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舞神光泰『よるの独白』

 まだ夜も明ける前に私は自転車を漕ぎ出す。
冬の街は静まりかえり、光るものだけがイヤに存在感を放つ。街灯、信号機、コンビニ、看板。折角の暗闇に水を差している。でも一番邪魔なのは私で、通る度に静寂と闇をかき乱していく、ペダルを回す度にどこかがギィと小さく鳴く、ライトは左右に揺れてまだ寝ていたいはずの闇を起こしてしまう。そんなつもりはちっとも無いのに。街の闇は私の方をイヤな目つきでジロジロ見てくる。静かな街を風のように通り過ぎてみたいのに、私だけがブサイクで悪目立ちしている。

 たぶん、私の頭には氷ができている。そうでも思わないとやっていけない。
小さい頃は泣き虫で、ちょっとでも嫌な事があるとビービー泣いて母を困らしていた。最近はちっとも泣いていない、当然かもしれないが、子供の頃の私を思い返すに不気味なほど泣いていない。そのせいで出て行くはずの水が頭に溜まっていく、そして冬になると氷になって、にぶい頭をもっとダメにする。とにかく冬の私はアレさに拍車がかかっている。なんでこうも全部が下手くそなのか。
 自転車のライトはブサイクに街を照らし続けた、まだまだ夜明けは遠いのに。

 いつもなんだか思ったのと違う方へ来ている。大学を出たのは何年前だろう? なのにまだ実家に住んでアルバイトをしている。別にイジメられたワケでもなく、就活に失敗したとかそんな理由もない。誰かに見られないように朝の5時から郵便局で仕分け作業を繰り返している。家から自転車で20分かかるから4時半には家を出なきゃいけない。毎朝4時に起きてトイレに行って歯を磨いて着替えて、昨日の夜の残りを少し口に入れてまた歯を磨いて出かける。化粧はしない。大きな眼鏡とマスクが顔を隠してくれるから見せる必要がない、なんなら口にはうっすらヒゲが生えているがイチイチ気になんかしてられない。
「あんたは繊細なんだかズボラなんだか」
母に部屋の片付けをされながら言われたのを思い出す。
「りょうほう」
ぶっきらぼうに答えた私の部屋は机の上だけが綺麗でベッドには洋服が散乱して、床には本がタワー状に積まれて並び、道を作っていた。
 私はなんでこんな感じなんだろう、どこから間違っていたんだろう。そんな事を考えて今日も静かな街を自転車で汚していく。タイヤが歪んでるのかライトが無闇に左右に振れる。
 自転車屋に見せたがどこも悪くないですよと笑ってかえされた。あの笑みはいったいなんなのだろうか? 自転車じゃないとすれば私の体からなのか。

郵便局の仕事は簡単で重たい荷物を地域ごとに割り振られた台車へと乗せていくだけだ。
「お姉ちゃんいつもマスクだね」
ドライバーのおじさんがたまに話しかけてくる。若い女というだけで価値があるみたいで私みたいなのにもちょっかいを出す。
「風邪で」「花粉症で」「喉が痛くて」「コロナが怖いんで」
そんな回答でもおじさんは嬉しそうに笑って。
「そっか体に気をつけてね」
と言って荷物を自分のトラックに積み込み直していく。別に悪い事をしているわけでもないのに微妙な罪悪感が積もっていく。朝5時から8時間しか働いていないから、休憩を入れても14時半には家についてしまう。なにかやりたいことがあるからこの時間に帰っているというわけではない、行こうと思えば夜間に授業をしている専門学校や趣味のスクールにも通えた、でも毎日ひどく疲れていて、それを理由になにもせずにただベッドに転がっていた。重たいものをあっちからこっちに運ぶ単純労働は達成感があるし、疲労感もある。でもそれだけで、ただそれだけだ。

 私の住んでいる地域は12月の中旬になると毎年雪が降ってくる。豪雪地帯ではないから、積もる程でもなく、半端に溶けて次の日には氷になる。なにが問題かと言えば、こっちに越してきた東京の人は雪かきをしないし、ゴム長靴を履かないから転んでしまう。5年くらい前に雪が降った時は、お向かいの東京から引っ越してきた家の前の坂道がすっかり凍ってアイスバーンになって、お婆さんが転んで骨を折って何故か我が家に慰謝料を請求してきた。
「自分の家の前ばかり掃いてこっちへの配慮がない」
「そっちの雪をコッチに避けたんじゃないか」
などとアリもしない事を言ってくる。東京モンがエラいという50年前の価値観で未だに生きている。当然支払いには応じなかったが、それ以来恨みがましく杖をついて散歩と称した見張りを我が家に仕掛けてくる。
 それから私は積極的に雪かきをするようになった。しかし今は朝の5時から働いてる身分だから、全然そんな暇は無く。むしろ凍結した道路のあおりをまともに受けてしまう。

雪が降った次の日、私は長靴を履いて歩いて出た。自転車で20分かかるルートだから徒歩だと1時間近くかかってしまう。朝の4時に出発するため、その日は3時半に起きた。
街はいつもよりも静かで綺麗に見えた。ざくざくと誰もいない道をひたすら突き進む。大きな通りで高速道路にも繋がっている道なのに車は1台も見えなかった。それでもやっぱり私が邪魔で、夜の街にはひどく間抜けに映っている。いつまでもあか抜けないワックスをつけただけの大学生のような不細工さだ。
 大きな下り坂に来た。夏場は自転車で一気に下れる爽快感と時間短縮の最高のスポットだが、冬場は最悪だ。案の定、雪が道の端っこに避けられているが十分ではなく、凍結して滑り台のようになっている。前屈みになってガードレールを掴んで慎重に歩いていく、私はいつでも不格好だ。いつもそうだ。学生の時からただ黙っていただけなのに「聞き上手だ」と褒められたり、「悩んでいるなら相談してよ」と友達ごっこもさせられたりした。他人の苦しみが分かるという人間はみんな阿呆だし、他人に苦しみを分かって欲しいなんて言う奴はバカだ。

 私はバカにすらなれなかった。
そんな事を考えていたら派手に転んでしまった。きれいな尻餅だった。誰にも見せてあげられないのが残念だった。なんだか歩きたくなくなってしばらく座っていたら、電柱の影で何かが動いた。猫などではなく、小刻みに揺れてうめき声を上げている。尻から冷気が入ったのか、それとも恐怖なのか、背筋が凍りつくのが分かる。それでも確かめられずにはいられなかった。

 電柱の影でうごめていたのは、サンタだった。それも陽気に手を動かし腰を左右に振るクリスマスセールの店先でしか見た事のない彼だった。
何故こんなところに? たちの悪いイタズラか、酔っ払いがここまで運んできたのか、ノンモラルな家庭がこっそり捨てたのか、夜道で見る彼は不気味で絶え間ない笑顔でこちらを見つめている。
 気味が悪くなり離れようとした時、幼い頃の記憶が蘇る。オモチャ売り場でだだをこねて、終いには泣いて暴れている私、その指差す方向には踊るサンタがいた。母は困り果て、店員も困っていた。
「欲しいか、これ?」
ハッキリと声に出ている独り言だった。泣いてまで欲しがるものか? 小さい私は何に魅力を感じたのだろう、そっと彼を抱き上げてみた。

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