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時間を大切にする習慣、善き行動を継続できる習慣、双方大切にしていこう

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【今週の自戒】
〜時間を大切にする習慣、善き行動を継続できる習慣、双方大切にしていこう〜

久しぶりに人生の先輩で
いつも視座を上げてくださる方と
再会できました。
いつも同じ様なお話を教えていただく中で
感じるポイントが常に変化しているのが
オモシロイ。
先日お会いしたときは、【時間の大切さ】
そこにフォーカスしている自分に気づく。
ここ最近時間の大切さへの振り返りが
足りていない、自分に向き合っていない
と、そこで週末に
自分なりの有限である時間
なんのために大切な時間を使うのか
対話をしてやるべきこと、優先度、方向性が
見えてきました。
これも人生の先輩と再会できたからこそ。
その方は一回り以上年上ながら、
圧倒的な仕事量をいまも、
しかし、終始にこやか、思慮深い、奥深い、
再会に意味を感じ取れたのもその方の
時間を大切に使う【習慣】を感じ取れたから。

ある会社さんに訪問した際に、
事業連携の相談を聞く機会がありました。
『率直にどう思われますか?うち(弊社)にとって良い条件だと思っています』
と質問されました。
私からは、『最終判断は御社ですが、ヤメた方が良いと思います』
と回答しました。
普段は何でもやって失敗して新たにまた企む
私はそちら側の推奨者なのですが、今回はバッサリNO。
事業連携を目論んで頻度高くラブコールを繰り返している相手方に
私が感じたこと。
・善き行動が習慣化していないタイプ。
・ノウハウ、リソースを数年で取得されると、向こうから関係解消される
・お互いリスクは半々のはず、相手側はリスクを取っていないことが見える
・過去の履歴は仕組みの中で生きているだけ自力での成果が見えない
こんなことを挙げさせていただきました。
一言でいうと【有名無力】。
ある部分では有名だが
それが長らく継続していたわけではない、
善き行動が習慣化していないところが一番大きい。
と指摘させていただきました。
その言葉を放ちながら自分自身もそうなってはいけないと。
無名有力を意識し、常に相談事が持ち込まれ、
頼まれごとが連続する1週間にしたいと
思いました。
今週もよろしくお願い申し上げます!
善き行動を継続できる習慣を身につけましょう。

【歴史のなかに埋もれた人間のなかに、ほんとうの人間がいる】

岡本太郎氏の心に響く言葉より…

尊敬する人はだれかと訊かれると、多くの人は徳川家康といったように歴史上の人物の名前をあげる。
その時代に権勢(けんせい)を誇ったり、成功した人物ばかりあげたがる。
ぼくはいつも疑問に感じるんだ。

もちろん、なかには源義経のように悲劇的な生涯を送った人物が好きだという人もいる。
たしかに義経の生涯は悲劇的でドラマチックだったけど、義経にしたって権力の側にあったわけだろう。
一時期は大変な成功者だったじゃないか。
だから余計、悲劇的な結末が浮き彫りにされているんだ。

ぼくはそういうふうに、とにかく歴史の記録に残っている権力者や有名な人物だけを尊敬する、そういうことにこだわりたくない。
記録に残っていない、まったくの無名の人物でも、素晴らしい。
己をつらぬいた尊敬に価(あたい)する人物はいっぱい存在したはずだろう?

そういう人間の運命のほうに、ぼくは加担したい。
人間はだれでも成功を願っている。
しかしそれより、成功しないことを前提に命を賭けてスジを通した人間のほうが素晴らしいじゃないか。
でも、成功しなければ歴史のなかに名前は残らない。
名前が残っているのは、ほとんどが成功した連中だ。

むろん成功しなかった者より成功者のほうが数が少ない。
成功者は何百万何千万のなかのわずか数名きりだ。
しかも成功した者を調べてみると、その人間をとりまくいろいろな状況が押し上げた場合が多い。
戦略妥協がうまかったり、成功したりして勝利をつかんだ。
そういう人物は、別段、尊敬できないし感動もないね。

むしろ歴史のなかに埋もれた人間のなかに、ほんとうの人間がいる。
人間は99.99パーセントが成功しないんだ。
つまり成功者でないほうがより人間的な運命なんだ。

そいう無名の運命のなかで、自分のスジをつらぬき通して、歴史にも残らないで死んでいった者の生き方に、ぼくは加担したいんだよ。
だけど、もうひとつ、いままで言ったことと逆のように聞こえるかもしれないが、英雄というものは、じつはひとりの実力だけでそうなったんじゃない。
時代の多くの人々の共感、情熱、願望が協力した、社会がそれに応えた、そういう面があることもたしかだね。

『自分の運命に盾を突け』青春出版

神渡良平氏は「無名の人」についてこう語っている。
『 安岡正篤先生は勉強会でよく「有名無力、無名有力」と言われた。
有名無力、無名有力とはこういう意味だ。
若いときには誰もがひとかどの人物になりたい、立派な会社を作り上げたいと一所懸命努力をします。
だんだん頭角を現し、人々の評価もいただけるようになって、名が上がって有名になってきます。
会社の規模も大きくなってきます。
そうなるとちょっとした名士になり、講演を頼まれたり、新聞に原稿を書いたり、テレビに出演したりして、だんだん忙しくなってきます。
そしていつのまにか自分を掘り下げる時間すらなくなって、有名ではあるけれども無力な人間になり下がることが多いものです。
しかし、世の中には、新聞、雑誌に名前が載るわけではない、テレビのスポットライトがあたるわけでもないけれども、頭が下がる生き方をしている方がいらっしゃる。
無名だけれども有力な生き方をしていらっしゃる。
私は時間がなくなって自分を失ってしまうよりも、無名のままでいい、自分を高め、磨く時間を持てる者でありたいのです。』 (下坐に生きる /Chichi‐select)

一発芸などで有名になったタレントは人気絶頂になるのも早いが、ダメになるのも早い。
絶頂のときは、あちこちのテレビ局や番組から、寝る暇もないほど出演依頼がある。
しかし、出れば出るほど、自分の中の引き出しは空っぽになり、ついには底をついてしまう。

これは、飲食店などでも同じことが言える。
お店をオープンし評判となり、寝る暇もないほど仕事をする。
しかし、何年かすると潮が引いたようにガランとした店内になる。
店のオーナーの引き出しが底をついてしまったからだ。

店が繁盛しようが、テレビに出まくろうが、あるいは不遇の時を過ごそうが、まわりに左右されずに、どんなときも、自分をコツコツと磨く人は長く生き残る。
すると、実力がたまり、周りの人が引っ張り上げてくれる。
「頼まれごと」の人生の始まりだ。
それが、「無名有力」の生き方。

有名無力ではなく…
無名有力を目指したい。

上記の【歴史のなかに埋もれた人間のなかに、ほんとうの人間がいる】については人の心に灯をともすより引用しています。


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