掌編小説『さくら満開』小野寺ひかり
『さくら満開』
教室まで続く長い廊下。忘れ物をした私は、友人を校門で待たせたまま、急いで教室へ引き返した。
一気に駆け上がる3階分の階段、キュッと音のなる上履き、少しだけ息が切れている。私の足音があちこちに響いている。
これは何かの予感?
今ここで振り向いたら、過去の私が今の私を見送っているようなファンタジーを想像してしまう。
「おいおい!待てよ」「ふざけんなって」もう誰もいないはずの校舎なのに、廊下までいつぞやのざわめきが、聞こえてくるようだ。「えーウソウソ!」「マジマジ」遅れてきたこだまの声かもしれない。
机にしまったはずの卒業アルバムがない。使い慣れた机をがたがたさせて、はっと気づく。
そうだ、さっき、母に手渡したんじゃないか。忘れ物なんかしてなかった。私はおっちょこちょいで、いつも、慌ただしそうなフリ。おかげでクラスメイト全員は視界いれないでよかったのかもしれない。彼らは私が見えていたのだろうか?視界に映らなかったクラスメイトも何か考えたり感じたりしたのだろうか。
それよりも明日から別の誰かのものになってしまう机のほうがよっぽど愛着があった。ちょうどいい高さの机。次に使う誰かのために、いや、この机のために何かしてやりたい気持ちに襲われる。
「いいやつですよ、きれいにつかってやってください」
ガラガラと教室の戸をあけたまま、廊下へ歩き始める。誰かに話しかけたいような黙っていたいような。
校舎裏にいる私は、女担任は3階の廊下から見下ろしていた。私だって何をしていたわけでもない。ただ、目があった時気まずい表情を浮かべた女担任の表情は、これからもずっと忘れることはないだろう。
一瞬でも早く校舎を出たいのに、名残惜しい気がして帰れなくなっている。あがった息もいつの間にか落ちついていて、今はペタペタ歩くと自分の上履きの音を聞いていた。下駄箱にはしまわないで、そのまま、手提げかばんにしまう。
「ごめーん」
校門で待つ友人に手を振って、駆け寄った。
「あったー?」
「あったあったー」
ウソをついたわけではなかった。確かに誰もいない校舎にあった、何かを私は手にしてきた――そんなファンタジーを想像してしまう。
満開の桜に。ひらひらヒラヒラと。
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Sugomori 2022年4月号
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