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【小説】KH1992『追憶』

今月はゲスト作家としてKH1992さんが登場です。
海と、暮らしと、息子と父の物語。

 燦然と輝く太陽が、半島より広がる一面の海、穏やかな小波へ溶け込んでいく光景に、ようやく美しさを覚えるに至った四十歳の夏。──こんな誰しもが持ち合わせる感情を得るのに、僕はどうにも遠回りをしてしまったらしい。この眺望を前にした自らの感情が、父との結びつきをより鮮明にしたものの、それらの淡い記憶が彼の目にどう映っていたのか。それを尋ねる機会をも抱いて、父は逝ってしまった。

 思い出される記憶。それは、父の度重なる転勤に付随する暗く薄寂しいものである。幼少の頃……とはいっても、既に僕の記憶から抜け落ちているものも含めれば、神戸の片隅に構えられたマンション、呉にあって瀬戸内を一望できるベランダ、漁港がほど近い新潟の社宅など、父の仕事の都合とはいえ、短期間で環境を変えざるおえなかったこの幼少期には、友人との別れや断念した淡い恋心など、そんな思春期の甘くも苦い経験が眠っているはずなのだが、当の僕は当時の揺れ動いただろう感情を、その欠片も認めることができない。
 それは引っ越しや転校に慣れ過ぎてしまった結果なのだろうか、それとも生まれついて何らかの要素が欠如してしまっていたのか。十代の終わり頃から、自身の静かなる心を奇妙とさえ思ったものだが、一番の要因として考えられるのは、目まぐるしく変化するその風景の影響だった。

 加工食品会社に勤務していた父は、やはりその転勤先においても海よりほど近い場所に住むことを余儀なくされた。太平洋、瀬戸内、日本海、その海は名称こそ違うが、基本的には不変な性質をもって、僕の胸に潮風を浴びせ続けていた。
「ほら、もうすぐ陽が沈んでいく」
 僕の手を引く父が、防波堤から身を乗り出すようにして、また背伸びをしてなんとかその眺めを見ようと努力している自らの子にも気が付かない様子で、水平線に溶けて行く太陽に目を奪われているのが分かった。まるで子供のような眼差しを保ち、こちらの手を握る力をも調節できないような有様で……。
「でも、どうせもう少ししたら父は転勤になる。この景色は、永遠に手に入るものではないんだ」
 諦めたような面持ちで、僕はその風景よりも、そばに立つ父の表情に目をやっていた気がする。彼の気持ちが、心が、美しいものを素直に美しいと思えるその耽美な人柄が、当時の僕が唯一興味を引いたものであることは間違いない。

 そんな父が定年を迎えて、選んだ終の住処が逗子だった。僕が二十歳をひかえた年でもあった。都内の下宿先から付近の大学に通っていた僕は、電車でも片道一時間はかかるだろう逗子への移動を面倒に感じて、その新居に顔を出すということはなかった。また幼い頃より常に視界の内に存在した水平線を、いまさら見るのも億劫だった。
 ──仕事をやめてもなお、海からは離れられないのねぇ。
 夕暮れ時、散歩に出たらしい父を見送った後、母はそんな小言のために、頻繁にこちらへ連絡を寄越したものだった。
「家のなかで閉じこもるより、好きな海の近くを歩きまわる方が、健康にもいいじゃない」
 何気なく応えた僕の言葉は、それでも呆れを孕んだ母の溜息に消えてしまったようで、彼女もまた、父が愛する潮風を酷く嫌っていた。
「……あんたも、たまには顔見せにいらっしゃい。よく言うでしょう。ほら、親孝行をしたいときに肝心の相手がいないって」
 気怠く返事をしたこちらの声は、いつも母の心を萎えさせるには充分であるように思えた。

