らしいかっこいい鈴木勝の姿になります。

どこに惹かれたかというと、彼はどこまで意図して「バーチャル」を「やっている」のか、という点でした。

にじさんじといえば当時、バーチャルの世界観を壊す怪獣のような存在だったと私は思っています。女子高生の月ノ美兎はビールの味を知っていて、卯月コウは大学の食堂でシャカパチしながら「自分、神の宣告いいすか?」と言ってるやつとは付き合わないほうがいいとアドバイスします。(これはおなえ組のストーリーを追うと少し事情が分かりますし、彼は中学生を「やって」います)

2018年3月に高校二年生でデビューした剣持刀也は2018年4月になっても高校二年生。いやそれは「バーチャル」だろ、と思うかもしれませんが、個人勢時代(にじさんじより個人勢のほうが知名度が上回っていたころ)にはそれにはこういう理由があるものだ、という定義づけ、世界観の構築、人間とキャラクターの分離が今よりずっと重視されていました。
だから、「まるで生身の人間が配信しているかのように面白いのに、二次元の姿の男子高校生のお喋りやふとした瞬間の人間らしさがあった剣持刀也」は「個人勢の世界観重視の完成された理想の姿を映す動画」とは対局の存在で、彼はどんな思いでそんなにも「モアナと伝説の海」を熱く語るのか、なぜそんなに深い考え方ができるのか、男性が不利だった時代にどうしてこんなに精力的に活動するのか、彼のパーソナリティを知りたくて、バーチャルなのに、リアルを求めて、そういう視聴者は私だけではなくて……そしてどんどんにじさんじの「バーチャルライバー」の形が完成されていきました。

その中で鈴木勝の物語は異質でした。パーソナリティを知りたくても、彼の中で噛み砕かれて話される彼の生活は、朝起きて登校して部活では演劇部の部長をしていて塾で配信が遅れることもあって……。彼の中で完成された鈴木勝以上のことはなかなか見えてきませんでした。

ところが、2019年の1月に彼はゆったりと雑談をする配信をします。同期(にじさんじSEEDs1期生)とコラボしたいけど、上手く誘えない……といった葛藤。これは、ただ男子中学生として生活している「完成された鈴木勝」からすこしだけずれたところにいる鈴木勝でした。
その配信では少しずつ本音の気持ちを話したりしていて、オタクの私は「同期てぇてぇ」目的で見ていたのですがあまりにも「鈴木勝」の完成された姿からずれた部分が愛おしく感じられ、またそれが彼の意図的に隠していたはずの「人間らしさ」であることに気づくのでした。
(この件について詳細を伏せながら別ジャンルにハマってる友達に相談し、素晴らしい助言をもらったことはとてもありがたいことと思っています。この場を借りて謝辞とさせていただきます)

ここでいったん休憩。よくあるQ&Aコーナーです。

Q.RP(ロールプレイ)とは
A.Vにおいてはキャラクターを「演じる」こと。鈴木勝はある時期まで自分の枠ではRPを貫き通し、ある時期から少しずつ「演じている」という印象が減ってきたように思います。

Q.劇場型配信とは
A.配信そのものが配信者によって作られた演劇の舞台で、配信ソフトの操作から言葉選び、世界観、リスナーのコメントも含めて全て演劇の一部として配信するもの。

Q.中の人と魂は同じもの?
A.これから詳しく話していきます。休憩おわり。

鈴木勝の物語については本編を観るのが一番よいです。一旦、鈴木勝さんについてこれ以上の言及は避けます。

よく、V界隈では魂や中の人という言い方をします。着ぐるみの中にいる人。バイトの募集求人を見たことがありますが、身長が150cmより低い人募集、などでした。交代している現場を見たことがありますが、圧倒的に女性が多いです。

それはあたかも、バーチャルの彼らに着ぐるみでいうところの布や芯材に該当する部分があり、それを被って活動するのが「バーチャル」なのだと言わんばかりです。よく知らない人に説明するなら、こういうのが手っ取り早いのもよく分かります。では、私は熱狂的にバーチャルを追いかけているとき、誰をみているでしょうか。それは、誰でもありません。強いて言えば、バーチャルです。バーチャルさんを見ています。

ゆるキャラのショーを思い浮かべてください。パチ。旅行先で知らないゆるキャラの写真を撮りました。SNSに投稿する時、初めて出会ったゆるキャラの名前を出して、そのキャラがどんな振る舞いをしていたのかを思い浮かべながら、投稿するでしょう。

