嫉妬する人、しない人。
私は楽器をやっている(変な日本語)人間なのだが、ぶっちゃけ大して上手くない。
と思うのも、楽譜を見てそれを吹こうとしたら全然その通りに吹けなかったり、アドリブソロが全然聴いてて良いと感じるものでなかったり、そもそも『こう吹きたい!』と脳内に思い浮かべているフレーズをその通りにアウトプットすることができないのだ。
そもそもその脳内で浮かんでいるフレーズというもの自体が粗末なのだが。
全知全能の人間というのは意外と存在しており、私が出来ないあれやこれやを特に苦労もせずにあっという間にこなしてしまう者がいたりするのだ。
私はゴリゴリに他人に対して嫉妬をする生き物であるから、そんな全知全能のことを羨ましく思うし、普通に憎くもある。
私は、私自身の『無能の部分』が許せない。
私は思春期の頃に、両親に自分の心のうちにある嫉妬心について打ち明け、相談してみたことがあるのだが、「嫉妬してるってことは、その人に自分でも届きそうって思ってるってことでしょ?大したことないんじゃない?」と言われた。
こいつ嫉妬したことないのか?
二度と相談しないことにした。
私は自分に出来ないことを出来る人間全てに嫉妬しているぞ。
米津玄師やAdoにだって私は嫉妬しているんだぞ。
よく間違えられがちだが、嫉妬とリスペクトは全然共存する。
私は昔からインターネットで動画投稿や生配信をするのに憧れていて、「Vtuberみたいなこともやってみたいな〜」と思っていたら、5つ下の大学の後輩で高校時代にVtuber(しかも企業所属)をやっており、しかも10万再生を余裕で超えるような動画を投稿していた過去もある、というとんでもない経歴の人間が現れた時には人生最大の嫉妬をした。
私が“それ”やりたかったのに。
それでも私は彼の能力や経験を評価しているし、普通に仲もいい。
しかし、一緒にご飯を食べたりとかをしても、『私よりも“こいつ”のほうが能力が優れており、実績もあるし、多くの人間に認められているんだ』という事実を意識すると心の底から憎く思える。
私は全知全能になりたい。
なりたかった。
「初めから何でも出来る人生なんて、楽しくないよ」と言う人間を何人も見たことがあるが、こいつらは人生が上手くいっているからこそそんな戯言を吐けるのだろう。
自分の思った通りに楽器を吹くことが出来れば、自分の演奏したい楽曲を何の制限もなく好きなだけ吹くことが出来るし、上手に演奏することが出来るのであれば、周囲から実力を認められ、人が寄ってくるだろうから孤独になることもないだろう。
『出来ないこと』なんて、少ない方が絶対にいい。
今の自分みたいに何にも出来ない人生よりも、何でも出来る人生の方が絶対に楽しい。
全知全能の人生は苦しいこともあるのかもしれない。
でも私の人生だって苦しい。
同じく苦しみを味わうのだったら、高い次元の苦しみの方が良い。
出来ることを見たら全知全能の方が多いんだから。
全知全能であれば、人のためになれる。
私は誰の助けにもならない。
存在価値に大きな差があるのだ。
私は私の無能が許せない。