 大学を卒業した年、僕は転勤が多いことで知られる大手商社に就職をした。はじめの数年は都内本社にて勤務していたものの、ようやく親交を深めるまで至った同僚たちは早いうちから海外転勤となり、彼らが帰国する度に呟いた「やはり日本の風は良いなぁ」という言葉に、僕は釈然としないものをもっていた。
「カナダの風は、日本とは違う?」
 空港まで出迎えた僕は、毎回そのような質問を投げかけたものだが、それに対し彼らは「明確に違う」とだけ呟いて、母国の排気ガスにまみれた空気を、さも美味そうに吸い込むのだった。
 やがて、僕にも婚期というものが訪れた。同僚主催の合コンに参加していた一人の女性。看護師だった。諸先輩方からよく聞いた指南のなかに、転勤族は看護師を狙え、というものがある。病院勤めの看護師は地方でも転職に困らず、こちらの度重なる転勤にも文句なく付いてきてくれる女性が多いとのことである。その真偽は分からないがいまにして思えば彼女はその指南通り、僕の転勤に文句を言うことはなかった。
「もし転勤するなら、どこが良い?」
 初めての会話で、彼女がこちらに聞いてきた。考え込むふりをして、
「海が見えないところが良いな」
 と言った僕に、彼女は口を押えて小さく笑う。おそらく冗談とでも思ったのだろう。その夜、酔いが深くなるにつれて、彼女の意外にも饒舌なところが見えてきた。僕と同様、親の転勤に振り回されて育った幼少期、友人も少なく、また恋人とも長続きしない状況が続いた思春期。我々が奇遇にも同じタイミングで神戸に住んでいたことを知り、当時まだ再開発も行われてなかった三ノ宮、ルミナリエのイルミネーションなど、様々な情景の記憶を口にしては笑う彼女の明るい性格に、僕は不思議と救われる気分になった。
 我々が唯一異なった点は、僕が移り変わる環境や風景に適応出来ず、脳裏に映る過去の眺望そのものを忌み嫌っていたことに対して、彼女はそんな数々の環境の変化を、まるで日ごと服を取り換える少女のようにして楽しんでいたことだった。
「鹿児島に住んでいたとき、高校生だったけど、父さんの同僚が家に遊びに来ては高い焼酎を飲ませるものだから、自然に口が肥えてきちゃった」
 僕は、笑った。
「北海道に住んでるとき、はじめて美味しいと思えるウニを食べたの。それまでは苦手だった苦みが、嘘みたいに吹き飛んじゃって!」
 僕は、ふたたび笑った。その後、こう聞いた。
「色々な場所に移り住むのは、嫌じゃなった?」
 彼女は笑顔で頷いたまま、僕の手を引いて店の外を見た。隣で会話をしている同僚に気付かれないよう素早いなりで店を出た我々は、タクシーを捕まえるために大通りまでの道を歩いた。はやる気持ちが抑えれない僕に、彼女は静かに呟く。
「でもあたし、海が好きなの」
「うん」

 妻の出産は、僕の転勤が決定する五ヶ月前だった。生まれたての娘を前に会社も少しの温情を見せてくれるかと思ったが、彼らが見せる温情は、単身赴任の手当てのみに留まった。ちょうど娘の夜泣きが増えだした頃、妻は困った表情を見せながらも態度は気丈な母のそれであり、「この娘の成長をそばで見れないなんて、残念だねぇ」などと言って笑っていた。
 ふたたび転居に苦しめられるサイクルに陥ったと思われた僕は、我々の家庭から抜け落ちるだろう長い年月を、はてしなくも思えるその月日を不安に感じた。妻と共に笑う娘のあどけない声が、それをさらに助長しているのは明らかだった。
 ──この娘はこれからの数年間、父の顔をよく覚える暇も与えられないかもしれない。また成長して僕の転勤に付き添うようになったとしても、その移りゆく環境に適応出来るかどうかは分からない。自らの父に対するわずかな恨めしい気持ちを、この娘も感じるときが来るのかもしれない。
 こんな思考を読み取ったのか、妻は僕の肩を優しく叩いて、
「あたしの子供だよ? 喜んでどこへでも付いてくるに決まってる」
 と、またしても少女のように笑う。
「それでもこの娘は、僕の血もしっかりと引いているんだ」
 口には出さなかったものの、しかし僕はこんな悲観的な想いを抱いていた。

 赴任先の引っ越しも落ち着いた頃、妻や娘からの着信を待ち遠しく思いながら、前にも増して連絡をしてきたのは母だった。直接世話が出来ない僕の代わりに頻繁に妻のもとを訪ねては、娘の遊び相手になっているようだった。またよく聞く嫁姑の険悪な関係性とは無縁であり、口を開けば三人でカフェ巡りをしただの、水族館に行っただのそんな彼女たちの余暇の楽しみを微笑ましく思える一方で、この僕、そして逗子に住む祖父といった二人の男の印象が、家庭より薄くなっていく事態に少しの寂寥感を覚えた。

 ようやく都内に帰ってきたのは三十代半ばを過ぎた頃だった。それまでに二度の転勤を経て、小学校に上がる娘の入学式に間に合うことを、僕はとても喜んだ。一ヶ月に一度、赴任先より帰宅して僕の顔を見せていたので、我々は他の家庭と大きな相違もなく父娘の関係を築けたのではないかと思ったが、入学式の前夜、
「次、お父さんが転勤になったら、一緒についてきてくれる?」
 流行りのゲームを背に隠しながらそう尋ねた僕に、彼女の答えは無情なものだった。
「ユミちゃんと遊べなくなるのは、嫌だなぁ……」
 結局、ゲームは娘の手に渡ることになった。
 そんな様子を妻は笑いながら眺めていた。僕が不安に感じていたことが実現しようとしている。それでも僕は、限られた我々の生活を愛することで、父としての責務をはたそうと考えたのだ。

