【オススメ本】宮野公樹『学問からの手紙』小学館、2019。


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先日Impact Hub Kyotoで開催され、私も参加した全分野交流会。この主催である京都大学学際融合教育研究センターの仕掛人がこの本の著者、宮野公樹先生。私が参加した12月の会では「京都の大学、大集合」という企画を立てられ、結果として全大学という目標は未達に終わりましたが、30大学以上の教職員が集合。京都大学学際融合教育研究センターの企画力、訴求力を見せつけられた一日となりました。

さて、そんな宮野先生が昨年上梓されたのが、こちらの『学問からの手紙』。サブでタイトルに「時代に流されない思考」とあるように、大学で学ぶ意義についてまさに時代を超えて普遍的に必要な「考え方」について3つの章に分けられ、それぞれ講義形式・エッセイ形式・対談形式と形式を変えながらアプローチした一冊でした。

目次はこんな感じ。

目次

問いに学ぶ

第1章 大学で学ぶということ

第2章 学問の役割
勉強と学問の違い
就職するのに学問って必要?
興味・関心と課題解決
大学でできること
「基礎研究」を問い直す
「研究者の自由な発想や好奇心に基づく研究」と「趣味」との違い
未だ「異分野融合」を叫ぶ現状を嘆く
専門家、研究者コミュニティーの要不要論

第3章 学者として生きる

おわりに

私が心に響いたのは以下のフレーズ(考え方)でした。

心に響いた考え方(引用)

・「問いに学ぶ」とは自分を知ること、「自分を知る」こととは自分の生を生きること。そして「自分を知ること」ということは、正しくは「自分という存在を知る」ということ(p.7)。

・本来的に言うなら、大学は「学ぶ」ところではなく、「考える」ところ(p.76)

・今を生きる我々が知らず知らずに思い込んでいる何か、思考の殻というものを歴史を知ることで知る、というのは文字通りの人間理解であり、これこそが学問(p.35)。

・正確であることを主張することにどれだけの意味があるのであろうか。どこまで言っても「正しいらしい」でしかないとするなら、どこで境界条件を区切り、あるいは限界を決めるのであろうか。もしそれが論文という形式に縛られるのであるなら、一体僕のこの思考、この思考、この想いは救われるだろうか、その存在を全うしているといえるのだろうか(p.47)。

・現状の大学では極めて残念なことですが、「論文という形式」にこだわり過ぎていて、学問がしづらくなっているということ。学問とは論文を書くこととイコールではありません、断じて。それは学問の一つの方法でしかありません(中略)。こういう現状は自分を含む大学人の責任なのですから、各自は自分達の限りを尽くし、勇気を持って変わるしかありません自分が変わることこそが学術界が変わるということなのですから。ゆえに何においてもまず自分が自分で「考える」ことが大事なのです(p.51)。

・大学でやるのは勉強ではなく学問です。学問に通じた学びをやるんです。あらゆることの根本をおさえる。ゆえに大学は「良い人材」の輩出というより「善き人間」であろうとする人を育む場ということになります(p.58)。

・大学でのあらゆる学びは、問いに学ぶことであり、それは普遍を通じて、自分が囚われている思考の殻に気づくことで本当の自分を知ろうと自分自身を振り返ることに尽きる、と言い切りたい(中略)。「問いに学ぶ」とは、もっと全的なものであり、問いに学ぶ媒体や対象は人でも、自然でも、なんでも構いません(p.60)。

・結局のところ、自分を知るとは自分を無くすということに尽きます。例えば先に話した驚嘆の「あぁ」。これこそが個である自分が全体にふれ、個が全体と一致して自分が無くなることに他なりません。その領域にて考えることが、本当の「考える」ことだと思うんです(p.68)。

・大学で講義を聴くにあたり、そこで語られる情報的な知識というよりも、講師の、学問や人生への姿勢といったことに触れようとしたほうがより自分を知ることになるでしょう(p.71)。

・現役高校生のあなたがしている「勉強」と、大学でする「学問」とは全く性格が異なります。一言で言うなら、問題を解くと言う作業と問題を生むと言う営みの違いです(p.84)

・学問は「社会で働くため」というより「より生きるため」、あるいは同意で「よく死ぬため」に必要なのです。(中略)このような根源的で純粋な問いが在ると知り、終わりなきこの問いを問い続けること。(中略)迷うことを正面から受け止めることができ、その迷いのありのままを抱きながら生きていることであり、だからこそ人には学問がどうしても必要(p.89)。

・思考の殻を破り、この世、あるいは人間の本来の有り様を知ろうとすることこそが学問の役割。自分を見るためには鏡または他者の存在が欠かせないように、現実を見るためにこそ現実から離れる必要がある。(中略)そういう自分たちの立ち位置を確認するために、「学問を現実から囲っておく必要」があります(p.99)。

・異分野融合とは学問そのものことなのだから、異分野融合が大事と主張するのは本来の学問が出来ていない証拠である(p.122)。

・専門とは、全体あるいは根本を知ろうとしての切り口のこと。すなわち、全体を知ろうとしない専門は単なる個別であって専門ではない。(中略)自分が全体を得るために今立っている専門あるいは観点は、果たして的を射ているだろうかとフィードバックを得るために、他分野と議論しようとするのはあまりにも当然(p.127)。

・昔のいろいろな古典を読んでいると、どこもどことなく演説的というか、詩的というか、そんな感じなんです。今の学術本みたいに「これこれこうだから、こういうことを言うことができる」みたいなんじゃなく(p.203)。

・大学でなくても、学問は思うことができます(p.207)

(引用ここまで)

感想

通読してみて、まず宮野先生がなぜ理系から文系に転じたのか、なぜ総長学事補佐をされたのか(引っ張られたのか)、なぜ全分野交流会をし続けているのか、といった宮野先生のプロフィールやそこに通底する背景が少し分かった(見えた)気がします。

次に、本書の第1章のようなマイク一本での哲学的な講義を自分はしたことがないですが、自分の大学時代にはこのような講義がいくつもあったな〜と思い出しました。すなわち、AIやI T全盛期の今だからこそ、パワポや資料に頼らない講義(詩的な演説に近い?)の重要性を再認識しました。

何より日々教壇に立つ大学人の一人として、また、研究者の端くれとして、大学で学ぶ意義はとは何か、翻って、「大学で教える意義」について考えさせられる自戒の一冊となりました。自分もこういう講義をできるか、今の段階ではいささか自信がない部分もありますが、そんな時は本書を勧めたいと思った書籍でした。すなわち学生にも教員にもお勧めしたい一冊です。

補足 

内容もさることながら注釈、お世話になった人リストの書き方も特徴的でした。喩えて言うならば辞書でいう「新明解国語辞典」という感じでしょうか。気になる方はぜひ実物でチェックしてみてくだささい。

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