見出し画像

刑事ジョー「刑事ジョーは理屈ぽかった」の巻

刑事ジョーは理屈ぽかった。

理で屈だす。

この男の為にある様な言葉だった。

その刑事ジョーは歩きながら急な便意に屈していた。

理で他人を屈する男が登場するなり糞に屈していた。

額から流れる変な汗がコメカミの辺りで粒になり、他から見ても様子がおかしいのが分かった。

それでも刑事ジョーは慌てない。

「コンビニエンスストア」

この、便所の前に、あらゆる生活用品を並べた小売店は、歯医者と数を競う様に街中にある。

歯医者はそんなにあるのか?
誰だ、お前?

戻る。

刑事ジョーは慌てず、ふためかず、コンビニエンスストアのドアを開ける。

刑事ジョーは刑事である。
刑事は市民の規範となる立ち振る舞いをしなければならない。

いくら便所の前に生活用品を並べた小売店とはいえ、この様に、生きとし生けるものに便所を解放してくれているものに、ひと声掛けるのが礼儀である。

「トイレを貸してください」

慇懃に頭を下げる刑事ジョー

女性店員はカウンターの客対応に追われ、返事もせず右手を挙げた。その指先を追うと、「三角に丸の模様」を青色と赤色で、男と女と形容した便所のマークがあった。

刑事ジョーは、脂汗を出しながらも、慌てず悠々と便所のマークに向かって歩いた。

ドアの上に、青い「丸と三角のマーク」を確かめ、ドアノブに手をかけたとき、額の汗がブワッと溢れ流れた。

赤い。
ドアノブの上にある丸い小窓が赤かった。

青い三角と丸のマークのドアの、
ノブの上の、
が赤かった。

赤い〇は、ある一文字の漢字を連想させる。

「閉」

または

「入ってますよー」

だ。

10秒、10秒ならいける。

そう思い、刑事ジョーは待つ事にした。

ノック
なんかしない。したところで、相手が慌てふためいて尻を丸出しにして飛び出てくれる可能性はゼロに近い。ゼロではない。ゼロは概念だ。
狂ったインド人が何も無いという形而下の意識を形而上に無理矢理引きずり上げた概念だ。

10秒経った。

刑事ジョーは便所前から数歩出て、店内に向かって左手を上げた。

その手には警察手帳が握られている。
口早に、それでいて、落ち着いた口調で刑事ジョーは叫んだ。

「警察です!」

何事かと、店員も、店員が対応していた客も、その辺にいた若い男性客も、そっと商品のマニキュアをバッグに入れようとしていた女子高生も、左手を上げた刑事ジョーの方を見た。

「わたしは刑事である!わたしは、7秒後には脱糞する。その7秒のうちの3秒を使って私がこの脱糞という非常事態をどう回避すべきかを説明させてほしい。もう一度言う、わたしは刑事である。今この時もわたしを待ち望む市民の声が聞こえる。ああ、そこな学生、バックに入れた商品を戻しなさい。
しかし、今、わたしが脱糞してしまえば、その市民の声を聴き入れる可能性は限りなくゼロになる。限りなくであり、ゼロではない。ゼロという概念は狂ったインド人が作った概念である。したがって確率というルーレットにおいてゼロという事象は起こりえない」

その辺にいた若い客が手を挙げた。
刑事ジョーは空いた右手で彼を指す。

「はい、あなた!」

「もう、10秒くらい経ってますよ。」

「そう!わたしの肛門括約筋はこの限界の中、法を遵守するという刑事の矜持により、迫り来る便意を抑えているのです。ならその法とは何なのか!」

刑事ジョーは女便所を指差した。

女便所のドアにこうありありと書かれた紙が貼ってあった。

〈男性のご利用はお控えください〉

「あれはこの店の法だ。いやルールやマナーのようなものなのかも知れない。しかし法は法である。それを犯す事は刑事のわたしにはやぶさかではない。しかも、ここまで、わたしが大声で、脱糞、脱糞と話していても、殿方便所が開く気配が微塵もない。いい度胸だ。今、わたしがここで脱糞してしまえば、凶悪犯罪を未然に防ぐ事が出来ないと思惟して欲しい!そこで!この店の法を今少し解釈を広げ、お控えくださいという言葉に根心を加えて頂ければ、控えめな気持ちを持ちながらも、脱糞してしまうくらいならば、ご婦人の便所をご利用させてもらえないでしょうか?」

