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『囲碁と将棋はどう違う?』(1)

 
(マガジン『作家・湯川博士』) 
 
 これまでいくつか、作家・湯川博士の作品を採りあげた。いずれも、将棋界の裏街道に生息する人たちを一歩引いた視線で淡々と語るというもの。情緒の支配する文章だった。
 
 もちろんそのような、深夜放送のドキュメンタリーっぽい路線が得意な作家ではあるが、しかし今回は別路線を採りあげ、師匠の幅が広いところを見せようと思う。
 
 採りあげるのは、『囲碁と将棋はどう違う?』。こういった「分析路線」も上手い作家だ。現在も将棋ペンクラブの会報に、将棋の起源を題材にした作品を書いている。
 
 1986年に出された『なぜか将棋人生』に入っている作品なので、内容は現在とだいぶずれているところがある。しかし起源にまで迫って書いているので、時によって廃れていない部分も多い。
 
 それでは、見ていこうと思う。

 将棋界の話をしていると、よく出てくるのが、「でも囲碁の方が進んでるんじゃないの。将棋は普及面ではまだまだ遅れてるよ。連盟は将棋指しだけでやっているからダメなんだ。囲碁みたいに外部の人間を入れなきゃいかん」というような意見だ。女性への普及面でも海外への普及面でも、同じようなことが言われている。しかし本当なのだろうか。
 
 このレポートを書くために、筆者は集めうる限りの資料を集めて、その違いに挑んだ。はじめは現情を表す資料、たとえば将棋連盟と日本棋院の違い、ファンの数や質の違いなどから、真実に近づこうとした。しかし、いくら数字を眺めてみても、わかるのは将棋ファンは庶民に多く、囲碁ファンは中流以上に多く、数では将棋が勝るが金額(売り上げ)では負けるということであって、そのもとがわからない。そこで、囲碁と将棋の起源、歴史という縦の糸と、現情という横の糸を織りなしてみようと考えた。

 章の入りは、こうだ。将棋と囲碁は、日本で古来から行われていたゲームで、「囲碁将棋」などと一括りにされる。しかし、同じなのは座って2人でやるという程度で、使う道具は石と木でちがうし、ルールもゲームの性質もまったく違う。
 そこで、どこがどう具体的に違うのかということを、師匠は書いてみようと思ったのだ。
 
(2)に続く

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