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誠樹ナオ『自然毒の使い方教えます』

 築山の奥深く、懺悔室に堕天使がいる──
 この学校に伝わる噂を耳にしたのは、二週間前のことだった。
 隠れるようにひっそりと佇む教会のポストに殺したい人の名前を書いて入れておくと、さらに一週間後、同じポストに返事がくるという。
 そんな怪談か都市伝説みたいなこと……嘘に決まってる。
 嘘だと思いつつ手紙を入れておくと……本当に一週間で返事がきた。
 そこに書かれていたのは、今日の日時と告解の指示だった。


 小学校から高等学校まで続くカトリック系女子校の校舎は、敷地を鬱蒼とした緑の築山に囲まれていて、その奥に使われなくなった教会が残されている。昭和に入って校舎の改築が進み、講堂の中に併設される形で礼拝堂が設えられてからというもの、ほとんどの生徒は存在すら知らない。
 私の妹と分家筋の悟の仲が深まり……例の手紙に縋った私は、教会を目指して築山に足を踏み入れていた。
 妹といっても、血の繋がりは半分だけ。幼い頃にお母様が亡くなって、一年も経たずに父が再婚した。その後妻と父の間にできた妹だ。
 下校時刻を過ぎてから学校に残っているだけでも、先生に見つかりはしないかと冷や冷やしながら身を隠すように地面を踏みしめる。日が落ちかけた薄暗い築山の中では、いつもは可愛らしいヒヨドリやキセキレイ、ムクドリの鳴き声すら敏感に耳に響く。土の感触を踏みしめながら奥に進むと、やがて古びた木造の教会が姿を現した。


 恐る恐る重厚な扉を押すと、事前にもらった手紙に書かれていた通り鍵は開いていた。
 人が十数人も入ればいっぱいになりそうな教会の中は、木製のベンチが並んでいて、正面には十字架のかかった祭壇がある。祭壇の後ろにはイエス・キリストの復活をモチーフにしたステンドグラスが嵌っていた。
「綺麗……」
 どうしてこんなに美しい教会が、遺物と共に放置されているのだろう。
 十字架の下には、亡くなったキリストを抱えて嘆き悲しむ聖母マリアをモチーフにした彫像、ピエタがある。ステンドグラスから差し込むオレンジ色の光が、悲しげに目を伏せる聖母マリアの横顔を照らしていた。
 人を慈しむ心、親愛、無償の愛……
 美術品としてのピエタに胸を打たれるけれど……母が亡くなって以来、どれも私には無縁のものだった。
「懺悔室って……どこ?」
 見回すと、祭壇の横に人一人が入れそうな箱状のブースがあった。扉がなければ、部屋ではなく柱か何かだと見落としてしまいそうだ。
 冷たい汗が背筋を伝った。緊張しながら扉を開けると、置いてある小さなスツールに腰を下ろす。正面の壁には、木製の格子が嵌った窓のようなものがあった。
「用件の割に呑気だね」
「……っ!」
 座るとすぐに、格子の向こうから囁くような声がした。
「あの……は、初めまして、あの……」
「挨拶はいいよ」
 男の子……?
 同い年くらいの若い声だった。若いというより、幼いといってもいいかもしれない。きっと彼が歌う賛美歌なら、教会を静謐な美しさで満たすだろう。
 そんな声の割に口調は偉そうで……どちらかと言えば感じが悪い方に入るかもしれない。


「で、ランクは決めてきた?」
「決めたっていうか……」
 悪魔はもともと天使だった。神に逆らい罪を犯し、堕ちた天使が悪魔になったのだ。彼の涼やかな声と尊大な口調の乖離に、旧約聖書のイザヤ書を思い出す。
「まだ迷ってるわけ?」
「だって……」
 何度か唇を惑わせて、声を震わせる。
「こんなこと初めてで……」
「大体の人は初めてなんだけどね」
 クスクスと歌うような声で彼が嗤う。
「まあ、いいや。そこにポストがあるでしょ。手を入れて」
 確かに、よく見ると格子窓の隣にポストのような投函口がある。躊躇いつつも手を入れると、渡されたのは一通の封筒だった。
 開けてみると、一枚の用紙と液体が入った小さなアンプルが入っている。
「今から説明するけど、内容を覚えたらその紙は捨ててね」
「捨てる……?」
 どこにでもありそうなコピー用紙にパソコンでタイプされた文字は、一見すると料理のレシピにしか見えない。
「こっちの証拠は何も出てこないと思うけど。君の方は今、素手で触っちゃってるし」
 紙に証拠が残る可能性を示唆されて、慌てて何度も頷いた。
「も、もちろん、ちゃんと捨てます……!」
「呑気な割に締めるところはしっかりしてるね」
 クスクスと笑って、彼は話し始めた。
「結論から言うと、オススメはニラレバだね」
 これから私がしようとしていることと出てきた言葉とのギャップに、訝しげな声が出てしまった。
「ニラレバ……?」
「ニラは今が旬だし。栽培しやすくて、5月くらいまで一つの株から3回程度は収穫できる。栄養価が高いし、君の家の畑でもよく栽培されてるでしょ」
「確かに……うちにもあるけど。どうして知ってるの?」

