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願い通りの明日


湯木慧さんの『春に僕はなくなる』が好きで
リピートしている
柔らかくて、でも力強くて憧れの歌声
スッと寄り添うような歌詞たちもお気に入りです

もともと音楽が大好きなので
移動の時は、家を出た瞬間から目的地につくまでずっとBGMを流していたいタイプでした

難聴が進んでからは
聴くボリュームが大きくなったのもあるけど
歩きながらだと危ない気がして....
電車の中とか、ちゃんと座っているときに
聴くようにしています
あまり音量上げるの、良くないのだろうなと
思いつつ、やってしまう
音漏れしてないか時々不安になりながら(笑)

なんだか色々と沁みる夜なので
各駅停車でゆっくり帰りつつ
記事を書いています

在宅ワークのできない職種なので
毎日通勤するし、毎日出勤するし
毎日いろんな音も言葉も聞かないといけなくて
帰宅する頃にはヘロヘロになってることが増えた
加齢によるただの体力の衰えもあるかもしれないけど、なんとなく耳が疲れるみたいな感覚がある 

意識して使ってる感じ、気のせいかな


正直今は、難聴のこと、
そんなにすごく悩んでるわけではなくて
受容というか、なんとなく受け入れができている

成るようにしかならない些細な諦めと
大丈夫って言い聞かせる自分と
均衡が取れているみたい

ソーシャルワーカーの仕事は
ひとの言葉を、誰かの心の声を、聞くこと

物理的に“聞く“のが難しくなったとき
やっぱりこの仕事を続けるのは
難しいかもしれない

そう思ったら今できることを
自分なりに出来るところまでやりたいと思って
そう思い出したら慣れた仕事なんだけど
なんだか楽しく感じることも増えて

この世界は【何が見えるか】じゃなくて
【何を見ようとするか】なのかもって
なんかすごく綺麗事みたいだけど
そう思える

自分の機嫌は自分で取りたいし
すごく頑張った時には自分を褒めて
ご褒美をあげたい
そういう心のバランスをとりながら
なるようにしかならない人生を
歩んでいくしかないかな、みたいな

あ、なんか達観している?私(笑)

とかなんとか言いつつ、
善意を自覚しているときは
「神様、見てますか、私今いいことしてます。これ以上は進行しないようにお願いします」って心の中で思ってしまうんだよね、図々しい。


もうすぐ最寄り駅に着くので、この辺りで。

ここで出会えたみなさんの言葉のおかげもあるかもしれないです。

この場をお借りしてありがとうございます。

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