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歯科クリニックは、お局様だらけ~勤務歯科医の悲しい現実~

 どのような職種にも嫌な上司というものは存在するものですが、女性が占める割合が大きい医療の現場、とりわけ規模が小さい歯科クリニックには、居丈高な振る舞いで職場の空気を支配する女性──いわゆるお局様が存在する確率が高いように思います。
 加えて、歯科の勤務医は典型的な中間管理職。傍から見れば華やかで前途ある仕事に思えるでしょうが、その実は徒弟制度に縛られた滅私奉公に近いもの。そして多くの場合、若い勤務歯科医よりキャリアを重ねた年長の女性スタッフがいることで、経営側への憤懣の捌け口にされかねない。
殆どの歯科医が経験しているこの現実を、私の実体験から述べてみたいと思います。

工業団地内にある夜間営業の分院

 大学を卒業して最初に勤務したのは、とにかく忙しい診療所でした。私の出番は正午から21時までという変則的なもので、夜の時間帯に集まる人材も知れており、まるで前歴は問わない傭兵上がりのような歯科助手が多く、なかには苦労を厭わない殊勝な歯科衛生士もおりましたが、そこは理事長の目が届きにくい分院のお約束、若く経験の浅い勤務医が彼女らを御しきれるはずもなく、反抗的で、時には指示無視やサボタージュが横行しておりました。
 この状況を憂いた理事長が送り込んできたのが、かつて本院で働いていたベテランのT衛生士(40代)。彼女が投入されてからというもの、サボタージュや遅刻は激減、それまで連携した診療をすることも無かった若い勤務医たちは、T衛生士の指示でテキパキと動くようになり、売り上げも上昇していきました。

 ところが、しばらくして問題が起こります。T衛生士の投入ですっかり安心した理事長は、分院へ足を運ぶことがめっきり少なくなり、軛から逃れたT衛生士は次第にやりたい放題になっていきました。手の遅い歯科医には患者の頭越しに大声でハッパをかけ、新入りのスタッフを階下の喫茶店へ連れ出して必要以上に叱責するなど、横暴を究めていったのです。
 しかし彼女を咎める者は現れない。理事長の信が厚い彼女の発言力は強く、勤務医たちも彼女を怒らせたら給料に響く──担当医制ではなく、売り上げで給料が決まるインセンティブ方式であり、その仕事を配分していたのは彼女。だから保険点数の高い(診療報酬が大きい)治療はお気に入りの先生へ、そうではない先生は“安い”治療へ振り分けられることになり、勤務医たちは彼女の顔色ばかり伺うようになっていく──当然、これで済むはずがありませんでした。 

 スタッフの中にT衛生士より年上のパートの事務職員、Mさんがいました。ある日スタッフルームで彼女が請求作業を仕上げていると、若い歯科衛生士のひとりが涙ながらにT衛生士の横暴を訴えます。Mさんはすかさず理事長へご注進、すぐに理事長夫妻による事情聴取となり、万事解決──とはなりませんでした。涙の訴えをした衛生士は翌日から出勤しなくなり、顎でこき使われてきた勤務医3人のうち、2人はなにも語らぬまま退職、残る1人は本院へ配置換えとなります。
 まるで承久の乱に破れた上皇軍の如く、反乱は完膚なきまでに鎮圧されてしまったわけですが、かたやT衛生士には戒告だけ。彼女が理事長夫妻から賜ったお言葉というのが、
「あんたも一度くらい結婚していれば、人の心をつかむのが上手かったかもしれないのにね」
 T衛生士は娘盛りの頃はかなりモテたであろう美しい容姿の持ち主でしたが、彼女の美貌ほどに精神的には磨かれなかったのかもしれません。結婚して他人と暮らすことは精神的な修練なのだという誰かの言葉が耳をよぎります。
 勤務医総取っ替えで生じた欠員は3人。理事長と奥さんは懇意にしている大学教授に連絡、仕事にあぶれた医局員が二人、常勤として赴任することになりました。あともう1人……。本院へ配置替えになった先生の代わりに、押し出されたのが私。当時、卒業して3カ月目。25歳になったばかりの夏のことでした。 

