ハレルヤ

本の面白い読み方を知ったのは、偶然入った喫茶店だった。

その日、私は出張で北陸の某県にいた。
特急を降り、その県を名称にした駅に降り立った私は、まず有人改札に驚き(駅員が切符を回収していた)駅前なのに休める店の少なさに驚き、愕然とした。
私は顧客との約束までの2時間を、どこかで潰さなくてはいけなかった。

幸運にも、その日は比較的外で過ごしやすい気候であったため、私は町を散策する気持ちで駅から離れた。
ふらふらと小道を歩いていると、古めかしい喫茶店が目に入った。
私はそこに入ることにした。

からからと音を立てて開いた扉の中は、赤いベロアが張られた椅子と木製の机が並ぶ、外観を裏切らない作りであった。
11時という微妙な時間であったためか、客は誰も居なかった。


「お好きな席にどうぞ」

どこに座ろうかとぼんやりしていたら、カウンター奥から青年が出てきて声をかけられた。

「え、あ、ははい」

てっきり老店主みたいな人が出てくるかと思っていたため、私は少し驚いてしまい、間抜けな返事をしてしまった。
それが恥ずかしくて、無意識に奥の方の席に腰を落とした。

机に立てられたメニュー表は年季がはいっており、珈琲の染みらしい茶色い汚れで所々汚れていた。

「失礼します、お冷やとおしぼりをどうぞ」

先程の青年が盆にそれらを乗せて現れた。
カラカラと氷のぶつかる音を立てて置かれた硝子のコップは、綺麗なあめ色をしていた。

「お決まりになりましたら、お声かけて下さいね」

優しい声色で彼は言い、奥へと引っ込んでいった。

ドリンクメニューはチェーン店にあるような凝ったものがあるわけでもなく(寧ろそんな物があったら驚く)、腹が減ってることもなかったから(昼食は早々に電車の中で食べた)、ブレンド珈琲を頼むことにした。

と、そこで青年を呼ぶために顔を上げたとき、私は作りつけられた棚に数冊の文庫本が置かれていることに気が付いた。


「すみません」

奥からはーい、という声と共に、彼が出てきた。

「ブレンド珈琲お願いします」

にっこり微笑み、畏まりました、と言って踵を返す彼を、私は呼び止めた。

「あの、この本って読んでも良いんですか?」

一瞬彼は無表情になり、棚の本のことだと気が付いた。

「こちらの本ですよね?どうぞ、お好きに読んでください。レジ横には雑誌などもありますから、そちらも宜しければどうぞ」

そう言って、彼は先程の笑みをまた浮かべ、奥へと消えていった。
ブレンド入ります、という声がしたので、奥に誰かが居ることが分かった。


上着を向かいの椅子にかけ、私はその文庫本に目をやった。
それは、どれも背表紙がよれた、随分と読み込まれた様相をしていた。

「そこにある本の内容、この町を舞台にした話なんです」

珈琲をもって現れた彼に、そう声をかけられた。

「珈琲置かせて頂きますね。ごゆっくりどうぞ」

続き物らしく、1と書かれた本を取って、私は席に戻った。

作家の紹介文にはこの町の名前が書かれていた。
きっとこの人が経験したことが元に書かれているのだろう。
そう思いながら、私はページを繰った。

それは、若い男女が商店で出会い、親密になるまでの話だった。
その話の中で、実際にこの町にある店が出てきているのだろう。
奥付けに書かれた発行年数は随分前であったため、今も残っているか定かではないけれど。


はっとすると、12時半を過ぎようとしていた。
顧客とは駅前で待ち合わせており、焦ることはないが、そろそろ出なくてはいけなかった。
本の題名と作家の名前を携帯のメモアプリに控え、私は荷物を持って立ち上がった。

「お会計お願いします」

そう声をかけると、奥から年配の男性が出てきた。最初にイメージした老店主であろう。
皺は深いが顔立ちは整っており、若い頃はさぞかし男前だったろう、と思った。

からからと鳴る扉を出て、私は駅の方に向かった。
喫茶店は『ハレルヤ』という名前だった。
キリスト教なのだろうか…。

駅には12時50分に着き、顧客が歩いてくるのが見えた。
丁度いいタイミングで、思わず思った。

ハレルヤ。

それは顧客との雑談の中で知ったのだが、私が喫茶店で読んだ本は、有名作品ではないが映画化されており、あの喫茶店も出てくるらしい。若い頃の店主(レジを打ってくれた人が店主で合っていた)も出演しているらしく、噂だが、奥さんとはその映画がきっかけで知り合ったそうだ。

そんなことを聞かされたら映画を見ないわけにもいかず、私は幾つものレンタルショップをはしごして、その映画を見つけた。
画面の中の喫茶店は私が入ったときの内装と変わらず、更に親近感を抱いた。

若い店主は想像通り男前で、少し青年に似ていた。もしかしたら、彼はお孫さんだったのかも知れない。


この映画と本がきっかけで、私は時代に取り残されたその町を好きになった。
たまにふらりと旅行にも行く。本に出てきた店を探しに。

それから、他にも実際にある場所を舞台にした作品を読むようになった。
まさかこの年で新たに読書の楽しみ方を見つけられるなんて思っていなかったから、私はたびたび、あの言葉を思い出す。


ハレルヤ

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