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小説の名場面は、時が経つと過去のものに……

 
 予備のマスクを、いつも持っている。コロナ渦ではマスクを付けていないとコンビニにも入れないのだから、この時代、複数のマスクを携帯していることは当たり前のことだ。
 
 この、マスクを付けないといけない状況というのは、長く続く怖れがある。数年、もしくは十数年と。ということは、今後の小説は、登場人物が必ずマスクをするのだろうか?
 
 携帯電話は、みんな持った。どんな登場人物も。現在が舞台の小説は、出てくる人みんなが持っている。だから携帯電話が出てこない小説は、ひと時代前に書かれた小説と言ってよい。もしくは、ひと時代前を舞台設定にしているか。
 
 とにかく、時代が変わると、小説のなかのイチ場面が古めかしいものになる。あぁ、昔はこんなだったなぁ、と。電話ボックスとか、レコードとか……。
 
 前回の記事で取り上げた名作『麻雀放浪記』も、ひと時代前の作品だ。もはや見ず知らずの他人と打つときに、手積みということはないだろう。手積みでなければ、『麻雀放浪記』の重要な見せどころになっているあのイカサマ技は使えない。全自動卓で天和、地和、人和をアガったら、本当の本当にツキと言ってよい。『麻雀放浪記』は時が経ち、現代の舞台設定とちがう、ひと時代前の小説になってしまったのだ。
 
 
 
 そして麻雀そのものでなくても、『麻雀放浪記』の名場面が過去のものになってしまったなぁと思ってしまう部分がある。それは第1巻『青春編』の、主人公とドサ健が最大の勝負をするところだ。
 
 主人公の坊や哲が出目徳と組んで、最大の敵ドサ健の雀荘に乗り込む。青天麻雀でやるかやられるか。主人公は出目徳にすら疑心暗鬼になる苦境に立たされるが凌ぎきり、大技で形勢をひっくり返し、逆にドサ健を追い詰める。最大の名場面は連続天和で流れを完全に引き寄せたところだが、その後、ドサ健がすべてを失うまで打ち続けるところも大きな見せ場だった。
 
 いつも余裕しゃくしゃくで肩で風を切って歩いているドサ健が、顔を歪ませて、苦しみなが打っている。そしておけらどころか帳簿に付けた借金もかさみ、主人公と出目徳が打ち切ろうとしたとき、店の奥から家の権利証を持ちだしてきて卓に投げる。これを賭けるから帰らないで続行しろ、という意味だ。
 
 それは健の女の物であわてて取り上げられるのだが、健は張り倒して奪い取り、再び卓に置く。そして、
 
「現金がいいなんて贅沢言わないよな。俺はこれで、もう血も出ねえぜ」
 
 という名セリフののちに、勝負が続行される。
 
 この名場面が、今はもう現在と隔絶されたものになってしまった。今、もう権利書というものがないからだ。
 
 不動産の権利書は、以前は数枚の用紙でできたものだった。もちろん、数枚でなく、たった1枚の紙っぺらというものもある。しかしやはり昔から大事な物なので、表紙があったり、紙にスペースを充分にあけたりして、数枚の冊子状になっていた。重要なのは、法務局の登記済み印が押してあればいいのだ。
 
 現在、権利証はただの番号になってしまった。平成の中頃をすぎたあたりから、従来の登記済み印を押したものは発行されなくなった。家を買ったり相続したりすると、法務局に、取得した人の登記識別情報という番号が保管されるというカタチになったのだ。
 
 一応、番号の載った紙は、法務局から発行される。しかしそれこそ単なる紙っぺら。雰囲気としては、住民票を思い浮かべればいい。あんな感じの単なる書面だ。映画の名場面で重要なアイテムとなるような重みがない。しかも、不動産を売るときにその紙は不要なのだ。因みに、登記証の時代は、その登記証がないと所有権移転ができなかった。また、なくしても再発行されない。その実物がとっても重要なものだったのだ。
 
 あの場面をもし現代に置き換えたら、さほどの緊迫感が生まれなかっただろう。1枚の紙を全自動卓の上に投げ、これをカタに勝負を続行してくれと言う。所有権移転に必要でない書類なのに。そして全自動だからなにか逆転の必殺技が出るわけでもなく(仲間が相手のうしろに付いて手役を教える、という「通し」と言われるイカサマ技くらいはある)、勝負は続けられる。劇的さはなく、ぜんぜん面白くない。
 
 もちろん上に書いたことは一般的なことなので、多少違うことはある。権利証は、ずっと所有権を移転していない人は今もって権利証というカタチで残っている。また登記識別情報も、番号が記載してあるのでそれなりに重要だ。権利証の再発行も、裏技を使えばできた。しかし映画の中でえがかれているような、権利証そのものが約束手形の意味で使えるという時代でなくなったのは確かだ。
 
 制度や慣習、技術革新などで、小説や映画の場面が古めかしいものになってしまうのだ。
 
 でも、それで物語の面白さが落ちるわけではない。「えっ、当時ってあぁだったの!?」と、ちょっと思考が止まるだけ。時代劇と同じ感覚で観てしまえばいいこと。
 
 話し戻って、マスクはどうなのだろう。マスク姿が一般的になってしまうのだろうか。そうなると、書き方もいろいろ変わってくるだろうなぁと思う。第一印象でときめくこともないだろうし、くわえ煙草も絶滅してしまう。悪役がすごんでペッと唾を吐いたりしたら、「ううっ」となってギャグシーンだ。
 
 「あまいマスク」という言葉は、香料付きの不織布という意味に変わってしまいそうだ。あと1年続いたら真面目に考えようと思う。

書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。