フレッシュな知識と、老いていく経験

 私も若かった。当初は見習い扱いでしたから、同じ遅番だったT衛生士がつきっきりで介補につくことになります。それでもウザいとは思いませんでした。彼女のアドバイスは適切で、治療に戸惑っているときは、こうすればいいんじゃないですか? と導いてもくれます。やがて私も治療に慣れていき、大過なく半年が過ぎた頃、事件が勃発しました。

あろうことか患者の頭越しに、汚い悪罵の応酬が発生

 T衛生士は独りで生きていた女性。強い言葉の裏にはどこか、負けん気魂があったのでしょう。そして当然のことながら、歯科医と衛生士では歯科教育の深度が異なります。
 彼女のことをウザいなと思いはじめていた頃、私は気づいてしまった。彼女がカルテに記載した患者への指導内容で、彼女の知識が実は浅いものだということに。
『本日、ループトレーニングを行う』
 正確にはルートプレーニング──歯石を取り除いた歯の表面を滑沢に仕上げる歯周病に対する処置のこと。最初に目にしたときは単純に書き違えかと思いましたが、幾度もルート(歯根)を“ループ“、プレーニング(滑沢化)を“トレーニング”と書いてくる。彼女が卒業した当時は、歯周病は治らないものとの認識でしたから知らずとも無理ないことでした。ルートプレーニングの手技はおろか、言葉すらわたしの手書きコメントで知ったに違いありません。
 しかしそこは負けん気の強い彼女、夜の部の分院長としてスタッフを仕切るようになっていた私のおかげで、自らの居場所が小さくなったと感じていたのかもしれませんでした。
 お粗末ながら定期的に症例カンファレンスのようなものも開催されておりましたが、その席上、彼女はことあるごとに治療方針に口を出すようになりましたし、私も意図的に彼女の意に反する言動をするようになっていきます。

ついに衝突

 若い独身女性を担当した時のこと、私は彼女に、保険は適用されないが金属の色が見えない治療を提案していたその時、
「お金かかるよ~。ほら、少し銀色が見えるけど、こんな感じに削ったら保険が利くよ」
 と、T衛生士が私の頭越しに金属修復物の実物を手に患者に説明し始めます。結婚前の女性にとって、ニコッと笑ったときに金属色が露出する選択はありえないはずでしたが、T衛生士としては患者の財布を気にしてよかれと思って口にしたのでしょう、私にはその頭越しの言葉が許せませんでした。思わず、
「このニセ医者がぁー! 黙っとれっ!」
と口にしてしまいました。その後、自分はどのような行動を取ったのか記憶が定かではありません。T衛生士はスタッフルームへ引きこもり、終業まで出てこなかったか、そのまま早退したかのどちらかだったとは思います。
 そして私は、理事長宅に呼び出されることになるのでした。

深夜の理事長宅で

 震える指で理事長宅のドアベルを鳴らした私の覚悟とは裏腹に、出迎えたのは理事長婦人の笑顔でした。
「センセ、どうせ何も食べてないんでしょ。ご飯、用意しているからね」
 展開に戸惑いながらも、理事長夫妻と向かい合って食卓につくと、目の前には、すき焼き鍋が湯気をあげておりました。

