2024.03.09『“takt op.”と100の恋も冷める瞬間』

こんなタイトルをしておいてなんだが、ソシャゲの話をさせていただきたい。

私のとても好きなソシャゲに、『takt op. 運命は真紅き旋律の街を』というタイトルがある。

簡単に言うとクラシック音楽の擬人化が戦うゲームだ。

ありがちですよね、そうなんです

でもこのコンテンツのストーリーや世界観、キャラクターのデザインやBGMなど、あらゆる部分に見られる拘りが私は好きだった。

クラシック音楽を好んでいた時期があるという方は多分楽しめる作品だ。

だった。

先月、『takt op. 運命は真紅き旋律の街を』はサービスを終了することが告知された。

このゲームはあと2ヶ月の命であると宣告されたのだ。

私がサービス開始初日から育ててきたあのキャラ、楽しんできたストーリー、あの世界に突如終わりが来た。

ファンとしては、この残された時間を有意義に過ごすべきなんだと思う。

有志のDiscordサーバーではスクリーンショットやストーリー等の記録が進められている。
(いわゆる魚拓と呼ばれている作業)

私も推しのキャラストーリーを見直したり、メインストーリーを進めたりした方がいいんだろう。


完全に気持ちが萎えてしまった。


これは以前に“CUE!”というアプリおよびコンテンツを看取った時もそうだった。

サービス終了が決まってからアプリを開くことすら面倒になってしまったのだ。


『takt op. 運命は真紅き旋律の街を』はかなり育成要素が強いゲームだ。

育成して、難しいステージをクリアすることで称号が得られたり、アイテムが手に入ったりするのだが、

ぶっちゃけ

サ終が決まったゲームの育成、する意味が本当に無い。

「〇〇(キャラ)の攻撃のステータスが〇〇〇〇を超えました!!!」みたいなのって、そのキャラが今後使えて、攻略が楽になり楽しくなるから意味があるのであって。

持ってないキャラがガチャで引けた所で、『ガチャで〇〇が引けた自分』と『ガチャで〇〇が引けていない自分』の世界線がサ終の瞬間に統合されるのだ。

私がこれからやるソシャゲの行動は全て白紙になる。

そう思うと何もやる気が起きない。


この現象に今現在襲われている自分がいる。

自分はこのコンテンツを愛していなかったんだろうか。

愛などというものはこんなにも曖昧なものなのだろうか。

そう思うと、自分にもしも恋人、配偶者ができた時にどうなるんだろうかと思った。

少し前に流行った“蛙化現象”を起こすのは私みたいな人間なのかもしれない。

それこそ、もし配偶者に不治の病が見つかり、余命が宣告された時、私はそのパートナーに尽くせるのだろうか。

残念ながら私にパートナーがいたことが無いため、机上の空論を語ることしか出来ないが、私は思ったよりも薄情で、幸が薄く、愛情の無い人間なのかもしれないと思った。


『takt op. 運命は真紅き旋律の街を』も、自分のキャラの育成が不十分でストーリー上で倒さなければいけない敵が倒せず、未だに読んでいないストーリーがある。

なので育成をやらなきゃいけないのだが、もうそんな気力もないのだ。


愛とは?

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