自分の気持ちを大切にする国、デンマークの人々の時間の使い方
昨日はデンマークの第二の都市オーフスへ。
アジア人は1日歩いても2人くらいしか出会わず、聞こえてくる言葉もほとんどがデンマーク語やその周辺の北欧の国の言語だった。
観光地化されておらず、デンマークの人たちが週末に遊びにきている印象。
日本の街を歩いていても観光地化されているところって、同じようなお土産物が売られている店舗が多く似たようなお店が多い印象を受けるけど、地元の人たちが遊びに行く街は店主や地元の人の個性が出ててるお店がちらほらあって楽しい。
オーフスは後者の街の印象で、地元の人の生活が見てとれるような楽しい街だった。
個人のギャラリーやインテリア雑貨ショップ、蚤の市のような小さなアンティーク店にセカンドハンドショップ(デンマークで多く見られる古着屋さん)。
特に魅力的だったのは、街の一等地に良質な毛糸を売る『毛糸屋さん』がたくさんあったこと。
まるでセンスのいい服屋さんかな?と思わせるような、毛糸屋さん毛糸が大事にされていることが伝わってくるような店構え。
女性たちがお店に入ってきては店員さんたちと会話をし、思い思いの毛糸を購入していくのを見ると、デンマークの人々が0から毛糸で何かを作ることを大切にしていることがとても伝わってくる空間だった。
学校でも授業中に多くの生徒たちが毛糸で何かを編みながら授業に参加しているのは、日常のよく見る風景だ。
カフェでも、学校の休み時間にも、授業中にも編み物をしている。
そして、自分で作ったマフラーや帽子やセーターなどの編み物を楽しそうに自分んたちの洋服に合わせて楽しんでいる。
その光景は私の人生の中ではあまり見たことがない気がする。
私の人生で編み物との接点を思い返したとき、小学生の時に、一瞬編み物ブームがあったことを思い出した。
クラスの女の子の誰かが編み物を初め、みんなで教えあい、学校の帰りに編み物をして遊んでいた。
私も編み物が好きになり夢中になってやったのを思い出した。
自分の手を動かすことで、可愛いものができていく感覚が虜になり、夢中になって何かを作り、自分のマフラーを作ったり、家族にプレゼントしていた。
そんな編み物も小学校を卒業すると、急にめっきりやらなくなってしまった。
理由ははっきりと覚えてはいないが、恐らく『手作りのマフラーは恥ずかしい』『既製品のマフラーの方がかっこいい』という周りの目を気にしたことによるものだった。
編み物をやらなくなることにそんなに苦痛はなかったし、意識的ではなく、それはかなり無意識なことだった。
それに学校、塾、部活、遊び、バイト、学年が上がるにつれて自由な時間は減り、自分が何も考えずにやりたいことをやる時間は少なくなっていく。
編み物なんてしてたら『勉強をしないといけないのにしてない』という罪悪感で自分に苛立ちすら覚えただろう。
編み物に限らず、絵を描くこと、歌を作ること、詩を描くこと などなど、子供の時の『しなきゃいけないこと』がなかった時にひっそり楽しんでいた自分が純粋に好きだったことは、もう長らくしていなかったことを『編み物を当たり前にする人たち』を目の当たりにして思い出した。
別に、小学生の時に好きだったことを自然とやらなくなったことに感傷的な気分は全くない。
ただ、私が世間の目を気にしたり、当たり前だと思ってやらなきゃいけないことを優先した結果、『そっと蓋をしてきた好きなこと』をあまりにも普通に行っている人たちがいたことを知り、何とも言えない気持ちになった。
あまり上手に言語化できないけれど『え?それって、こんなに堂々と時間を使ってやっていいことだったの?』という声が頭に浮かんだ。
私は今まで誰の目を気にして、自分の『好き』をないがしろにしてきたのだろう。
別に好きなことを誰かにシェアして、全ての人に認めてもらう必要はない。
ただ、自分自身が自分の楽しいなという感情にあまりにも目を向けないでいたことと、時間の使い方の優先順位が『生産性や意味のあること』だったことに気がついた。
誰かの目が怖くて自然にないがしろにしてきた『自分が何かに自然にときめく気持ち』を、私が守ってあげられなかったことに少しごめんねとも思った。
そして今『生産性がないけどときめくことをすること』をしていなすぎて、心のときめきを聞くのが下手になってきている気がする。
『自炊』のように、自分で作った方が安いから自分で編んでいるのでは?ということも思ったが、必ずしもそうではない。
むしろ新品の毛糸はそれなりに値段もするし、何かを作ろうと思うと何玉もいることも知った。
生産性だけを求めるならば、自分でセーターやマフラーを作ろうとは思わないだろう。
『完成品を買った方が早く、綺麗で、安い』可能性が高い中で、
私の周りのデンマークの人たちは『自分で毛糸で物を作る時間』を意識的に選択しているのだ。
つまり生産性ではなく、自分が楽しいと思う気持ちを大切にし、それに価値を見出し時間を作っている。
『自分の純粋に何かを好きな気持ちは、大切にしていいものだったんだ』
そんなことをデンマークの編み物をする人たちが教えてくれている気がした。
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