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棋聖戦5番勝負第1局の日に書く、将棋ペンクラブ記事

 
 毎年7月3週目の土曜に最終選考を行って決める『将棋ペンクラブ大賞』。現在は上がってきた作品から1次選考を行い、その残った作品を2次選考委員に送った段階。
 
 2次選考委員に送ったのは、
  観戦記部門 19作品
  文芸部門  14作品
  技術部門   5作品
 となる。コロナ渦でも、将棋ペンクラブ大賞は着々と進行中。
 
 
 
 本日は『abemaTV』で棋聖戦5番勝負の開幕局が中継されている。渡辺明名人対藤井聡太棋聖という、注目の一戦。渡辺明ファンのぼくは、名人戦7番勝負(4勝1敗で防衛)に続いてタイトルを手に入れてほしいと思っている。そんな日なので、今日は将棋の題材で。
 
 
 我が師匠で、将棋ペンクラブの実質的ボス(本人はイチ幹事だと言っている。しかし、あんな奔放に振舞うイチ幹事などいないと思う)の湯川博士。
 
 将棋界で、湯川博士という男のことを知らない人はいない。もちろん、観戦記や棋書の執筆、将棋雑誌の運営(将棋ジャーナルや将棋ペン倶楽部)など、棋界に関わる仕事をしていたからということが、その名が売れているいちばんの原因だが、しかしやはりあの強烈なキャラクターがあってのことだと思う。一回会えば忘れないだろうから。
 
 もう将棋関連の仕事から遠ざかっているので、さすがに現在の若手棋士は縁がない。世代的には渡辺明名人くらいまでではないか。しかしそれ以上の年齢の人は必ずその名を知っている。湯川博士の名を言えば、「あぁ、あの人ね」(中には、「あぁ、あいつか!」という人もいるはずだ)となる。その顔の広さで、将ペンはだいぶ救われている。今年の木村晋介会長との対談は渡辺明さんだったが、やはり名人という旬な時期に対談に応じてくれたのは、湯川夫妻の影響力あってのことだと思う。
 
 湯川博士の人物像を一言で表現するなら、「豪傑」。将棋ペンクラブの重要人物だが、大山康晴タイプではなく、升田幸三タイプだ。
 
 豪傑には、ケンカ的なイメージが付きまとうものだ。腕力面でモノゴトをまとめてしまった、というような。
 湯川さんにもそのようなイメージがあるが、そばで見ている印象では、湯川さんは「小競り合いが多い」といった感じだ。
 
 小競り合いというといかにもセコく、豪快さとは正反対に思えてしまうだろう。しかしぼくは、小競り合いを起こすタイプには2種類あると思っている。
 1つは、本当にチマチマした性格で、なにかちょっとしたことにつっかかる人。
 もう1つは、大きくなりそうな争いの火種を、小競り合い程度に収めてしまう人。
 湯川さんは2つ目の方。揉め事を、なんだかうまく収めてしまう。
 
 かなり以前のことだが、女流棋士が主催した大会で、湯川さんが審判員を頼まれた。まぁ審判員という名の用心棒なのだが、将棋はやはり勝ち負けの世界なのでちょっとしたいざこざが起きることがよくある。そういった場面がおとずれたとき、湯川さんが「顔」と「デシベル」を使って収めるという寸法だ。
 
 途中で、やはりいざこざが起こった。2手指しだったかなんだかで、双方が譲らず膠着状態だという。すぐ湯川さんが呼ばれて、その場に行った。
 
 対局者の1人は、いろんな大会でよく揉め事を起こす男だった。湯川さんはその顔を見て、あぁこの男かと思い、そしてさらっと盤面や周囲に目を走らせた。対局者は相手の剣幕に押されて小さくなっている。
 
 状況を確認した湯川さんは、その男を指さして、
 
「あんたが悪い。あんたの負け」
 
 と言った。
 
 元々揉め事を厭わない男が、いきなりそんなことを言われたのだ。頭から湯気を出して、見てもいないのになんで分かるんだと、食ってかかった。
 
「あのね、裁判だって全部を把握することなんてできないから、おおよその状況で判断して決めるモンなんだよ。これ見りゃ、だいたい分かるよ」
 
 一応正式な審判員なのだから、相手の剣幕には乗らず、(湯川さんなりに)キチンと説明した。でもそんな言葉で男の怒りが収まるものではない。ましてや人の目が集まっているのだ。引っ込みだってつかない。男は、こういったときによくあるセリフを吐いた。
 
「おい表に出ろっ!」
 
 湯川さんは平然と、「いいよ」。
 
 男を先頭に、静まりかえった対局室を出ていった。2人が出ていった扉を、その場の皆が心配そうに見つめていた。まぁこの場面はぼくの脚色だ。実際には分からない。案外皆さん、揉め事なんか頭にも入らないで、一心不乱に指し続けていたのかもしれない。将棋を指さない人はまさかと思うだろうが、盤面に没頭すると周囲のことが頭に入ってこなくなるのだ。その昔将棋センターで、負けた男が絶望してその5階の部屋から飛び降りたのだが、だれも気が付かなかったという。警察が事情聴取にドカドカと入ってきて、ようやく知ったというのだ。でもとりあえず、ここでは、皆が見つめたとしておく。一般の感覚で、ドラマっぽく。
 
 男のうしろに付いて廊下を歩いていた湯川さん、男の肩をポンポンと叩いた。振り返った男に、
 
「ま、おれも言いすぎたよ。わるかった」
 
 と、あやまった。すると男が、ニコッと笑ったのだ。
 
 うまい引き具合だ。湯川さんは、あんたはけっこう有名人だから、まぁ今日ぐらいはおとなしく指していきなさいよ。そんな日があってもいいでしょと諭し、2人で対局室に戻ったという。
 
 そしてそれ以降、男は将棋大会で湯川さんに声をかけてくるようになったという。
 
「声かけてきてね、湯川さんの本買ったからサインくれなんて言うときもあってね。結果的に読者ひとり獲得しちゃったよ」
 
 と、そのときのことを、おオチをつけて話してくれた。
 
 この話のようなことを、他にも聞いた。本人は単なるおもしろエピソードとして語ってくれているようだが、すごい折衝能力だなぁと思うのだ。揉めたあと、その相手と親しくなるというケースが実に多い。
 
 湯川さんは、豪傑タイプに思えてしまう「見てくれ」でもあるので、ケンカ好きだと誤解している人もいるようだ。しかし、まったく好戦的な人間ではない。ケンカ好きだったら、相手の矛先を抑えることを得意技になんかできないだろう。もっとも、夫婦喧嘩は好きなようだ。
 
 
  
 棋聖戦第1局は、藤井聡太棋聖が少し優勢になったようだ。とっくに駒がぶつかっている空中戦だが、まだまだ続きそう。

書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。