高級霜降り肉のはずでしたが、味はまったくしませんでした

 すでに一杯ひっかけていた理事長は上機嫌。いつもは辛辣な理事長夫人も、この夜は打って変わった柔和な表情を見せていました。
「この、やんちゃ坊主が」
 彼女は、そんなことを言ったと記憶しております。厳しく叱責されるとばかり思っていましたから拍子抜けだったのですが、理事長の言葉を要約すれば、
「よくやった」
 でした。お前さんのような一本芯の通った人材が欲しかったとも。ただし、
「ニセ医者ってのはいただけないね。無免許医を雇っていると噂になったら、分院はこの先やっていけんからな」
 と釘を刺すのも忘れませんでした。
 理事長夫妻の態度で理解したのは、分院内にT衛生士への憤懣が渦巻いていたのは十分承知していたということ。しかし、緩みきった綱紀を粛清したのは間違いなくT衛生士であり、彼女なくしては成し得なかったのも確か。彼女を抜擢した手前、それを理事長の口からは言えなかったということなのでしょう。
 まさに、毒をもって毒を制す。
 理事長夫人の口からは、彼女の身の上が語られました。あの美貌でいまだ独り身なのは、若い頃に異性関係で何かがあってのこと。強い言葉は、独りで生きていかねばならない心の弱さの反動。だから許してやって欲しいとも。
 ようやく理解しました。
 強い言葉を発する人にありがちなことですが、無人の野を行くが如しのような彼女の衛生士人生。そこに初めて立ちはだかった私に面食らい、混乱していたに違いありません。彼女は以前から、
「わたし、歯医者になればよかった」
 と口にしていたそうですから、キャリアで劣り、知識で勝るわたしが鼻持ちならなかったのは想像に難くありませんでした。

雨後のタケノコのように

 翌日、顔を合わせたT衛生士と私は、理事長夫人の面前で手打ち式を行います。今までの非礼は詫び、自らを反省し、互いを尊重する。そして分院をふたりで盛り立てていくことを誓いあい、そして何事もなかったかのように午後の部が始まった───かに見えましたが、以前とまったく同じというわけにはいかなかったのでした。

 T衛生士が発言力を失う替りに、歯科医を頂点とする本来あるべき指示系統が確認されたわけですが、若い歯科衛生士や歯科助手にしてみれば、お局様の顔色をうかがうことがなくなったことを意味しました。実に生き生きと動き始め、と同時に私語が多くなっていきます。時に姦(かしま)しいほどに。そんな綱紀の緩んだスタッフを、人事権もない若い勤務医が御しきれるはずもありませんでした。

巨大なお局様タケノコが刈り取られたあとには、複数の“小局ちゃん”タケノコが出現した

新たな権力構造

 意外と知られていないことですが、患者の口腔内に触れることが許されているのは歯科医師と歯科衛生士のみ。歯科助手は御法度なのです。なのに、お局様の軛を逃れた若い衛生士たちは、あろうことか歯科助手に療養規則に反する行為をやるよう指示しはじめました。
 それを注意すると、
「何がいけないんですか?」
 と開き直る始末。
 その様子を、T衛生士は緩く腕組みをした姿勢を壁にもたせながら、無言で眺めている。マスクの上からのぞく目が、「そら見たことか」と言っているようでした。
 翌日の緊急ミーティングでは、衛生士、助手の業務範囲の確認が行われましたが、その日を境に私は孤立していくことになります。
 誰一人として私の補助についてくれないばかりか、あからさまに口ごたえをするようになりました。T衛生士という強力なお局がいなくなった代わりに、小さなお局候補が乱立し始めたのでした。

最凶最悪のお局さまが爆誕

 増長しはじめたスタッフのなかで、ひとり特異な存在がおりました。受付嬢のN美。T衛生士よりはずっと年下でしたが、他のスタッフの中では年長。さして美人ではないけれど、派手な服装、ケバい化粧をし、エアロパーツで武装した2ドアクーペで通勤してくる。ガールズバンドが大好きで、有線放送で曲が流れだすと、患者がいようがいまいが勝手にボリュームをあげて身体を揺らし踊りだすしまつ。かつてはT衛生士も小声で注意し、N美もタラコ唇を尖らせて不満げな表情をするも、それ以上の戦闘には至らない。二人の間には不思議なパワーバランスが作用していました。
 それがT衛生士の失脚をきっかけに、若いスタッフたちの親分格にのし上がったのか、私語の挙げ句に下品な奇声をあげてさわぐことも珍しくありませんでした。出入りの歯科技工士や材料商も、これには眉をひそめ、
「どうして理事長はあんなガサツな娘を可愛がっているのかねえ」
 と慨嘆するほど。
 その理事長も分院に来るたびに「N美、N美ぃ~」と声をかけ、まるで自分の娘に接する如くのようわたしには見えましたが、愛人なのでは?と密かに噂されていることを知ったのは退職間際になってからでした。
 T衛生士はじめ他のスタッフたちは、この特殊な、決して触れてはいけない事情を知っていたフシがありました。そうとは知らずに、わたしは真っ向からN美の粗雑な振る舞いに立ち向かってしまったのです。

