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〈オートバイ が 「単車」と 言われる理由〉

「オートバイ(オートバイク)」は、小型のエンジンを搭載した二輪車のことであり、道路交通法では「自動二輪車」に分類されます。 「オートバイ」は、第二次世界大戦後すぐまでは、荷物の運搬などを主流としていたため、庶民から人気だった側車付きの「サイドカー」が主流でした。 「サイドカー」は、バイク本体の方を「本車」、バイクでは無い方を「側車」と呼び、「本車」と「側車」を合わせて走行していたバイクを「サイドカー」といいます。 現在でも、「サイドカー」のことを正式表記では「側車付き自

    • 〈日本で黒いピアノが広まった理由〉

      日本で最初のピアノが製造されたのは、1900(明治33)年に、日本楽器製造株式会社(現 ヤマハ株式会社)のアップライト型ピアノである。 ピアノを黒くした理由は、湿気の多い日本の気候は、木目のピアノだと劣化する恐れがあったため、湿気に強い『漆』を使ってピアノを黒く塗装しているのである。 ちなみに、日本にピアノを持ち込んだのは、長崎・出島でオランダ商館医をしていたドイツ人医師シーボルトが持ち込んだと云われている。 1828(文政11)年に シーボルト が帰国する際に、萩藩の

      • 〈日本で初めて、鉛筆を使ったのは 徳川家康〉

        日本で一番最初に、鉛筆を使ったのは 徳川家康 である。 オランダ人によって、徳川家康へ献上されたと伝えられている我が国最古の鉛筆が、徳川家康の遺品として発見されています。 遺品として発見された鉛筆は舶来品であり、メキシコ産の純黒鉛のモノが、静岡県の久能山東照宮博物館に保存されています。 日本で本格的に、鉛筆が使用されるようになったのは、明治維新後になります。 #日本 #鉛筆 #宝地図マスター

        • 〈日本の生命保険の始まりは、福澤諭吉  の文献紹介から〉

          noteをはじめてみました。 当分の間、noteの投稿内容は、日本の『第1号』にこだわって (諸説ある場合もありますので、その辺はご了承下さい) 投稿していきます。 幕末期の 1867(慶応3)年に、福澤諭吉が『西洋旅案内』の附録の中で、「災難請合の事 イシュアランス〔insurance〕」として、〈外国為替〉や 〈近代的保険制度〉を紹介しました。 〈保険〉という言葉は、当時は存在していなかったので、生涯請合(生命保険)、火災請合(火災保険)、海上請合(海上[損害]保険

        〈オートバイ が 「単車」と 言われる理由〉