 家庭菜園は後妻のあの女の趣味だ。元々、使用人だったあの女が慎ましさを父にアピールするために始めた。晴れて妻の座に収まってからは、母の遺品を次々に自分のものにするくらい、元来は強欲な女のクセに。
「君の家、たまに親戚筋を集めて庭でバーベキューするよね」
「するけど……」
 この依頼をするにあたって、私は自分の名前すら出していない。
 ただ、妹と悟を酷い目に合わせたいと書いただけだ。妹に関しても、名前しか書いていない。
 ……でも、対象を書いた時点で、こちらの素性なんてわかってしまうものかもしれない。
「言っとくけど、君の素性なんてこっちにはどうでもいいことだからね」
 ますます背筋が寒くなって震える私に、彼は心底どうでも良さそうに話を続けた。
「この新型ウイルスで騒がしいご時世に、バーベキューなんかやるかって感じだけど……妹は悟くんに会えなくて業を煮やしてるんだろ?」
 妹。
 やっぱり、この人は……ターゲットが私と姉妹であることを知っている。
「あのさ、いちいち怯えないでもらえるかな」
「だって……」
「こっちは依頼に必要なことを調べただけだから」
「本当に?」
 表情は見えないけれど、彼が小さくため息を零したのがわかった。
「こっちだって運命共同体だからね。殺人の共同正犯や殺人教唆は、実行犯と同じくらいの罪になることもある」
 ……そんなリスクを負ってまで、なぜ私に殺人の方法なんて教えてくれるんだろう?
 この人は……誰なんだろう。
「とにかく……君の家族は妹に甘いから、バーベキューの話が出れば開催されるだろうね」
「そうだと思います」
「むしろ君が自粛を進言すれば、余計に強行しそうなタイプだ」
「……でしょうね」
 疑いの余地がないのが悔しい。


 そもそも、両親がおとなしく自粛をするタイプではない。家族で集まるのに、誰の許可がいるのかと言うに決まっている。
「そういうのは利用するに限る。近々、バーベキューが開催されるように仕向けることはできるでしょ」
「仕向ける……?」
 うちの家族の性格を利用しようだなんて、考えたこともない。
 彼の意図がわからなくて、首を傾げた。
「君の家の人はみんなレバーが嫌い。でも、悟くんはレバーが大好物なんだよね。知ってた?」
「……知ってます」
「妹は知ってるのかな?」
 ……ここまで全て知られているなら、仕方がない。
 私は腹を括った。
「妹は、悟の好みは知らない。私は子どもの頃、悟の家に泊まったことがあるから知っているけど、妹が生まれてからは悟の家がこちらに来るから」
 うちは本家で、悟の家は分家だ。
 分家筋の悟に、本家で出されたものに好みを主張できるはずがない。うまくいけば、いまだに女子しかいない我が家で入り婿として求められるかもしれない……この状況では尚更だ。
 妹の方も、悟が父のお気に入りなのを察して私を出し抜こうとしている。
「それは好都合だね」
 彼がニヤッと笑った気配がして、説明を続けた。
「バーベキューが終わる頃に、妹の耳にこう囁いてやれば良い。『悟くんの好物知ってる?』って」
 妹のその先の行動は容易に想像がつく。
 妹のことだから、悟の前で株を上げたくて追加で作ってあげようとするに違いない。
「レバーは誰も食べないってことだけど、調理実習のために買っておいたことにすれば良い。幸い、次々回の調理実習のメニューに炒め物が入ってるよね。しかも、食材は自由に選択できる」
「よく……知ってるね」
「言ったでしょ。絶対に証拠が残らないって」
 自信に満ちた声に、思わずこくりと頷いていた。
「バーベキューの日程をその前後に合わせろ」
「どうやって……?」
「バーベキューは、後妻の彼女が手抜きしたい日になるんだよ。主要な使用人の一人に、観劇のチケットでもやったらどうだい?千代さんは舞台が好きだろう」
「……」
 どこまで調べ上げられているのかと、言葉が出てこない。
「バーベキューの終盤には肝心なニラがなくなっている。だから、畑で採ってきてあげたら?って妹に囁く。ニラの畑は池のすぐ側よって」
「池のすぐ側って……」
「畑の一番池側にニラが植わってるのは嘘じゃないよ。でも、池のすぐ側にはもう一つ植わっているものがある。もう少し季節が進めば、芳しい、白と黄色の花を咲かせる……あの美しい植物だよ」