 受付嬢のN美、バブル期のクラブでよく目にしたファッションをまとった彼女の言動は、見た目以上に派手なものてしたが、最初からそれを見咎めたわけでもなく、別に気にもとめませんでした。むしろ彼女の方から私に接近してきたほどで、
「センセ、白衣の襟が折れてますよ」
 と背中越しに触れてきてみたり、
「見て見てーっ! これ可愛いでしょう」
 と鮮やかな花柄で彩られた私服の裾をひるがえして見せる。とにかく、楚々とした女性が理想だった私にしてみれば、ギラギラ感を全面に押し出してくるN美は苦手でした。
 そんな感情しか持ち合わせていないことは伝わるもので、彼女の言動も次第にぞんざいになっていきます。そしてなによりT衛生士がおとなしくなったぶん、他の若いスタッフとの私語、嬌声が日を追うごとに耳障りになっていったのでした。
 別のある日、いつものようにお気に入りの曲が有線から流れだすと、勝手にボリュームを上げて踊りだす。
 注意する者はいない。
 わたしが注意しても、N美は背を向けて踊り続けていましたが、何回目かの叱責のあとにようやく踊るのをやめ、肩を怒らせて振り向いたその表情に私の背筋は凍りつきました。垂らした前髪の隙間から、ホラー映画『リング』に登場する貞子のような血走ったまなざしでにらみつけてきたのですから。

操り人形と化した理事長夫妻

「センセ、あんたスタッフに評判悪いよ」
 定例の報告会で理事長宅に呼び出されたわたしは、着席するやいなや理事長夫人に切り出されました。
 続いて理事長も、
「そうだよスギウラくん。分院に遅くまで勤めてくれる女の子は大切にしなくちゃあな。あまり強いことは言わんでくれ」
 讒言されたのは明らかでした。N美は理事長のお気に入り、実際にふたりの関係がどうだったかはわかりませんが、反論が徒労に終わるであろうことを直感的に理解したわたしは、出かかった言葉を悔しさといっしょに奥歯に噛みしめるしかありません。
 お小言はそれでは終わりませんでした。
「しかしスギウラくん、あんた稼ぎ悪いねぇ。他の先生たちの半分も点数あげてない。これ、どういうことだ?」
 理事長がテーブルの上に滑らせてきたA4サイズの紙には、私を含めた勤務医の名前が手書きで連ねてあり、その横には数字が記されておりました。
「これな、N美に頼んで、先月の売上高をドクター別に集計してもらったんだがスギウラくん、あんたダントツの最下位だよ。まさかサボっているんじゃないだろうね?」
 そんなはずはありませんでした。
 丸い N美の筆跡に、とめどない怒りが湧いてきます。給与体系は基本給+インセンティブ(出来高払い)。確実に給与に響くであろうことよりも、これでは分院長としての面目は丸つぶれだし、理事長からの信頼も失いかねない、その方がむしろ心外でした。
 N美による意図的な改竄を訴えましたが、ここで理事長が色をなします。
「黙らっしゃい! 受付がいちばんドクターに目を配っているんだ。間違えるわけないだろう。男らしくねえぞ!」
 もうそれ以上なにを言っても無駄だと悟った私は、疲れた身体を引きずってアパートに帰り着くと、ベッドに大の字に横たわったまま夜が明けるまで天井の灯をみつめておりました。

