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女性優位の職場で「お局さま」がのさばるのは管理職がだらしないからだ⑧

 近所でもわがままで有名なパート歯科助手が去って、開設当時からの古参助手が残りました。しかし彼女は受付業務も兼ねているため、どうしても手は足りません。そこで新たに常勤の歯科助手を採用することになるのですが、これが大波乱を招くことになります。
 前回のお話はこちら。

 第三のお局が、残った古参歯科助手──以下、オバQと呼称することにします。当時、密かにそう呼んでおりましたから。オバQという呼称は、藤子不二雄さん原作のまんが『オバケのQ太郎』に由来します。分厚く横に広い唇、大きく秀でた額が主人公のドジなオバケ・Qちゃんを彷彿とさせたからです。世代的にわからない人は、けらえいこさん作のまんが『あたしンち』に登場するお母さんの姿をイメージするとでよいでしょうか。
☟けらえいこ公式ホームページ

 オバQよりはずっと雰囲気が近い。もしも当時、『あたしンち』が連載、アニメ放映されていたら、彼女の呼称はオバQではなかったかもしれませんが、前任のI先生が言う『オバハン』の“オバ”から、やはりオバQのほうがしっくりする気がします。

微笑みの裏側

 けっして忙しい診療所ではありませんでした。一日あたりの患者数は多くて十数人、見込める保険点数は15~20万点といったところ。固定給+自費のインセンティブ(歩合給)。前回述べたように、レセプトは手書き、会計もそろばんという前近代的な診療所。だけど、そのミニマム感はちょっと新鮮でした。患者がいなくなれば、コンロで湯を沸かしてコーヒーブレイク、そして雑談タイム。オバQもニコニコしながら、つきあってくれました。しかし、彼女のほうからコーヒーを淹れてくれたことはありません。いつも「Iセンセは自分でコーヒー淹れたり、時々お菓子を買ってきてくれたんよ」と
口にします。それって、もしかしてお菓子を振る舞えって催促なの? とも思いましたが、毎日のように言われ続けても、わたしの足が、表通りのコンビニやケーキ屋さんへ向くことはありませんでした。当時のわたしは経済的には本当に厳しかったのに加え、スタッフにおべっかを使うなんて術は身につけておりませんでした。
 しかし、そうするまでもなく、診療所には饅頭やクッキーの類は豊富でした。日中は患者がいない時間の方が長いので、材料商は午後3時ごろを目指してやってきては、勝手にお湯を沸かしてコーヒーを飲み、おやつを差し入れてくれます。時には、つきあいはじめた彼女(現・家内)からのこともありました。そのせいか、オバQの口から「I センセはお菓子を買ってきてくれたんよ」を耳にすることは無くなりましたが、彼女のわたしに対する心証が悪化していることには気づきませんでした。

診療所にはいつもコーヒーの香が漂っていた

 随時に訪れるコーヒーブレイクで、オバQは笑顔でいろんなことを話してくれました。昨夜のカラオケバーでおっさんに抱きつかれて不倫関係を迫られたこと(デブ専かブス専だと思う)、無言電話がときおりかかってくるけど、受話器の向こうから荒い息づかいが聞こえる、などといった、どちらかというと下ネタが主体でしたが、時折、真顔になることがありました。
 亡くなった初代の不正行為がどういうものだったか、と、オーナーに対する不平不満。それらを口にする時だけ、分厚い唇をよりいっそう尖らせて、不細工な顔がよりいっそう不細工になるのでした。この時の顔はオバQのそれを遥かに凌駕し、スターウォーズに登場する宇宙人・ジャバザハットのような表情で。
 まさに口角泡を飛ばしてまくし立てたのは次のような内容でした。