 それから数日後。
 『彼』の元には新聞記事が届けられていた。
「最高ランクで実行したのか……やっぱりね」
 記事に目を落とすと、彼はほくそ笑む。

 神奈川県横浜市の旧家で水仙がニラと間違えて誤食され、遊びに来ていた少年が頭痛や吐き気、下痢などの症状の末に死亡した。水仙はニラレバの具材に使われていた。同県食品安全対策室によると、水仙に含まれる毒性成分が原因で不幸にして重症化したものだと思われる。
 スイセンは、葉がニラに、球根がタマネギや山菜のノビルに似ており、食中毒は4~12月の花が咲いてない時期に多く起きている。
 厚生労働省の「自然毒のリスクプロファイル」によると、スイセンは全草が有毒だが、特に球根に毒成分が多く、致死量は含まれるリコリン10グラム。海外では死亡例も報告されている。食べて30分以内で吐き気や下痢、発汗、頭痛などを起こす。厚労省は有毒植物による食中毒対策として、家庭菜園で野菜と観賞植物をいっしょに栽培しないことを呼び掛けている。

 続いてSNSの反応を見る。
「この新型ウイルスで自粛ムードのご時世に、家族や親戚が集まってバーベキューね。それで死んでれば世話ないよね」
「子供が被害にあうなんてかわいそう」
「親はなんでそんな危ないところに、水仙なんか育ててたんだろう」

 カタンと音がして、懺悔室に彼女が姿を現した。
「うまくいったみたいだね」
「ええ」
 晴れ晴れとした笑顔は、ここに初めてきた時の彼女とは別人のようだ。
「渡したリコリンは使った?」
「ええ。だって、リコリンの致死量って10gなんでしょう?ニラ1束で100gだし、到底水仙の葉だけじゃ死にそうになかったから」
「作った料理に対して多く成分が検出されるだろうけど、実際に水仙を食べてるわけだし、安心していいよ」
「うん、警察も事故だろうって。致死量には個人差があるからって。このご時世で、なかなか病院が受け入れてくれなくてたらい回しにされたのも、幸いしたみたい」
 たらい回しが……幸いね。
 彼が口の中だけで小さく呟く。
 その言葉がどれほど矛盾しているのか、彼女自身は気づいているのだろうか。
「でも、水仙のリコリンと、もらったリコリンって成分が違ったりしないの?だって、化学的に生成されたものなんでしょ?」
「その可能性も限りなく低いね」
「……もしかして、あなたが作った?うちの水仙から……」
「企業秘密」
 彼の言葉に、彼女はクスクスと楽しげに肩を揺らしている。怪しまれるとしたら、この彼女の心の機微に気づく人物だけだろう。
 今、家族の中でこうして心から笑っているのは彼女だけに違いない。
「本当に、お礼は私がこうして顔を見せに来るだけでいいの?お金は?」
「そんなもの要らないよ」
「本当に、いい気味。後妻のあの女も、妹も、父もみんな世間に叩かれてる。あの女と妹に、手のひらを返したようにすり寄った悟も目の前から消えて……せいせいしたわ」
「妹や後妻は殺さなくてよかったのか?」
「そんなの、ダメよ」
 うっすらと口元だけが弧を描く。
「私はこれからも、意に染まない家族と一生付き合わなければいけないのよ。彼らも悟を自分たちが殺した罪と、一生付き合えばいい。死んで楽になんかさせないわ」
「そう、それが聞ければ十分だ」
 彼の言葉に応えるように、今度は彼女が冴返る月のような笑顔を浮かべた。

 俺が見たいものは、この笑顔だけ。
 人間の中に眠る底のない悪意を証明する、この笑顔だけ……

「では、またのご用命をお待ちしております」
 懺悔室の小窓が音も立てずに静かに閉まった。

(了)

誠樹ナオTwitter:@masaki_writer

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