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美しい彼を語ろう!3(ドドドネタバレ)


劇場版美しい彼エターナルを3度見たが、自分の愛や萌えに映画を見る目を曇らされている気がしてならない。映画として素敵なのに萌えが前に出てきてしまう自分が残念だ。

だから今回は美しい彼のテーマのひとつ「永遠」の表現に焦点を当ててなるべく冷静に語りたい。

ネタバレはバリバリするよ。

ここから下に書くことはあたかも本当のことかのように言っているけれど、全部私の世迷言です。人には人の世迷言。
答えは公式様しか知らない。


変わるもの、変わらないもの

まずこの映画の冒頭とラストシーンを比較してみよう。この2つのシーンはとてもよく似ている。どちらも薄布の中でふたりが横たわる幻想的なシーンだ。
ただ、完全に同じという訳では無い。冒頭のシーンでは平良が清居を一方的に見つめるだけだったが、ラストシーンでは2人は見つめ合い愛を告げ合う。この2つのシーンの比較だけで繰り返す時のイメージと繰り返しの中にある変化のイメージを読み取れる。

似たことを繰り返しながら進んでいく時とその中で確かに変わっていくもの、その中でも芯を持って変わらないもの。連続する変化の中にある不変性。それこそが美しい彼が定義した「永遠」なのではないだろうか。

ドラマ美しい彼S2の1話予告に「時は止まらない、一緒にいたいなら前に進むしかない。」(うろ覚え)というセリフがある。
時は春夏秋冬と同じ場所を繰り返し回っていくように見えるが実は違う。前の形を残しつつ絶えず変化している。螺旋を描きながらも前に進んでいくのだ。その変わりゆく環境に合わせて自分たちも前の形を残しつつ変化させる、それが2人の永遠に繋がる。愛する人との不変のために平良と清居は変化するのだ。

崇拝と恋

この永遠観は映画の端々で表現されている。
例えばS2と劇場版にはS1のオマージュシーンが沢山ある。これも繰り返す時間の表現であると考えられる。同じ構図や同じ場所同じように見える状況で撮るからこそ時がもたらす変化が際立って見えるのだ。

私の好きなオマージュシーンの1つ、音楽室のキス(直前)シーンを例に出して具体的に話そう。
S1のキスシーンでは平良は清居の手の甲に恭しくキスをする。これは信仰や崇拝を象徴しているように思える。
それと比較して劇場版のキスシーンは手の甲へのキスだけではなく恋人同士のキスをする。(直前で止められるが。)ここから彼らの関係性の変化が見て取れるだろう。

またその変化は画面の位置関係でも表現されている。
美しい彼では視覚的な位置の上下で2人の関係性を象徴しがちだ。S1のそのシーンでは位置関係的にも平良が清居を見上げていたが、劇場版では対等な立ち位置から見つめ合うようになる。
平良は見上げるような崇拝だけではなく、対等な目線の愛を表現できるようになったのだ。

劇場版でも平良は手の甲へのキスをやめていないというところが一介のファンにとっては嬉しいポイントだ。崇拝が無くなるのではなく、崇拝と恋人としての想いが共存していることが読み取れる。「気持ち悪くなきゃ平良じゃない」のだ。

オマージュシーンは変化だけでなく、その中でも変わらない本質的なものも際立たせる。螺旋状の時間の中の不変と変化の調和をバランスよく描くこと。それによって美しい彼は進み続ける時の中にある永遠を表現しているのではないだろうか。


本当はもっと書きたいところがあったんだけど、  まとめているうちに永遠の表現の範疇から外れてきてしまって違う記事にまとめることにした。書いていて少し物足りない。

それにしたって考察すればするほど美しい彼という作品は丁寧に表現されていることが分かる。
好きすぎる。
好きすぎて盲目になっていたらこのコンテンツは10パーセントも楽しめないので文章にまとめる作業はこれからも続けたい。

皆さまも良い美彼ライフを!

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