立場を利用した悪質な嫌がらせは続く

 翌朝、寝不足の頭を抱えて出勤した私を待っていたのは、N美のさらなるゲスな企みでした。
 バーコード頭の隙間に皮脂をぎらつかせた患者が、私が近づくなり唇を尖らせます。
「おう、俺には触らんでくれよ。あんたはヘボ歯医者だそうじゃないか!」
 N美が窓口で吹聴したに違いありません。さらに、
「K先生(新人)、お願いしま~す」
 と、修復物や入れ歯のセットといった点数が高い処置の場合、私以外の勤務医があてがわれ、私にはもっぱら、歯の根の治療や入れ歯の調整といった手間がかかる割には報酬額の低い治療ばかり。それでも分院長の自分としては、ラグビーでいうところのワン・チームならばかまわない、と口をつぐんでおりましたが、そんな殊勝な考えは甘かった。月間の集計が出る頃になると、あらぬ方向(理事長)から特大の誘導ミサイルが着弾します。

ラグビーチームのような友愛が育まれることは、ついになかった

「お前さんは、さっぱり稼いでないね。新米のK先生のほうがずっと頑張ってるよ」
 言い訳はしませんでした。
 他の勤務医からも助け舟は出ません。私が受け取るべきインセンティブは、他の先生に付け足されていたのですから。

限界と堕落

 私が敗北を自覚したエピソードがあります。勤務医にコーヒーを振る舞うのはN美の役目でしたが、事前に砂糖とミルクを入れるか訊かれます。私が、
「何も入れなくていい」
 と告げて出てきたのは、お湯すら入っていないマグカップ。底に敷きつめられたインスタントコーヒーの顆粒が今でも目に焼きついています。
 以来、治療は荒れ、飲めない酒をあおり、眠れなくなっていきました。精神科を訪ねたら、なにかしらの病名が告げられたでしょう。心の余裕の無さは治療にも影響を与え、ついには軽い医療事故を起こしてしまいました。まともな精神状態なら、まず回避できたはずでした。
 この時、年齢は26歳。早くも限界でした。

 N美の奸計が見事にはまり、理事長夫妻の気持ちが完全に離れてしまってから、わたしは仕事帰りにあてもなく夜の街を彷徨うようになりました。カーステレオから流れてくるのはヘビーメタルばかり。ボン・ジョヴィの「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」の英語歌詞が諳じられるほど、大音量で繰り返し聴いていたほど。
 飲めもしないのに焼肉屋で韓国焼酎を大量にあおり、深夜の吉野家で牛丼をすきっ腹に詰め込んだ帰り道、暖房がほどよく効いてくるタイミングで、私の愛車はローンの大半を残したまま電柱に突き刺さりました。

 もうどうでもよくなっていました。
 なんのために歯科医になったのか、自問自答する日々。
 自棄になっていることにさえ気づかぬほど思考は鈍り、医療事故を起こさぬよう治療にも消極的になり、売り上げも地を這うが如くに。おかげで、理事長夫妻がわたしにかける言葉も、日を追って辛辣なものに変わっていきます。勤務医やスタッフたちの目の前で叱責されても、ただ「はい」、「すみませんでした」と条件反射で答えるだけ。なぜならば、理事長の背後でほくそ笑むN美の横顔しか目に入っていなかったからでした。
 わたしの異変は医療法人全体の知るところとなっていました。ある日、他の分院を夫婦で切り盛りしているY先生に夕食に誘われます。
「先生はまだ若いよ。いくらでもやり直せると思う」
 Y先生はあからさまに、
「もう限界だから辞めろ」
 とは言いませんでした。しかし、夜間診療に重きを置くが故に、人材に贅沢を言えない。痛い、腫れた、欠けたを愁訴に押し寄せる大量の患者を機械的にさばくだけ。それでいて売り上げは求められる──Y先生には、私が抱えていた諸問題が手にとるようにわかっていたようです。
「ご自分を卑下することはありません。先生が活躍できる場所はどこにでもあるはずです」
 遠回しな退職勧告でした。私は、
「そうでしょうか……。俺なんか、どこへ行っても通用しない気がするんです」
 Y先生は破顔一笑し、
「やり直せるのは若い時にだけ許された特権ですよ。ご自分を信じてください」
 その言葉を聞きながら、Y先生の奥様が作ってくれた鶏団子鍋に箸をつけます。レンゲにすくわれた一口分のスープ、その澄んだ液面に映る自分の目には涙が光っていました。