では、これがピーナッツくんならどうでしょうか。ピーナッツくんには「きぐるみ」があります。ライブイベントでも登場しているため、見たことがある人は多いでしょう。ライブを楽しんだことがある人なら誰でも、舞台の上のピーナッツくんをみて、ピーナッツくんに熱狂すると同時に、激しく動く成人男性のシルエットもまた思い浮かんでしまうのが性ではないでしょうか。

ピーナッツくんはにじさんじと同じ時期に現れたバーチャル界の怪獣の双翼を担う存在でした。ぽんぽこさんの配信をサポートする「兄ぽこさん」のことを、よく知るみなさんは分かっていると思います。
ピーナッツくんのアニメは2017年から作られていて、にじさんじが流行ってきた頃にピーナッツくんもバーチャルの仲間入りをします。そこで私たち視聴者は、ピーナッツくんというキャラクターと、ピーナッツくんが「ご主人様」と呼ぶ「ピーナッツくんのアニメを作った人」、そして「兄ぽこさん」の存在を頭の中で撹乱させ、そうだ、彼らはバーチャルなのだ。と納得します。
アニメだけだったピーナッツくんは「キャラクター」でしたが、生配信をスタートしてコメントの流れに圧倒されながら配信をやりきる「ピーナッツくん」は「バーチャル」、しかもにじさんじ寄りの「バーチャルだけどリアリティが面白い」キャラクターになっていきます。そして、兄ぽこさんについてはピーナッツくんが「ご主人様」と定義している以上、同一視はできない構図になっています。
しかし、ステージの上でバーチャルの界隈に痛烈なパンチラインを浴びせるヒップホップの覇者のピーナッツくんが着ぐるみで客席を煽る時、その音源やlyricに思いを馳せる時、成人男性のシルエットが一瞬よぎり、それでもSNSの感想投稿は「ピーナッツくんのライブよかった!」になります。
少し複雑ですね。
それぞれの存在は肯定しているけれど、ピーナッツくんは5才で、でも耳掃除専門店ですごい量の耳垢を掃除してもらっていて、その皮膚もカメラに映っています。

長く書いたのでまた休憩を挟みましょう。

Q.ピーナッツくんの魂が兄ぽこなんでしょ?
A.≠です。本人の発言を参照して下さい。

Q.Vの前世が有名すぎて隠してない人は魂や中の人がいると言っていいんでしょ?
A.Vによってその答えは変わると思います。V自身がそこをはっきりと定義しないと、ファンも曖昧に認識するしかないので、ごちゃ混ぜに考えるしかなくなります。定義というのは言うだけではダメで、Vの人生を選んだその瞬間から世の中に忘れられるその日まで、ずっと定義は根気よく続けないと意味がありません。あとで詳しく書きます。

Q.魂も中の人もいて当たり前で、それを見ないふりしてあげるのがVTuberなんでしょ?卒業しても魂は生きてるんでしょ?
A.「中の人」についてはVによってかなり解釈の幅があり、個人的にとても飲み込んで考えるのが苦しい部分です。そう思うきっかけになる出来事が今までに数多くあって、だからこの記事を書いています。

つらくなってきました。本題です。導入が長すぎる。

にじさんじは2019年の春から急に新人ライバーを短期間に同期ユニットという形でデビューさせ続けていきました。
私は剣持刀也の配信を追うのでいっぱいいっぱいでそれで満足だったので、あまり新人デビューと聞いてもすぐ初配信を見に行く気力はありませんでした。
というか、私が初配信をリアルタイムで見たことがあるのは、HIKAKINさんのバーチャルデビューの時だけです。それだけです。

なぜかというと、デビューしてすぐにガッカリしたくなかったから。

若者にありがちなタイパ思考で、面白いと評価されているものを見にいきたかったので、委員長(月ノ美兎)に辿り着いたのも小林銅蟲さんが面白がっていたからだし、そもそもバーチャルにハマったのもにゃるらさんやその周辺のオタクがバーチャルの畜生発言をスクショして画像ツイートしていたからでした。
剣持刀也も、月ノ美兎にハマっていった人がよく見ていたという理由でYouTubeのオススメ欄に黄緑色の背景の動画がとてもたくさん再生されていて面白かったからハマっています。勝くんは詳しく覚えていなくて申し訳ないのですが、ハマったのはもう少し後で、コウが初期に咎人のBLの話をしているという風の噂(ファンアート、感想ツイート)からまんまとハマり、そこからコラボ相手の勝くんへハマったという流れです。

初配信でモタモタする人はびっくりするほど少なくなり、話し方も初期と比べて堂々としている人が増えていきました。もちろん最初からあどけなさがある人もたくさんいました。

ここからは名前をどんどん伏せていくのですが、それはVのことを考えてというより私個人の考えによるものなので、できるかぎりご理解いただきたいです。推察させたいわけではないので、濁している部分も沢山あります。

