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カウンセリングを受ける価値

 月に1回程度、カウンセリングを受ける。
 カウンセラーに話すことは様々だ。何について話すかはそのときどきで変わる。何らかの課題を感じたら、状況を整理するためにカウンセラーの力を借りることが多い。
 うまく言語化できていない悩みごとがあって、どう解決したらいいか分からない時にも、その状況について話す。ただ話すだけでも、ずいぶんと気持ちが楽になる。

 カウンセラーは、問題解決そのものをしてくれるわけではない。クライアントが抱える問題について、傾聴しながら状況を整理していく。視野を広げたり見る角度を変えたりしながら、クライアントの話を受け止めている。

 また、「では、あなたの悩みをどうぞ言ってごらんなさい」といった態度でいることは決してない。カウンセリングといっても、表面的には1時間ほど普通の会話をしているだけのようにも見える。それなのに、終わったあとはスッキリとした感覚がある。

 自分が考えていることを棚卸して、整理されていく感覚がある。そして、カウンセラーとの対話の中で得た気づきを、日常に還元していく。必要に応じて何らかのアクションを起こすこともあれば、何かをあえてしないという選択をすることもある。しないことを決断する、というのも重要なことだ。

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 適切にカウンセリングを行うには、専門的な技術が必要だ。素人が一朝一夕にできるようなものではない。人と人の対話であるから相性はあるだろうが、心地よく話せるカウンセラーは「カウンセリングの技術」が大変に優れている。

 言語化がどんなに詰まっても、無言になっても、斜め上の天井を見上げながら言葉を絞り出しているときも、カウンセラーはクライアントの言葉が出てくるのを待っている。

 語気、呼吸、目線、喋り方、表情。そういった「非言語」で表出している要素をも参考にしながら、私の心情を読み取っているようにさえ思う。実際にはそんなことをしていないのかもしれないし、カウンセリングの専門家がこのnoteを読んだら笑われてしまうかもしれないが、自分はそんな風に思う。

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 うまいカウンセラーは、言葉の渡し方が秀逸だ。無責任な言葉を相手にぶん投げないのである。クライアントが話すことを理解しながら「どんな言葉を、何に包んで渡すか」ということを会話の中で考えているのだと思う。しかも、そのラッピングはオーダーメイドだ。
 タイミングもそう。いま、自分の話をしてたのに!と話を遮られることがまずない。自分が欲したタイミングで、言葉を渡してくれる。否定することなく、共感しながらこういう見方や考え方ができるよ、と提示してくれる。それは押し付けではなく、非常に妥当性のある案であることが多い。

 このように心地よく話ができるのはカウンセラーの技術があってのことであるが、そのエッセンスだけでも日常生活で取り入れることができればより良い生活ができる気がする。
 相手の話を良く聞く(傾聴する)ことは、実際にやると本当に難しい。だからこそ、それを実践することは有意義だ。もちろん常にそんなことをやってたら疲れてしまうので、限られた場面にはなるが取り組んでいきたい。

 本稿のテーマは「カウンセリングを受ける価値」とした。日常生活でたくさんの刺激を受けて脳が疲弊すると、思考力や判断力が鈍くなるのを感じる。そこで定期的にカウンセリングを受けることで、思考がクリアになり気持ちが晴れる。これは自分にとって非常にありがたいことだ。平日で職場以外の場所へ行く手間と時間をかける必要はあるが、これだけ自分にとって良い影響を及ぼすならそれだけの「価値」はあるだろう。

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