初代の不正行為

 要するに水増し行為です。今でこそ治療にかかった費用がいくらだったのか、患者の元へ医療費通知が送付されていますが、当時はそんなこともないおおらかな時代で、レセプトを手書き請求する“書き屋さん”が、勝手に増点して請求するなんてフツーに行われておりまたした。
 さらには、窓口で患者から徴収する一部負担金も水増しして請求していたようです。が、地区歯科医師会の先達が語るには、当時こんなことは暗黙の了解で、どこの歯科医院でもやっていたとのことでした。特に、保険収載当初から不採算が指摘されていた総義歯は、患者から¥4,000を上乗せしてもらっていた等々、今では耳を疑うような実態も、領収書発行や医療費通知がなかった時代だから可能であったこと。
 ですから、どういう経過で発覚したのか、そもそも水増し額がいくらだったのかは知る由もありません。そう、如何にして不正が発覚したのか──後日、わたしは恐ろしい事実を知ることになります

オーナーへの不満

 不正行為が発覚して下った処分は、保険医停止8カ月。地方紙やローカルニュースを通じて、処分が住民にも知らされることになったわけです。詳しい事情は知りませんが、その前後に開設者の先生に末期がんが発覚、加えて一人息子が首都圏の私立歯科大学に入学したばかりとあっては、不正請求のタブーを犯してまで、自分の余命とお金を天秤にかけたのかもしれません。
 しかし、運命は彼の願いを聞き届けることはなく、ターミナル状態の病状のまま保険医停止8カ月を食らったそうです。
 ここにきてオーナー夫妻に意見の相違が生じます。保険医停止となったからには、収入の道が絶たれるわけですから、従業員を解雇、歯科大に通う息子が帰ってくるまで閉院するのは、財布を握る奥様(オーナー)からしてみれば経済的に最も安全策でしょう。しかし開設者の先生は、ご自分の病状を知ってか知らずか、従業員を遊ばせてでも基本給は支給する方向でしたが、このことをQ太郎は聞きつけ、オーナーに強い恨みを抱くようになったと推察しています。

チーママ時代が始まる

開設者がどの時点で亡くなったのは知りませんが、保険医停止になったていたとしても、開設者が変更になれば診療所の名称はそのままで、治療行為は可能、つまりオーナーは機材とスタッフを引き継いだまま、勤務医を開設管理者にすることで、食いつなぐことに決したようでした。
しかし、そんなケチのついた診療所に勤務医は食指を伸ばすでしょうか?
 最初の代診は、息子が通う大学の校友会からの派遣、紹介でしたが、わずか一年で退職します。若い頃は技術の研鑽を積みたいと誰もが考えるわけですから、指導する者がいない貧民街に立地する診療所で、大量に押し寄せるCとPをたださばくだけなんて魅力を感じないはずです。ですから、勤務医のモチベーションが上がらないまま、次第に患者を散らしていきました。次に勤務したのは医局のトラブルメーカーで、治療レベルも???な感じだったようです。材料商が、どうにかこうにか探してきたようですが、まさに割れ鍋に綴じ蓋ということ。こうなるとさすがにオーナーも焦ったのか、自費のインセンティブをつけ加えて勤務医を募集、それにまんまと釣り上げられたのがI先生であり、わたくしだったというわけです。

本性が見え始めた

以上のような経緯をほとんど把握しないまま、わたくしのチーママ時代がスターとしたのですが、前述のとおり、のっけからパートの歯科助手を失ってしまいました。さすがに歯科助手兼受付ひとりでは診療が回るわけもなく、ハローワークに歯科助手の求人を出すことになりました。が、一向に求職者が現れません。ある日、出入りの材料商に、どうして求人が来ないのか率直にぶつけてみましたら、返ってきた答えが、
「先生はハロワに出ているここの求人票を見ましたか? 今どきの若い子が、基本給14万円では応募がないのも当然ですよ」
軽い目眩がしました。
当時はバブル経済の真っ只中、いったい誰がこんな廉価な支給額を提示したのでしょう。
前の勤務先では歯科助手の基本給は最低でも17万。これに交通費やなにやらで手取り二十万はもらっていたはずでした。このことをオーナーに直訴しましたら、
「だって、あの金額じゃなきゃYさん(Q太郎)がいい顔しないんですもの」
想像を絶する返答を耳にしたあと、わたしの脳裏にはI先生が言い残した、
「オバハンには気をつけろ。いいな、オバハンには隙を見せるんじゃねえぞ!」
という真顔の忠告がリフレインしていたのでした。
つづく


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