 それからほどなくして、わたしは理事長に退職を願い出ました。契約期間を半年以上も残した早春のことです。
 引き止められませんでした。
つまり俺は厄介払いされたのか──
 せいせいした、とか、重圧から解放された喜びといった晴れやかな気持ちは微塵もありません。ただ、寂しかった……それだけです。

最後の出勤日は、朝から冷たい雨が降っていました。

もっと早くにわかりあえれば

 勤務最終日はみぞれ混じりの冷たい雨が降っていました。勤務を終え、駐車場でひとり、電柱に散った愛車の代わりに購入した中古車を暖機運転していると、暗がりからカラフルな傘が3つ、こちらへ近づいてきます。
 N美でした。もうこれ以上ないってくらい満面の笑みを浮かべ、
「センセーッ! ほんとに、ほんっとぉーにお疲れさまでしたー!」
 言葉尻に嬌声を残して振り返ったN美は、背後につき従う歯科助手たちと「いえーいっ!」
 声を上げならハイタッチを繰り返します。そして、
「さ、みんな、飲みに行こっ!」
 私にも聞こえるように言ったのは明らかでした。助手たちを従えて、足どりも軽く駐車場の暗がりへと消えていきます。
 彼女にしてみれば、わたしへの勝利宣言というところでしょうか。

 もう二度とまみえることはない。
 もはや憎しみより呆れのほうが心を支配したその時、閉めたばかりの窓を叩く者がおります。
 最初のお局様、T衛生士でした。
「これ、わたしからの餞別」
 クスリと笑いながら、窓の隙間から差し入れられたのは真新しい白衣。
「先生、いつもヨレヨレの白衣着てたから」
 手にした白衣から顔を上げることができませんでした。
「先生とはいろいろあったけど、お互い人生の肥やしにしましょう。次は頑張ってね」
 時間にして1分にも満たないやりとりでしたが、今でも詳細に覚えています。どうして彼女は私にそんな言葉をかけたのか──分院のじゃじゃ馬娘たちを管理しなければならなかったT衛生士。その役目を、いつのまにか引き継ぎ、そしてあえなく返り討ちにあった惨めな私──それを理解していたのだと思います。
 すべては遅きに失しておりました。
 この時ほど、自分のハングリーな性格を呪ったことはありません。自力本願を貫くより、キャリアを積んだ彼女と力を合わせていれば、N美の突出や、他のスタッフの狼藉を止められていたかもしれない。楽観的で独善的な考えだとも思いますが、少なくともわたしが分院で孤立することはなかった、それだけは言えるはずです。

分院、その後

 敗残兵のような気持ちで生まれ故郷へと帰還したわたしは、就活に励み、なんとか歯科医師としての職にありつくことができましたが、以降、対人関係にはすっかり臆病になっていました。

それから半年後、ひょんなきっかけで再来した先の勤務地に、分院の名はありませんでした。
 既に他人の手に渡っていたのです。
 医療法人グループの人に聞いたのですが、勤務医の誰かが何かやらかして閉院に追いこまれた、と。詳しくは聞けませんでしたし、教えてももらえませんでした。
 もしも私が退職しなかったら、あるいは──とは思いません。同じ運命をたどっていた確率の方が高いはずです。キャリア2年未満のぺいぺい歯医者に、何ができたというのでしょう。
 N美は、T衛生士はどうしているのだろう……ふと、ふたりの表情が脳裏をよぎります。愚かな行いで自らの居場所をなくしたのは、わたしではなく、N美の方だったのではないか、そう思いながら。

#創作大賞2023
#エッセイ部門


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