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障害者として、生きていくこと

 自分のことを「健常者」だと思っていた。それがどうも違うらしいということが分かった。

 じゃあ、どうやって生きていけばいいのか?自分自身をどう見つめていけばいいのか?そういったことを、7〜8年ほど考えているように思う。その答えが出ているわけではないが、考えてみたことについて書いてみる。

 そもそも、何をもって「健常者」なのか?

 心身に病気や障害のない者。障害者に対していう。

デジタル大辞泉

 これをそのまま解釈すれば、心身に病気や障害がなければ、すなわち健常者なのである。たしかに心身に病気があれば、健常者というには難しいだろう。そこで、障害についても辞書を引いてみる。

 個人的な原因や、社会的な環境により、心や身体上の機能が十分に働かず、活動に制限があること。「胃腸—」「言語—」

デジタル大辞泉

 なるほど。個人的な原因か社会的な環境のいずれかまたは両方によって、活動に制限があることが障害だという。
 一つの辞書の意味からこのように考えてはみたものの、「障害とは」「障害者とは」で検索すれば膨大な検索結果が出てくることから、様々な見解があるテーマだと思う。

 「活動に制限」という言葉がしっくりきたので、少し考察してみる。自分自身はおそらく発達障害(ADHD)で、色々と困りごとがある。

 現在はフルタイムで就労できているが、以前は長期にわたって休職をしたこともある。おそらくだが、発達障害の特性によって失敗をしたことがもともとの原因だ。

 仕事や私生活がうまくいかずに落ち込んで、自分の存在価値を感じられなくなったこと、頼れる周囲の人がいなかったこと、いたとしても適切に助けを求められなかったことが、体調悪化の原因だったように(今は)思う。

 結果的に職場を長期離脱して、就労という活動が確かに制限されていた。自分が職場復帰したいと思っても、主治医や職場の医師が許可してくれないと復帰できない仕組みになっているため、大変もどかしい時期を過ごした。

 ところで。私は「精神障害者保健福祉手帳」の3級に該当すると診断され、この手帳を取得している。

 1級、2級、3級があり、3級はもっとも程度が軽い。2年に1度更新があって、医師の診断書に基づいて都道府県等の審査会を経て等級や更新について決定される。

 ちなみに、現在はまさに更新の申請をしているところで、結果待ちである。今回はじめて「注意欠陥多動性障害(ADHD)」による診断書で手帳の更新申請を行った。

 なお、「はじめて」の理由は、以前は「双極性障害」として診断されていたからで、自分自身も双極性障害だと思って数年間は生きてきた。

双極性障害とは?

 気分が高揚する「躁状態」と気分が落ち込む「うつ状態」が繰り返される精神疾患です。「躁うつ病」と呼ばれることもあります。双極性障害の患者さんには、いつも症状が現れるわけではありません。躁状態でもうつ状態でもない、いわゆる普通の状態があることが特徴です。双極性障害は20歳前後の若年期に発症することが多いと分かっています。

国立国際医療研究センター病院HPより

 もしかしたら自分は現在も双極性障害の症状が出ている(ADHDと併発している)のかもしれないし、「普通」の状態なのかもしれない。ただ、双極性障害やうつ病の薬は一通り試したものの効き目がなかったので、個人的には違うのかなと思っている。

 一方で、現在処方されているストラテラ(一般名:アトモキセチン)を飲んでからは割と体調が良い。仕事を落ち着いてできるようになったため、ADHDの症状に効いているように思う。

 活動に制限がなければ、あえて「障害」と認識してなくてもいいと思うし、手帳を取得しない選択だってあるだろう(たとえ本人が取得できる状態であっても)。

 逆に、活動に制限があれば「障害」があると客観的に認識できる障害者手帳などの取得が、合理的配慮や福祉サービスの受けやすさにつながり、結果的にウェルビーイングにつながるのではないだろうか。

 また別の機会に書けたらと思うのだが、「障害者手帳」の申請や取得自体に若干の後ろめたさがある。「障害者」として生きていくことを背負わなければならないように感じてしまう。この感覚はだいぶ薄れてきたのだが、今も少しばかりそう思う。

 子育て給付や各種医療費などの助成制度、生活保護などと同様に、手帳の交付自体も自治体の行政手続きの一種である。
 それらの行政手続きにおいては、申請者やその家族の所得や資産状況、健康状態などの基準に該当するかどうかによって決められることが多い。当然、基準に該当しなければ手帳は交付されないこととなる。

 その行政手続きに対して特別な意味合いを求めることは少し違うのかなと思うし、手帳は自分のウェルビーイングのための手段の1つであると認識するようになってからは、だいぶ気持ちが楽になった。

 障害のない人生なんてつまらないなんて言うつもりもないし、自分が障害によって苦しんできたのは確かだ。もうちょっと普通に暮らしたかったし、楽に生きたかった。ただ、これから先も自分の人生を生きていくうえで、病気や障害について深く考え悩んだことはプラスになると確信している。

 自分の弱点や特性を認識し、自分ができないことをできないと言えること。人に援助を求めること。これらは「障害者」になってからできるようになったことだと思う。 

自分の弱さを知ることが、強みにつながる。以前より強く生きれているように思えるのも、色々と悩んだからなのかなと思う。この経験を何らかの形で社会に還元していきたいので、今回はまずnoteに書いてみた。

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