幸せの感度の下げ方
ここ2年ぐらいすごく幸せ感が高い。一方で大変なことも結構多い。ただ、トータルですごく幸せである。
なぜ幸せ感が高いか振り返ってみると、とにかく幸せの感度が下がったなぁと思う。
昨日のテレビでやっていた、多摩川の河川敷にある雑草が結構食べられるらしいと言うことを知って、雑草が宝の山に見えて幸せ。
1500円で買ったデュワーズのハイボール、ウイスキーをあらかじめ冷凍庫に入れておくとすごくおいしいことを体験して幸せ。
朝10時から19時まで仕事できて幸せ。
21時半から寝るまで、家が静かで幸せ。
といった具合に、割とハードルが低くなった。昔なら、海外旅行に行って謎の外国人に絡まれて酔っ払ったまま知らない土地に連れていかれてお金が1銭もないけど何とか帰って来れて幸せ、見たいなぁ結構レベルが高めなことでしか幸せだなぁと感じていなかった。
上に感じたような幸せを、当然と思っていたんだろうなと思う。
そう思うと人生を楽しく生きるにはやはり幸せの感度を下げていくことが大事だなと思う。
どうやったら幸せの感度が下がるか
合理的な不幸せを作る、が大事だなと思っている。
上の状態になったのは、特に子供が生まれてからだ。子供が生まれた最初の3ヶ月は、そもそも睡眠時間が取れなかった。
ほぼ徹夜みたいな、少なくとも熟睡できない夜を過ごしていた。仕事もパンパンに入れていたので昼間働いて、夜11時から3時まで働いて、3時から朝9時まで2時間ごとに起こされながら寝るみたいな感じだった。
そういう大変な時期を経てもう少し現実的な時間配分にしたが、先週1週間は娘が風邪をひいていたので、また熟睡できない夜が続いた。
こういうのはかなり辛いのだが、娘はかわいいし、仕方ないことだなと納得できる。
こういう、納得できる不幸せがあると、結果として打ち合わせが回復された程度の、ちょっとした幸せに感謝できるようになった。
これが合理的不幸せである。
他にも、上場目指している会社で死ぬほど働いて徹夜が続いていて、体制が整って10時19時で仕事を切り上げられるようになるとか。
目指している体重までダイエットしたくて食事制限しているときに、抜いていた白米を食べれて幸せを感じるとか。
理由なく不幸せだとかなりきついのですが、不幸せになることに納得できる、合理的な背景があると、結果としてそれ以外で幸せを感じやすくなるんだと思う。
と言うことで、積極的に合理的な不幸せをたくさん作って、幸せな人生を送ろうと思う。
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