「父さんねぇ、先月から身体が悪くて入院しているの。一度で良いから、顔を見せに来てくれないかしら」
 いつになく気弱な母からの連絡は、数年声も聞いていない父の表情を、それでも明瞭に浮かび上がらせた。それから、母はこうも言った。
「あの娘もきちんと連れてきてね。それが、一番の薬なんだから」
 父が入院している逗子の病院は、小高い丘の裏側、つまり相模湾とは反対に位置する場所に建てられていた。地中海沿岸を思わせる白い外壁に橙色の屋根、そんな住宅が並ぶ一角にあって、窓から海を眺めることが出来ない環境に父は酷く参っているようだった。
 久しぶりに見た彼の身体、腕は枯れた木枝のように細く、無数の皺が刻まれている。脚や胸、顔にしたって同じことだった。娘と妻をともなって訪れた初めての逗子に、僕は窓から海が見えないことを、父に内緒で喜んでいた。
「ここからの眺めは残念ねぇ。お義父さん、海を見るために頑張らないといけませんね」
 娘の手を引いた妻は、さもやり切れない表情の父を思いやり、慰めの言葉をかけた。父もまた暗い表情で頷くあたり、たしかに相当に参っているようだった。
 やがて娘は、病人の顔を見るのに飽きてしまったようで、その小さな身体をソファに寝かせたままいびきをかきだした。それを見た妻は、母と一緒に散歩に出かけてしまった。看病で大変な母を気づかってくれているらしかった。僕はというと、いまだ慣れない父の姿を前に、うまく口が開けないでいた。
「お前、まだ転勤は続きそうか」
 ベッドにて目をつむったまま、病人は言う。
「……うん。もう少し続きそうだね」
「あの娘は大丈夫か。転校は嫌がってないか」
「なんとかなるよ。昔の僕みたいに」
 僕がそう呟いた後、彼は頷きながら、数回激しく咳き込んだ。鈍く、切れのない咳だと感じた。
「不思議なもんでな、目をつむるとすぐそばに波が寄せて返す音が聴こえる。お前が小さい頃に駆けまわった海……。釣竿をもって、防波堤まで出かけたのは、どこの海だったかな」
 静かに語った後、父はなにも言わなくなった。その目は固く閉じられたままで僕を酷く焦らせたが、胸に置いた父の細い腕が軽く上下しているのを認めて、ようやく彼の言葉に妙な違和感を覚えはじめた。
 ──幼少期の記憶、そんなものは既に僕の頭の隅に追いやられてしまって、もはや不明瞭になりつつある。小さい頃、父に連れられて浜辺を駆けまわった少年。防波堤に父と並び、慣れない手つきで竿を振り回した少年。それははたして僕なのだろうか。暗い過去を従えている僕自身なのだろうか。分からない、どうにも腑に落ちない。しかしながら、母にそのことについて尋ねれば、いとも簡単に「あら、忘れちゃったの?」などの軽口を吐かれるのは明らかだ。

 久しぶりにクローゼットより引っ張り出した喪服は、どこかかび臭い。それでも僕は目を閉じ続けた父の横で、ただひたすらに喪主としての役割を演じなければならなかった。残された母はいまの逗子から移動することを嫌がり、ベランダから見える相模湾を父に代わって眺め続けている。
 休日、一人で逗子を訪れた僕は、もうじき転勤になるだろう季節の訪れを感じて、次の転居には妻と娘を連れて行く旨を母に説明した。言いづらい話ではあった。しかし、ほど良い潮風が我々を冷ましていくなかで、彼女は微塵もその寂しさだったり、気弱な表情をしないものだから、僕は心底救われた気分となった。
 僕はベランダに出て、あれだけ嫌悪していた海、水平線に沈みゆく太陽の力強い光を浴びて、その美しさを素直に享受している。もうじき訪れる遠い地での生活を想い、そして我々のような転勤族にあって、一瞬の切り取られた情景を得る喜び。かつて、僕はすべてが欲しかったのだ。そのすべて……父と母の愛情。友人との下らない遊び。永遠に続くよう願った淡い恋心。しかし、僕は決して優れるわけでもないこの記憶の中にそれらの感情を見つけることは出来なかった。もしかすればあの娘も、いつかは繰り返される転居においてなにかを嫌悪することとなるのかもしれない。
 しかし、永遠ではない。決して永遠には続くことのない我々の生、自宅から見えるなんてことない道だって、僕が過ごした一瞬の生に対していつかはその郷愁を感じさせるのだから不思議だ。 そしてこれから僕は妻と、娘と、それらの生をより深く共有していかなければならないのだ。自らが目を開くのをやめる、その瞬間までずっと。


 父は母の目を介して、陽の光がこぼれる相模湾を思う存分満喫したのだろう。彼の死から数年、ようやく自らの使命を終えたようにして眠る母の表情は、とても穏やかなものだった。父を前に、もう海などごめんですよ、とでも言い出しそうなそんな顔をしていた。

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