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うっかりハイジャックされないために

私は英語とフィリピン(タガログ)語を話せる。あと、日本語、一応標準語と関西弁。このノートでは関西弁をメインに使ってこうかと考えてる。

ああ、めんどくさいが最初に言っておく。フィリピン語もフィリピノ語もタガログ語も同じ言語だ。国語とするか、公用語とするかで呼び方も時代と変わっていって、その昔ピリピノ語と言われた時期もあるし、今でもタガログの方がフィリピン人自身もよく使っている。でも、ここでは統一して、フィリピン語としておく。

で、このコロナの時期に、この数年ずっとやりたかったができなかったことを始めた。フィリピン語の再勉強。

通訳としてフィリピン語も日常使っているが、再度自分が足りないと思うことを学びだすと、これがもう面白いのなんの。入ってくる収入減ってるのに、投資と称してインプットにお金かけてる。この背徳感がまた勉強の楽しさに拍車をかける。

言葉を学ぶと、いかに考えずに口からポンポン適当に口走っているかがわかる。あ、語弊があるといけないから言っておくが、もちろん通訳の仕事の時は瞬時に1番的確と思われる言葉を選んで話しているので、適当に口走ってるわけではない。うん、そのはず。

先日、ナイヤビンギというお店の名前を、グループで話しているときに、ビリヤビンギと言ってしまった。一瞬誰もが、うん、となってからすぐに、ううううんん???と、頭の良い人から間違いに気付いてくれた。たぶん間違ってることに気づいたのは、私が最後だ。そのくらい、全部、“そんな感じ”で喋っている。だから、うちのダンナさんは話を聞いていて、おかしい⁈と思ったら、私の発言をすぐにググって訂正してくれる。まあ、それさえも、ああ、そうそう、そんな感じ、とざっくり扱う私は人でなしだが。

AIにできること、できないこと

これは、私が数年こだわっていること。AIに任せた方がずっと正確で早くていいこともたくさんある。10年後になくなる仕事、なんていうのも定期的に取り上げられる。うちの地元も、市役所の人事採用ポスターにも使ってた。

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AIにできないこと、私にしかできないこと。これは、これからの時代の基準の一つになっていくのでは?と私は思ってる。

いつだったか、専門学校の生徒募集の看板のキャッチコピーがAIを超えていけ、みたいなのをみた。

でも、私は人間はAIを超えることはできないと思ってる。だって、人間だもん。急に相田みつおさんになるが。

超えるとか負けるなとかじゃなくて、別ベクトル。任せられることは任せてお願いしましょう、と思う。最初の、ビリヤビンギで笑いをとるなんてAIにはできないこと。いや、別に取りに行ったわけじゃないけど。地元の有名なお店の名前で、同じ地元の人間で集まって、そこでうっかり間違えて、ちゃんと気づいてくれる人がいて、笑って終わる。人間じゃないとできないこと。いや、別に自分を正当化してるわけじゃなないよ。あれ?いや?してるか。

ポケトークにさんまさんを起用

簡易自動翻訳機のポケトークのCMに、明石家さんまさんを使ったのは、成功であり、大失敗でもあるよなーって勝手に思ってる。←いや、ほんま誰目線?

おもろい喋りの代表みたいなさんまさんの言葉を瞬間に英語に変えるってすごいこと。ちゃんと関西弁でも変換できるように対応してるんだ。弾丸でしゃべり続けられても、電池?充電?が切れるまで付き合えるAIはすごい。

でも、それはあくまでも話してる内容の置き換え。さんまさんの面白さは、何一つ伝えられない。

私が、それ下さい、っていうのも、

さんまさんが、それもらおうかな、というのも

同じテンションで訳される。

ただ単純に通じたらいいねん、わかればいいねん、ということであれば多いに活用する価値あり。でも、店員さんと、現地の人と旅の会話を楽しみたい、という目的だったら、要らない。ジェスチャーでも、片言の単語並べる英語でもいい。あなたの聞きたい、伝えたいという思いに正解はないし、相手が理解しようと寄り添ってくれる姿勢にあなたはそのお店が好きになるかもしれない。映える写真にしてインスタにアップすることで、世界にその気持ちを発信できるかもしれない。

だから、ポケトークにさんまさんを起用したのは、コマーシャル面白くはしてるけど、ある意味、面白い人はポケトーク要らんし、あってもなくても面白いし、そんだけコミュニケーション取れる人が自分でそれ言えたらもっとおもろくなる。それって、ポケトーク要らんくない?と、ジョーシンのポケトーク売り場の小さな画面から流される動画を見ながら思うのだ。まあ、そんな視点で見るやつもそうそういないだろうから、余計なお世話だって言ってしまえばそれまでのこと。

ハイジャックから自分を守って

人は影響を受けやすい。いつも人を非難している人と時間を多く過ごすとついつい一緒に文句を言いたくなる。小難しい本を読むのが好きな人は、喋っても漢字が多い文章的な話し方かもしれない。

話している言葉はその人の思考の一部で、同じことを伝えるのにも、意識的無意識的に、その人にしか使えない言葉を選んでいる。だから、流暢でなくていい、正解でなくてもいい、自分の言葉で相手に伝えよう。Google先生や自動翻訳機は便利だし、ざっくり内容を把握したい、時間節約したいなんて時は全然利用してもいいと思う。でも、感情に触れること、相手が人の時は、誰かに任せたり、AIの置き換えではなくて、訥々(トツトツ)でいい。誰かにハイジャックされた、自分の心の外からの言葉ではなく、あなたの言葉で伝えてほしい。

そのための方法がわからない時は聞いてほしい。あなたが伝えたいことは何なのか、どんな風に学ぶのがいいのか、あなたにあった方法を一緒に考えよう。

言葉を学ぶことは、あなたを知ること。誰にもその大事なあなたの心をハイジャックさせないで。

世界平和は可能と信じてます💖