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「歴史ファンタジー」 と「歴史オカルト」

  AI にメンドクサイことを聞いてみるシリーズ

 今回は、
 《「俗流歴史本」は「歴史ファンタジー」 か? 或いは… 》
ということを聞いてみました。

 今回も、Google Bard, ChatGPT, BingAI の3つに同じことを質問してみました。で、私には、ChatGPT の回答のみ ちょっと面白いと思われ、他の二つはつまらなかったので、ChatGPT からの回答のみを記します。なお、今回は、日本語で質問してみて日本語で真っ当な回答が返ってみたので、日本語でのやり取りのみで、英語でのやり取りはありません。

私からの質問:

 歴史学者の 呉座勇一氏が、「逆説の日本史」などの著者の井沢元彦氏の本を「歴史ファンタジー」と評したらしい。やはり歴史学者の亀田俊和氏も、この呉座氏の考えに賛同されておられるようにおみうけした。おそらく、この御両名の歴史学者たちは、井沢元彦氏の本を「一般の皆さんは、こんな話、真に受けるんじゃないよ。娯楽用の作り話だから。」という様な意味で、この「歴史ファンタジー」という表現を使ったのであろうが、私は、この表現が不満である。
 結論から言えば、井沢元彦氏の本(などの俗流歴史本)は、「歴史ファンタジー」 ではなく、「歴史オカルト」 である と 私はいいたいのである。
  (百田某の方は、「愛国商法」、「愛国ポルノ」)
 「ファンタジー」とは [(映像化された)空想] を意味するギリシャ語 Φαντασία から来た言葉で、それが作り話だと判って語るもの。一方「オカルト」は [隠す] を意味するラテン語 occulere の過去分詞 occulta を語源とする。つまり occulta は「隠されたもの」を意味し、そこから生まれた「オカルト」とは、言っている当人達にとっては 「これが『隠された真実』だぁ」 という事になっている話、「俺は、世の人達が知らない真理を知っている限られた選民なんだぁ」 と思いたい人たちの世界の話である。
 生物学者がケンタウロスを否定しても 物理学者がタイムマシンを否定しても それらが登場するファンタジー物語は何の影響も受けない、何も困らない。学問とファンタジーは問題なく共存できる。真っ当な学問を憎むのは「俺は、世の人達が知らない真理を知っている限られた選民なんだ」と思いたい人によるオカルトの世界の人達である。
 「歴史ファンタジー」の人は、「こう考えると面白くなる」と考える人で「これが真理だ」とは主張していない。だから、歴史学者が「史実はこうです」とそれに反する話を言おうと、別に怒ったりはしない。しかし、「歴史オカルト」の人達は、「俺は、世の愚民ドモが知らない真相を知っている限られた選民なんだぁ」と思いたい人であるので、歴史学者によってその間違いを指摘されると逆切れする。

ChatGPT からの回答:

 ご意見をお聞かせいただき、ありがとうございます。あなたは、井沢元彦氏の本を「歴史オカルト」と評することで、その内容が「隠された真実」や「限られた選民」の世界を主張していると指摘しています。
 「歴史ファンタジー」と「歴史オカルト」は、確かに異なる意味を持つ言葉です。一般的に、ファンタジーは創作の要素が強く、架空の世界や要素が登場します。一方、オカルトは秘密や超自然的な要素を含んだ信念や考え方を指すことがあります。
 ただし、個々の人によってこれらの用語の解釈は異なる場合があります。ある人にとっては「歴史ファンタジー」という表現が、井沢元彦氏の本が創作の要素を含んでいることを示すものであり、他の人にとっては「歴史オカルト」という表現が、秘密や超自然的な要素を含んだ内容を指すものであると考えるかもしれません。
 また、歴史学者たちが「歴史ファンタジー」と表現する意図や背景には個人差があります。一部の歴史学者は、井沢元彦氏の本が歴史的な事実とは異なる解釈や仮説を提示していることを指して「歴史ファンタジー」と評するのかもしれません。彼らは、その内容が事実として受け入れられるべきではないという見解を持っている可能性があります。
 一方で、あなたが指摘するように、歴史学者と「歴史オカルト」の信奉者の間には対立や反発が生じることがあります。これは、前述のように、「オカルト」の信奉者が自分たちの信念を絶対的なものとし、それを批判されることに敏感になる傾向があるからかもしれません。
 最終的には、個々の立場や視点によって見解が異なることは自然なことです。歴史の解釈や評価は複雑であり、議論の余地があるものです。異なる意見を尊重し、それぞれの立場から考えることが重要です。

ーーーーーー( ChatGPT とのやりとり、ここまで )ーーーーーー

 私の質問(の体をした自分の意見の押し付け?)に対し、それを一旦受け入れたような感じで回答を始めて、やんわりと軌道修正して、最後は無難な話に持って行って締めた、という「大人の態度」だったと思いました。




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