希望を語れる人になろう、たとえ難しくとも。
【今週の自戒】
希望を語れる人になろう、たとえ難しくとも。
たとえ月に手が届かなくても
月に手をのばせっていうのが
俺の信条なんだ。
やらないよりもよっぽどマシだよ。
この言葉は、
1980年代に活躍したパンクロックバンド
The Clashというバンドのリーダーだった
Joe Strummerの言葉だそうです。
できない約束をしないと
教えられている人が多い、それもわかる
しかし、
考えてみます、検討してみます
それっていつまで?
それって本当に前に進める気持ちある?
という問いかけに
希望を持って語る人 語らない人
たまに見かける語らない人
これもこうなっちゃいけないよと
希望を語れない人になっちゃいけない
と教えてもらえて有難い。
手を伸ばし、届かない月に向かって
とんでもない夢を叶える人は
無理だと最初から決めない人
夢と希望を語る人でありたいと思います。
今週も
よろしくお願い申し上げます。
【努力する人は希望を語る】
北尾吉孝氏の心に響く言葉より…
小説家の井上靖(1907年?1991年)さんの言葉に、「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」というのがあります。
ある中学校の「学校だより」 (2021年10月22日) には此の言に関し、次のように書かれています。
同じ出来ないことでも、「希望を語る」ことと「不満を語る」ことは異質なことであり、一方は未来を語るのに対し、一方は今に対しての不満を語っており、両者の意識の使い方がまるで違うと思います。
(中略) 言霊と言う言葉があります。
言葉に宿る霊の意味です。
古代の日本人は言葉に宿る霊力が、言語表現の内容を現実に実現することがあると信じていたそうです。
(中略) 現代に生きる我々も言葉を大切に遣い、希望をもっていきたいものです。
先達・先哲の片言隻句(へんげんせっく/ほんのちょっとした短い言葉)には、大きな力が宿っているということでしょう。
片言隻句は時として、個人の行動や考え方あるいは思想といったものに多大な影響を及ぼします。
そういう意味で片言隻句には魂が込められており、その魂は様々な人に色々な形で響いて行くのだろうと思います。
私は、幼少期から中国古典の片言隻句に触れてきました。
自分から進んで漢籍を手にしたわけではありません。
父が折に触れ中国古典の片言隻句を引きながら、古典の世界へと導いてくれたのです。
今にして思えば、先ず簡潔にして端的な片言隻句によって中国古典に触れたのが良かったと思います。
私が私淑する明治の知の巨人・安岡正篤先生は、「照心(しょうしん)語録』の中で次のように述べておられます。
――われわれの生きた悟り、心に閃めく本当の智慧、或いは力強い実践力、行動力というようなものは、決してだらだらと概念や論理で説明された長ったらしい文章などによって得られるものではない。
体験と精神のこめられておる極めて要約された片言隻句によって悟るのであり、又それを把握することによって行動するのであります
― 先生の言葉は全くその通りで、そうした片言隻句を頻繁に念仏のように唱えることで自身の習慣のように身に付けて行くことが大事だと思います。
日頃から何事も言は行に結び付けねば無意味であり、日々の生活の中で知行合一的に事上磨錬(じじょうまれん)して行くのです。
冒頭の「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」という寸言も人に響きます。
その真理は一つに、自分自身を律する上での大きな力になっているわけです。
そういう意味では、これも言霊ではないでしょうか。
「長ったらしい文章」が心の中に残り、時として 自分の行動規範になる等、自分を律する上で役立つといったことは殆どありません。
『酔古堂剣掃(すいこどうけんそう)』(中国明代末の読書人・陸紹行(りくしょうこう)が生涯愛読してきた古典の中から会心の名言を収録した読書録) に、「神人の言は微。聖人の言は簡。賢人の言は明。愚人の言は多。小人の言は妄(もう)」という 言葉が採録されています。
森先生が述べておられる「体験と精神のこめられておる極めて要約された片言隻句」は、正に此の微・簡であります。
『心田を耕す』財界研究所
「過去の話ばかりする人」と「未来を語る人」がいたら、誰もが「未来を語る人」と一緒にいたいと思う。
過去の「武勇伝」や「昔はすごかった」という自慢話や、「昔はほんとに大変だった」という苦労話。
昔をなつかしむ人には、現状に不満がある人が多い。
今の現状に不平不満がある人が、未来を語ることはない。
「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである」
と、フランスの哲学者、アランは言った。
人は、なんの努力もしなければ、すなわち、怠けていると「悲観主義」になる。
「楽観主義」になるには、意思がいる、すなわち、努力がいる、ということだ。
だからこそ、努力する人は夢や未来を語り、希望を語ることができる。
怠けている人は、不平不満を語り、悲観主義となる。
安岡正篤師は、「徳とは無類の明るさのことである」といった。
未来を語り、希望を語る人には無類の明るさがある。
つまり、それが徳のある人。
「努力する人は希望を語る」という言葉を胸に刻みたい。
上記の【努力する人は希望を語る】については人の心に灯をともすより引用しています。
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