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そのお金は、未来を向いているか

あの頃毎日、唯一外に出れる自由時間で待ち遠しかったランチの味は、今となってはほとんど思い出せない。

恵比寿というお洒落なランチが充実している街で、一年前の私は毎日会社の仕事から逃げるように一人の空間に逃げ込んでいた。
グルメ激戦地と呼ばれるこの街では、大体お気に入りのランチを座って落ち着いて食べるためには平均して一食千円が必要だった。
一時間の逃避行という時間制限の中で、色々なランチ店を探しまわっていた。

思い返すとチームの雰囲気は悪くなかったし、何から逃げていたのか分からないけれど、とにかく会社の人が行かないような遠くのお店へ行きたかった。育児休業から復帰したばかりで、気が張って疲れていたのだと思う。生きるために必要な食事だった。

ご褒美に行くお店は、千円以内で食後にコーヒーが飲める場所と決めていた。中でもホットコーヒーを頼んだら、ポーションじゃないシルバーの器に入った牛乳が付いてくるお店が特にお気に入りだった。

でもあんなに通い詰めて大好きだったカフェの食事は、iphoneの写真フォルダをどんなにスクロールしても1枚もなかった(10個集めると1食無料になるポイントカードが3回も満タンになるまで通い詰めていたのに、こんな生活が当たり前に続くと思って撮らなかったのかも知れない)。

色々あって忙しかった会社を辞めた今、私の写真フォルダを埋め尽くしているのは、パパの表情になった夫と愛娘が仲良くゴハンを食べている写真だ。3人家族だから、私は写真を撮る側になって写っていないのだけど、見た瞬間に周りの状況をありありと思いだせる。

ほとんどはファミレスやフードコートが中心で、どのお店も一食は数百円だ。恵比寿では下手をすると、カフェ代と同じ金額だ。それでも不思議なもので、あの頃より味や状況を鮮明に思い出せる。

恵比寿であちこち食べ回ったランチはどのお店もそれぞれに美味しかったということは思い出せるのだけど、その時スマホで見ていたニュースや読んでいた本、考えていたことは一切思い出せない。
覚えているのは、現実逃避のために片手でスマホをスクロールし、淡々と食事をしていた記憶。

それなのに、今では一枚の写真を見るだけで情景が浮かぶ。
フードコートで頼んだラーメンを、子ども用チェアの下に飛び散らせて満面の笑みをこぼす娘の姿。
私がそのとき頼んだ期間限定メニューのグリーンカレーの具材はなぜかシーフードで、ちょっと微妙かも?と感じたこと。

味だけじゃない。一枚の写真だけでその時に起こった出来事、そのときの感情まではっきり、くっきり思い出せる。
食べさせたり取り分けることに必死で、自分の料理が冷めてしまったこと。まだ離乳食中で一緒に食事を食べられない娘が、ラーメンをパパが食べ終わるまでじっとベビーカーの中から見つめていたこと。

葉物サラダとカリッとしたフランスパン、日替わりのメインディッシュで魚か肉が選べる1プレートに食後のコーヒーまで付いたお一人様ランチの方が、世間から見れば贅沢だろう。
でも東京二十三区外の郊外チェーン店で娘とシェアするかけうどんと、取り分けない親用の一人分のうどんに、今はとても幸せを感じるのだ。

家賃や住民税など、生きていくためにかかるお金、というものがある。ちょっと肌触りのいいトイレットペーパーを選ぶなど、贅沢や可能性、選択肢を増やす手段も、きっとお金だ。

でも、そういう次元ではなくて、活きたお金の使い方、というものがある。お金は金額も影響するけれど、それ以上に使い方や使う状況の方がずっと大事だ。

自分一人のストレス解消に使っていた千円と、家族の思い出作りに使う千円は、支払いは同じ1000円札なのに全く感情が違う。どちらが良い悪いではなく、自分が主体的に意味を持って支払うことが大切なのだと思う。
豊富な選択肢が溢れる現在、例えお金持ちでなくても、私たちは状況に合わせて「選べる」自由があることは忘れずにいたい。

もちろん恵比寿での美味しいランチの一店一店に罪はなく、当時の私には、仕事を頑張るために必要な消費だったのだと振り返ってみると思う。
でもこれからは単なる「消費」でなく、体験や感情をくっきりと思い出せる「投資」的な使い方をしたい。
逃げるように、忘れるために支払うお金ではなく、自分の幸福度を上げるような、活きたお金の使い方をしていきたい。

それはきっと世界を広げ、自分の人生をもっと楽しく彩ることにつながるから。

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