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あきらめよ。

今日は週に一度の言語聴覚士としてのお仕事の日。
老人ホームで入居者の方の嚥下(飲み込み)の状態や、認知機能の評価などをしている。

ほとんどが85歳以上の方で、90代の割合も年々増えている印象。長年勤めていた脳外科病院でも、たくさんの高齢者の方と接してきたけれど、老人ホームは、人生の最後の期間を迎えている方々との時間。年々体も認知機能も衰えていく姿を見ていくことになる。

そう言われると、なんだか暗澹たる気持ちになるのかというと決してそうではない。入居者の方々と接することで、どんな人生を歩みたいかを自然と考えるようになったし、90年という長い年月をかけて熟成されてきた生き様にふれたり、ポロッとお話された言葉に雷にうたれたような衝撃を受けたり。

この方は、どんな人生を歩んできたのか。何を大切に生きてこられたのか。
人生が終わりに近づいている方々は、それを全身で表現されている。

認知症があるなしは、ハッキリ言って関係ないのです。認知症があっても、口から出るのは感謝の言葉ばかりの方もいれば、目が合うだけで「バカ!」と罵る方もいる。その方の「あり方」が、それまでの人生を表現している。

素敵な方はたくさんいらっしゃるのだけど、お一人、大好きで、つい用がなくても話しかけてしまう90代の女性の方がいらっしゃる。

じっくりお話を伺うと、壮絶な体験をされていて驚くことも多いのだけど、表情はいつも穏やかで慈愛に満ちていて、「ここは食事も美味しいし、皆さん良くしてくれて幸せ。」とおっしゃる。痛みや体の不調など、ネガティブな話題についても、ユーモアを忘れず、そこにいつまでも固執しない。

体は不自由で車椅子での生活。関節もあちこち痛い。なのになぜこんなにおだやかでいられるんだろう。私なんて、ちょっと体調悪いだけでも気分が落ちたり、イライラしたりするのに。

「なぜいつもそんなに穏やかでいらっしゃれるんですか?」と直接お聞きしてみたことがあるのだけど、「あきらめよ」とふっと笑われた。

「あきらめ」って言葉は、一見ネガティブな印象があるけれど、その方からはそんな感じは全く受けない。「諦める」ではなく、「明らめる」なのだろうと思った。

人生には苦しさも不自由さも辛さも、あって当然。それが人生よ。
それも含めて「私」なのよ。


そう言われているんだと思う。
良い悪い、正しい間違い、白黒。全てにおいてそういうジャッジをせずに、丸ごと自分の人生を味わっているからこそ出てくる言葉なんだろう。

強烈に憧れる。そんな人に私もなりたい。

そのためには、この一瞬一瞬を、毎日毎日を丁寧に生きること。
「ない」にフォーカスするのではなく、既に十分に「ある」のだと感じながら生きること。全ては当たり前ではなく、「あり難い」ことなのだと忘れないこと。

これに尽きるんだろうなぁ…
まだまだその境地に達してはいないけど、そうありたいと、そうあろうとし続けることはできるから。

週に一度のお仕事だけど、お仕事というよりも学びの時間になっていることが多いし、私の数秘カウンセリングにも、大いに影響を与えていると思う。

こっそり入居者さん達の数秘を出して、一人ニヤッとしたりね 笑
こんな風に接したら心を開いて下さるかもしれないなって、ある程度予想がつけられるのも助かる。

人と接するお仕事には、数秘って知ってるとかなり便利だと思う。本当に。実際に、保険屋さんとかお子さん相手のお仕事だとか、数秘を活用している人も増えているみたい。

日々たくさんの人と接しながら体感を通して学べるから、本で学ぶのとは桁違いに深まるもんね。

数秘の世界、実践的でおもしろいから一度覗いてみてね。
左脳派の方や男性も理解しやすいよ 笑

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