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事業を180度変革して、これまでになかった木との関わりをつくる

あらゆる業界には、常識が存在します。それは事業をスムーズに進めるためのものもあれば、実は大きな足枷になっているものもあります。

その常識によって、新しい発想がうまれにくかったり、挑戦の芽を摘んでしまうことになったり。かつての習慣のいいところは踏まえながらも、これではダメだと動き始める人には、この常識からどう距離を取るのか、がとても重要になってきます。

今回お話を聞いたのは、一場木工所の代表である一場未帆さんです。木材業という、日本の伝統産業の中で、そこで育まれてきた常識との距離を模索しながら、自分の信じる道を歩んできた、その道のりについて伺いました。



建材加工の専門家

1967年、木材の加工業者として一場木工所はスタートしました。時代は高度経済成長真っ只中。黒部ダムの型枠を制作するなど、日本の急成長とともに一場木工所もまた順調に成長をしていきました。

一場未帆さんが、家業を手伝うようになったのは、それから時代は過ぎて2003年。家の事情などもあり、事務を手伝うために帰ってきたのでした。

当時の一場木工所は、スタートした当時から変わらず、建材の加工をメイン事業としていました。住宅を建てるときに使われる様々な木材の加工、フローリング用の板材や鴨居や敷居などを作るための造作材、また住宅の骨組みとなる木材など、建築にまつわる木材加工を幅広く行なっていました。

そんな家業を事務として手伝いながら、一場さんはこんなことを考えていました。待っているだけの仕事でいいのだろうか。


「待つ」から「提案」へ

一場さんの疑問は、むくむくと膨らんでいきます。待つだけでいいのだろうかという疑問だけでなく、得意先とのつながりだけで仕事を受けている状態でいいのだろうか、仕事の忙しさにバラツキがあっていいのだろうか。

そのほかにも、幅広く建材を加工しておろしているにもかかわらず、自分たちの仕事の施工写真が一枚もないという現状など、一場木工所の置かれているポジションの難しさを、ことあるごとに実感していったそうです。

当時の社長であった父親が体調不良となり、周りからのアドバイスなどを受けながら、一場さんは社長になることを決意します。

ここから、一場さんの壮大な計画がスタートします。まず、考えたことは、事業の変革でした。「待つ」から「提案」へ、これからは二極化が進み環境に配慮した本物が求められる時代がくるという確信があった

そこで、自社の商品を作ろうと考えたのです。


「これが良いと思ってもらえる場所まで行きなさい」

小さい時から、カンナクズと触れ合ってきた一場さんにとって、木はとても身近なものでした。そのため、改めていうまでもなく、木は好きなものでした。そして、この好きを、木の魅力をどうやって伝えていくのか、そのために、一場さんは、ひとつひとつ丁寧に取り組んで行きます。

たとえば、いちば端材市と称して、端材でつくった木工の小物や家具を販売する市を毎月(2017年からは隔月)開催するようになりました。木に触れてもらうことで、木でできた商品を知ってもらう、一つの入り口と考えたのです。

また、木材でできたお弁当「森のおべんとう」という木のおもちゃのデザイン、制作をしました。触れているうちに、遊んでいるうちに、木によって温度が違うこと、硬さが違うことを実感できるおもちゃとなっています。


「森のおべんとう」

そのほかにも、広島の車の販売会社と協力して進めた、キッズコーナーの木質化を行いました。木製のキッズコーナーがあることで、親子連れのお客様にゆっくり滞在してもらえる場所になったようです。

このように、一場木工所は、それまでの建材加工だけでなく、自分たちの商品、サービス、体験できる空間をつくり続けていきます。その取り組みを見るだけで、ワクワクして木が好きになってしまう人が沢山いたはずです。

その一方で、このような変革には、どうしても誤解がつきものです。というのも、木材業の、特に広島県のそれは、建材のためのものや流通量の大きいものが、「正しい」ものと考えられていました。いわゆる「定説」と言われるものです。

そのような考え方の人からすれば、おもちゃなどは、「儲からないもの」「(木育は)ボランティアでやること」などと思われてしまうものでした。

このような心ない言葉を受けながらも、一場さんが自分の信じる道を進み続けてこれたのは、自分の中に強い思いがあったのはもちろんですが、それと同時に、尊敬する人からの言葉がありました。

「あなたが良いと思っているんでしょう、それなら、これが良いんだと言ってもらう場所まで行きなさい」

ブナの木を使った照明器具などを製造販売しているブナコの社長からかけられたこの言葉は、一場さんの中での一つの光となりました。


地域の経済を回す

一場さんがこれまで行なってきたこと、そしてこれからも行なっていくこと、それは、ある意味で業界の常識を裏切っていくものでした。その結果、木材業の一部の人からは理解されないことも多々あったのです。

それでも、一場さんが見据えているのは、地元にある山であり、林であり、里山でした。今では、山に入って木を伐る人がどんどんと減っていき、ボランティアとして伐ってもらうしかない、そんな状況も当たり前になってしまいました。

それは、雑木と言われる木々に価値がないと信じられているからです。里山の木のほとんどが、そうやって見捨てられてきました。林業・木材業の常識からすれば、そこにお金は生まれない、と。

この状況を変えていくために、里山にも、雑木の林にも、地元の山にも、ちゃんとお金が生まれて、経済が循環するために、一場さんは、いちば端材市などのイベント開催、森のおべんとうなどの商品開発、そのほか企業や団体とのコラボレーションなど、たくさんのことを行なってきました。本当に、たくさん。

どれだけ、それが小さいものであっても、価値がないと思われていても、そこに、個性があれば、魅力があれば、必ず商品になる。その価値をちゃんと伝えれば、それがいいんだと思ってくれる人はいる。一場さんはそう信じています。

社長に就任して、12年。時間はかかったけれど、いまやっと返ってきている、そんな気がします、と一場さんは話してくれました。


地域が潤うことによって、山を守ることができる、育てることができる、そして、植林も進んでいく。この当たり前の循環こそが、一場さんがつくっているものです。

環境を大切にしながら、人々が安心・安全に生活できる場所をつくる。そのために、まず身近にある森林に目を向ける、そのきっかけを作ること、その森林にお金が届くようにすること。そんなことを考え、行動し続けています。

そして、その先には、木のことを伝えられる会社であり、地域の人に喜んでもらえる会社になりたい、と。

そんな会社の思いを込めた「木育トラック」が動き出したのが、今年の1月です。

木育トラックのイメージ写真

このトラックは、ただ移動してイベントをするだけではありません。木のことを知ってもらうイベントやワークショップを開催し、体験の場所となるだけでなく、授乳室、育児ステーションとしても活用でき、また地域の木製品などを展示すれば、観光資源の活用も可能となるものです。

さらに、支援物資の運搬や、移動形wif、モバイルバッテリーを搭載しているため、緊急時、災害時の支援としても活用できます。

一場さんは、この木育トラックを日本中に増やしていきたいと考えています。木育の場所として、子育てのサポートとして、緊急時の支援として、木育トラックを全国に広めていきたい、と。



中小企業が変われば、日本が変わる。その思いをもとに、今まさに変わろうとしている、新しい挑戦に取り組んでいる、チャレンジしている中小企業をご紹介しました。

一場木工所の取り組みは、多くの中小企業に勇気を与えてくれるものだと思います。

それでは、次回のnoteもお楽しみに。