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日常的な呪い

 言葉は呪いだ。大抵言われた方だけが苦しむ。食事をする時、買い物をする時、ふと浮かぶ。あまりに些細で、他人からは笑い飛ばされそうな。気づかなければきっと幸せなのに、思い出してしまう小さな呪い。

 幼い頃、雪見だいふくが食べたかった。ふたつしか入っていない、白いふんわりした皮に包まれたアイス。何度もねだったけれど、「美味しくない」と返事は決まっていた。それでもあんまり騒ぐものだから、スーパーで買い与えられたそれは、たしかに、好みではなかった。「だから言ったやろ?」母親は呆れた顔をする。それから十年以上経って、先日久しぶりに食べてみた。あの頃から一度も買えなかったアイスは、意外と美味しかった。

 ほしい服があった。あの頃のわたしには、すごくすごく可愛くて、よく覚えている。宇宙柄のワンピースだった。意気揚々と母親の元に持って行った。「それはちょっと」と言われて、棚に戻した。少し悲しかった。子ども心としては、いっとうお洒落に感じられた。もうきっと巡り会えないし、大人のわたしには似合わないけれど。

 ねえママ、あなたの言う通り。疑問であふれた世界に、いつも答えをくれた。あれはなに?これはなぜ?知らないことなんて、無いのだと思っていた。言われたことはすべて正しかった。わたしの中の正解は、あなたしか居なかった。

 ねえママ。わたし、言われなくても選べるようになったよ。ほんとうはね、あなたのこと、ずっと信じていたかった。良い子の顔をずっと探していた。気がついたら、大人になっていた。スマホの使い方が分からないと嘆く親を見て、なんだか泣きたくなった。

 何気なく思い出される小さな呪いを静かに飲み込んでは、密やかに苦しむ。あなたは覚えてもいないでしょうに、ああ、ほんと、馬鹿みたいだ。

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