ポカンとみていた店員が右手をあげた。

「どうぞ、緊急の場合はご利用頂下さい」

刑事ジョーは警察手帳を胸に仕舞い、深々と店員に頭を下げ、悠々と歩き女便所に入った。

数分後。

目を細め口元が柔らかくなった刑事ジョーが女便所のドアを開けた。

その時、目の前には絞ったばかりの雑巾のような顔をした妙齢のご婦人が立っていた。

刑事ジョーは気にせず、手洗い場で手を洗う。

「ちょっと」

明らかに刑事ジョーを呼んでいるが、刑事ジョーは無視を決め込んだ。

「ちょっと、ちょっと、聞いてんの、あんた!聞いてんの?あんた、あんた、あんた、あんたの事よ」

雑巾はしつこかった。
刑事ジョーはサッと前髪を中指で触り、雑巾に振り返った。

「何か?」
「何かじゃないのよ。こっちは女子トイレよ、何、勝手に使ってんのよ」

刑事ジョーは雑巾に向かって微笑む。

「店員の許可は得ています」

雑巾はより絞った顔になり、女便所に入ろうとした時、ドア前で鼻を抑えた。

「くっさ!なにこれ!くっさ!まじくっさ!あーヤダヤダ、え?ちょ?まじ?まじ?くっさ!くっさ!え?え?え?くっさ!ほんとこれ?ええ?ちょ?本当に?これ、本当に?くっさ!くっさ!嘘?嘘でしょ?くっさ!え?あ?吐き気してきた。どうしよう、これ入れないー入れないーだってー、くっさーいー!これだから男が入ったトイレは嫌なのよ!くっさ!くっさ!えーもー!あ!くっさーいいー」

刑事ジョーに屁理屈スイッチが入った。

フォ〜、フォッ、フォッ、ヒャら〜!