かなり初期にデビューしたあるライバーは、ある日の配信で「デビューする時に運営から今運用しているSNSのアカウントを全部削除するように言われたからその通りにした」と言っていました。他の人も消しているのを見かけました。デビューのときに「運用しているアカウント」は分かりやすく言えば「前世」です。にじさんじからデビューする前の、履歴書の部分。
もしそこが、とても一部の界隈で有名で人気があっても、消すように指導があったライバーがいたというのは事実です。一人だけではありませんでした。永久鍵になって、FF数も変動がなくなった人もいました。彼らは本当に、前世の名義を使うのをやめたのです。(分かる範囲でそう信じることしかできませんが)

本当に、この人たちに関しては「前世」という言葉が合います。もう戻れない前の世。
前世占いでウサギですと言われたら、じゃあ俺はウサギとしての人生もあるのだなとはならないでしょう。前世がウサギでも、今のあなたはウサギには戻れません。そういうのを前世というのでしょう。
私は前世が……何の動物にしようかな、えっと、考えてなかったな……ウサギだから次は干支でヘビにしましょうか。大ファンのヘビがいました。ヘビはバイバイと言いどこかへ逃げたきりでした。しばらくしてある日偶然、前世がヘビのバーチャルに出会いました。にじさんじではなく、別の場所にいました。バーチャルとして、ヘビである自分の生まれ持ったものはそのままに、もうヘビには決して戻らないで、夢を叶えていくあなたがとても好き。ヘビの時の知り合いがいるのは当たり前だけど(だって知り合いさんはそのままの姿だから)、知り合いさんは今のあなたに合うものを提案して、よりよいものを作っていく。私にはあなたがとても眩しくて、でもその輝きがいつもすてきだと思います。

一方で、声や経歴から、「前世」を見破られている人もいました。前世の経歴の削除は強制ではなかったのかもしれないし、途中でルールの変更があったのかもしれません。
アカウントが放置されて残ったままだったり、「前世」でネットに顔を出していたり、そもそも「前世」うんぬんではなく、にじさんじでデビューしながら以前からのネットでの活動を続けているような兼業タイプの人もいます。

しかし、名義は違えど、にじさんじのルールとして、にじさんじで名乗る名前で活動する時にはにじさんじではない声が似ているあの活動者さんのことは「別」として切り分ける。
そういうルールというか、暗黙の了解があって、だからこそ、「声が似ているあの活動者さん」の名前をにじさんじで与えられた名義での配信でコメントしたらブロックされるか叩かれるか注意を受けるかされる、そういう空気の醸成がにじさんじでは行われてきました。

もちろん匿名性の高いコミュニティではライバーの名前よりも前世の名前で呼ぶ書き込みがあったり、前世からのファンはお互いにそれを分かった上で活動を応援していたりと、全く違う存在として切り分けることはできていなくて、でもライバーは「声の似ている別の活動者」であるとは一切口にしません。自ら同一視をやめるよう訴えかけるようなパフォーマンスすらあるほどに。

前世を知られながらも今を生きているライバーと、前世と平行して生きる、いわば心が二つあるライバーが共存していく。そして、前世が本当にネットのどこにも転がっていないレアなライバーもいる。バーチャルはそういう場所になっていきました。

私は虚空教典のとあるページの、慎重に言葉を選ばれた文章の意味が、いや、意味がではないですね、意識、感情、思い、気持ちのようなものが、分かりました。
いいえ、それが合っているかは分からないけど、これはもしかしてこんなに長く見てきた私に対して離れるタイミングを示してくれている、親切な節目なのかな、と思いました。

見たくもないのに声が似ている人たちが一方の心で知らない顔の人間のビジュアルでおすすめ欄に並び、もう一方の私によく見えるほうのにじさんじアプリを使った心ではまったく異なる容姿や言葉遣いで仲良くしているのを見てそう思いました。

それは、その人たちがいくら「心がふたつある」を切り分けろと言ったところで、今のサジェスト機能が充実したネットでは視界に入ってきてしまうものだし、定義づけを一旦やったから後は自己責任で被弾してくれと言われているようで、とても冷酷に感じました。だって、私にできることはあなたたちを別人と扱いながら、別のあなたたちの存在の記憶も抹消できない苦しみに寄り添われない、距離を置かれるどころか突き放される、そんなものだからです。

私は社会人になり、深夜の配信はリアタイで観られなくなりました。私はバーチャルに向ける感情の熱量が、ただひたすらに新しい体験にワクワクする、というよりも、彼らの終わりを見守りたいという消極的な理由に変わってゆきました。でも、変わることはマイナスではない。