刑事ジョーの屁理屈スイッチが入る時、尺八のへ長調変調子の音色が響く。

「ご婦人」
「何よ!」
「わたしの排泄後臭がお気に召さなかったご様子、その様な雑巾を絞ったような顔をさせてしまい申し訳ない。」
「ま!」

雑巾の目がカッと開いた。

「しかしながらわたしが女性ではないという根拠を、見せてほしい?」
「は?」
「あなたは今、この排泄後臭を男のものと仰った。この排泄後臭は確かにわたしのものです。そのわたしをして、男だと仰った。ならばわたしが女性では無いという証拠を出して欲しい」
「何を言っているの、あなた?」
「ご婦人、あなたは今、殿方が入った後の排泄後臭はご婦人方の排泄臭より匂いがきついと仰った?間違いない?」
「だから何よ?」
「つまり、あなたは、この排泄後臭はわたしのものと認識し、そしてわたしを男と認識し、わたしの排泄後臭は女性よりも臭いと認識された、ご婦人、これはあなたの為でもありますぞ、わたしが女性では無いという証明を、あなた自身で証明しなければ、あなたはわたしが女性であった場合、あなたは自分の鼻と、鼻から得れる情報による認識に破滅的な乖離があるという事になる。それはあなたという存在の否定になるんですぞ!ご婦人!おまえはもう死んでいる!」
「あんた何言ってんのよ!」
「さぁ、ご婦人!このわたしの何をもって女性では無いと仰せられる?」
「見るからに男じゃない!」
「見るからに男だと?何をもって見るからに男だと仰せられる?」
「は?だって、男もののスーツだし、髪も短いし、それに顔なんか
「ちょっとまった!ご婦人、男物のスーツを着て髪も短い女性は居ないと仰られる?それではそれと、わたしが女性では無いという事の関係性は?」
「そんなの屁理屈よ」
「ほう、屁理屈、ご婦人、屁理屈のへはなんのへだとお思いか?」
「屁理屈の屁はオナラの屁よ!あんたは口からおならをしているのよ!」
「いやちがーう!そんなぬるい冗談なんかじゃない!」
「じゃあなんのなよ!」
「へは、はひふへほの、へ、だ!」
「なんなの、なんなの、なんなのよあんた!それに、大体女でない証拠ってなによ!」
「ご婦人!」
「なによ!」
「良いところに引っかかれた。わたしが男かどうかはどうでもよい。貴方に課せられた責は、わたしを女性ではないという認識をご婦人自身で形而下の下につまびらやかに申し開くことである」
「何言ってるのあなた?もういいわ、あなた女よ、男かもしれない。でも、いまあなたは女よ」
「ほう、なぜそう思われる?」
「女子トイレから出てきたからよ。女子トイレから出てくれば、それは女よ」
「なるほど、いい解釈である。カントのようだ。しかれどもう一押し欲しい」
「あなた、さっきから、自分の事を、わたしって言っているでしょう?大抵、男は自分の事を俺とか僕と言うでしょ、面接でもあるまいし、そうして自然にわたしなんて男は言わないわ」
「うーん惜しい、わたしがわたしと言うのは、わたしの父がわたしと言っていたものがうつっただけだ。それで、わたしを女性と断定するのは甚だ認識が甘い、出直せ」
「何だ、お前は!お前の話のつじつまを合わせてやってるのに、それを盤上ごと引っくり返してんじゃないわよ!もううい!私はトイレに入る!」

雑巾が女子トイレのドアを閉めようとした瞬間そのドアを刑事ジョーが抑える
「ご婦人!」
「何よ!変態!」
「ご婦人はこのトイレには入れない」
「何でよ!」
「自分自身で申されていたではないか」
「何よ?」
「女子トイレと」
「だから、何よ?」
「ご婦人、あなたは、自らを女子と思いであられると?」

雑巾は顔が真っ赤になったかと思うと、唇が紫色になるほど血の気が引いて、
感情も消え失せた表情でこう言った。

「警察を呼ぶ」

その言葉に刑事ジョーは黙って自分の胸ポケットから黒い警察手帳を出し、自分の顎の下に置いた。

「何か御用で?」

その瞬間、雑巾が卒倒してトイレの中に倒れこむと同時に、男子トイレのドアが勢いよく開く。

「もういい加減にしてくださいジョー刑事」

男子トイレから出てきた男は目が覚めるような色男だった。

「おちおち、長糞もできませんよ」
「おお、吉田正樹、お前であったか。開かずのトイレ、その中に吉田正樹在り、とは言ったものだ」
「聞いた事ありませんよ。それにどうするんですか?おばちゃん卒倒しちゃったじゃないですか」
「マウストゥマウスで蘇生させてやれ」
刑事ジョーの言葉には答えず、女性店員の元に歩く吉田正樹
「何か、おばちゃん倒れちゃって、緊急ボタンで救急車呼んでもらえますか?」

女性店員は吉田正樹のあまりにものハンサムさ加減にポカンと吉田正樹の顔を眺めていた。

吉田正樹は慣れた笑顔で、「じゃあ頼むね
」とだけ言い、店を出た。

刑事ジョーはその後を追う。

「救急車が来るまで、店にいた方がよかったんじゃないのか?」
「僕は警察手帳を出してないので、今は善良な一市民ですよ。ジョー刑事こそあんなに警察だと声を張り上げていたんですから、店に待機しといて下さい」
「吉田正樹、貴様、わたしと理屈で勝負しようというのか?」
「しませんよ。というか、ジョー刑事は、何で歌舞伎の隈取りメイクなんかしているですか?」
「これには中々ドラマチックな理由があるのだ聞くか?」
「あ、ごめんなさい。大丈夫です」

刑事ジョーは理屈ぽかった。

つづく。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?