そして、決して今が面白くないわけがありません。VTA(バーチャル・タレント・アカデミー)の卒業生がユニットデビューし、配信の経験がなくても練習としてVTAで活動をして、にじさんじライバーとしてデビューする際はみな幸先の良いスタートを切り、とても魅力的で楽しくて。

……そしてなにしろ、ずっと待っていた英語圏のライバー事業も2022年は軌道に乗ってきたのです。

にじさんじはにじさんじENをスタートさせる前にも、IN(インド)・KR(韓国)・ID(インドネシア)からライバーをデビューさせていました。しかし、運営体制がそれぞれのブランチでJPとまったく異なる様子なのはグッズの量やその他様々な視点から見えていて、どうにかならないかと思っていたら……。

ENの一期生がデビュー。二期生で完全にハマって、四期のLuxiemで初の男性ライバーデビュー。これがあまりにも大ヒット。もう、めちゃくちゃ楽しかった。
社会人一年目のストレス(というかパワハラ)を時差があるからリアタイできないのは仕方がないという言い訳、そして英語の勉強にもなるという二重の言い訳により、無限に切り抜きを見て漁り、リアタイできそうなタイミングも把握できるようにスマホに時差時計のウィジェットを入れました。元KRや元IDのみんなもENの登場で日の目が当たる機会が増え、みんなのことが好きになりました。

さあ、そして、今に至ります。ここに何が転がっているでしょうか。私の信じたバーチャルは、どこにいるでしょうか。
私は非公式wikiのライバー一覧に、もう動かなくなった彼らのすがたを見つけます。

いつからか分からないのですが、もう思い出したくないだけなのかもしれませんが、にじさんじライバーを卒業して、新しいことにチャレンジするという言葉に嫌悪感を抱くようになりました。

卒業したライバーにとても声の似ている、話し方も似ている、そして「なぜか」にじさんじの内情もよく知っているように語る「だれか」がいる。それも、一人ではなくそういうひとが何人かで集まっている動画がYouTubeで「おすすめ」されるようになりました。
ある日知らない「だれか」が、卒業したライバーを自分だと言わんばかりにサムネイルに模したイラストを載せた動画が流れてきました。
あんなににじさんじで盛大に別れの儀式を行ったはずの、場合によっては葬儀のような形で「この世」を去った彼らが、葬られた死体で遊んでいる。

私は死体であっても、彼らを愛していたのに、その死体は誰かが自分だと言い張り自分の棲み家へ持ち去っていき、彼らはそれで遊びます。
まだ私の心の中には棺桶の中にあなたの色をたくさん散りばめた花を沢山入れて、安らかに眠っていて、もし復活したければその姿のまま起き上がれるように墓守りとしてあなたの戻ってくる場所を心の中に作っていたのに。

私は墓守りです。
墓で遺体を安置して、安らかに眠れといつも祈り、そして時折思い出すたびにあの楽しかった日々が懐かしくて泣きそうになるけど、それでも、あなたが選んだ道を尊重したいから。
私はまだ、故郷の人間です。
もしつらくなったらここを出てどこかへ行って休んでほしい。休みすぎるなんてことはないんだから、また顔を見せたくなったらでいいんだから、お金なんて、サービスなんて、あなたに余裕のある時でいいから。気にせず好きな場所で休んでください。あなたの選んだ道を尊重したいから。

ある日突然、私の大切にしていた墓が荒らされて、別れの儀式での言葉も私を元気づけてくれた言葉も偽りで、それを信じた自分たちをみんなの見える場所で嘲笑われて、そして私たちの故郷を貶されて、根拠に乏しい悪評を吐かれた。

もうこんな思いはしたくないんです。
信じたくても、また、同じことが起こるのなら、別れの言葉も心に響くわけもなくて。
泣いているのは悲しいからだ。単純なことだ。
私の愛したものが、私の愛したものの魂によって、歪められて醜いものとなるのは、もう、見たくない。
永遠の別れをしたつもりなのに、あなたじゃなくてあの人に戻ってきてほしいのに。
屍体の皮を被って笑顔を見せられても、私があなたを信じていたという時間が空虚に感じられて、ただ、苦しくて、そして、お前は誰だと言いたくなる。

死体安置室に戻ると、私の愛するもう永遠に生き返らない死体がそこで待っていてくれます。その名前は、配信アーカイブと言います。きちんと「世話」をすれば見たくない死体はわざわざ見なくてもいい。見たいものだけ、過去の断片だけに囲まれて、安心して祈ることができます。

わたしは墓守りです。
でも、そろそろくるしいです。

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