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擬人化を人名で呼ばない理由を考察した

自分が、自創作の擬人化キャラクターたちを積極的に人名で呼ばない理由を考察してみたら大層面白かったので、文に書いてみました。

一応断っておきますが、これは、「擬人化は人名で呼ばなければいけない」逆に、「人名で呼んではいけない」ということを述べる文ではありません。あくまで、「私が」「なぜ」「人名で呼びたがらないのか」を探ってみた文です。あしからず。

1.擬人化と、擬人化創作の定義

そもそも、「擬人化」「擬人化」と気軽に呼んでいますが、「擬人化」ってなんでしょう。よくよく考えたら定義を知らないぞ。これは大問題です。

研究室の本棚に『広辞苑』があったので、確認することにしました。

”…【擬人化】人でないものを人に擬して表現すること。”        新村出(1970)広辞苑 第二版第三刷.530p,岩波書店,東京.

令和の時代に、昭和に出版された辞典の文章を引っ張り出してくるのは少々時代遅れかもしれませんが、研究室にあったのがこれだったから仕方ない。そのうち、教授にねだって新しい版を入れてもらいましょう。

この『広辞苑』の定義で分かったことがあります。          「擬人化」は「人でないもの」を対象としているという点です。少なくとも、この版の時点では。私は「フォロワー擬人化」なる創作を見たことがあるのですが、本来の「擬人化」の定義からは少々外れているようです。「フォロワー擬人化」に関しては、SNS上に作られたペルソナ(人格)を具体化しているという意味で、これはこれで考え方を考察すると非常に面白い案件だと思うのですが、横道に逸れるとキリがないので今日はやめます。

「擬人化」の定義が、上で述べたようなものであるということは、

「擬人化創作」=                         「人でないものを人に擬して表現する創作の手法、またその創作物」

とでも定義するといいのかと思います。なるほどね。

2.擬人化作品の例とキャラクターの呼び方

「擬人化創作」に関しては、「擬人化されていないものなどこの世には存在しないのではないか」という勢いで、あらゆるものが擬人化されています。ジャンルとして大きい(というか商業化されている)のは、「国」「都道府県」「船(特に艦艇)」「鉄道」あたりでしょうか。

というか具体的な名前を挙げて考察してもいいかな?話が進まないし。

『ヘタリア』『艦これ』

を取り上げて、キャラクターの呼び方について考えてみたいと思います。

2.1 『ヘタリア』について

『ヘタリア』は、正式名称『Axis Powers ヘタリア』という作品で、国及び地域の擬人化を取り上げた漫画(を中心とした作品)です。詳しいことは目の前の機械でググってほしい。

この作品の二次創作では、各キャラクターを人名(愛称)で呼ぶことが一般的です。というか推奨されています。「この作品に関する創作物と、関係のない創作物または情報を分ける」ことが目的と言われています。

2.2『艦これ』について

『艦これ』は、商標『艦隊これくしょん-艦これ-』という作品で、DMM.comが配信しているブラウザゲームです。第二次世界大戦期に活躍した艦艇が擬人化されたキャラクターを育成し、敵と戦ったりします。

この作品の二次創作では、先ほど取り上げた『ヘタリア』のように、積極的に各キャラクターを人名(愛称)で呼ぶことは行われていないようです。

2.3 擬人化一次創作と人名呼称について

上では「擬人化創作」の大ジャンルも大ジャンルの商業作品(と二次創作)について取り上げましたが、同人作品(擬人化一次創作)でキャラクターを人名で呼ぶことがないかというと、それは全然あります。「積極的に人名を付ける」サークルもあれば、「パロディ作品(いわゆるセルフ二次)のみ人名を付ける」サークルもありますし、もちろん「元ネタの名称でのみ、呼ぶ」サークルもあります。

3.擬人化に人名を付けることとは

具体例は分かった。で、「擬人化」キャラクターに人名を付けることって、結局のところ、なんなのでしょう。

私は、この行為を突き詰めて考えると、「差別化」に行きつくのではないかと考えています。「現実(元ネタ)との差別」あるいは、「他者の創作物との差別」です。

『ヘタリア』の例は、「現実(元ネタ)との差別」に当てはまるように思います。「人名(愛称)」を付けることで、「これは創作物だよ」「実際の国(=元ネタ)とは関係ないよ」と示しているわけですね。

「擬人化一次創作」の例は、「他者の創作物との差別」に当てはまるように思います。現実の名前付けを考えても分かるように、名前というものは非常に大きな「個性」を持っているものです。「アイデンティティ」の塊と言ってもよいでしょう。たとい擬人化キャラクターの元ネタが同じものでも、名前が違えば違う創作者のキャラクターなのだな、と一発で分かります。もちろん、「検索除け」の効果を期待して、「現実(元ネタ)との差別」を図っている方もいらっしゃるでしょう。

4.なぜ私は自創作の擬人化キャラクターに人名を付けないのか

この小タイトルは詐欺です。正確に言うと、私は「現パロ限定で」自創作の擬人化キャラクターに人名を付けています。が、例外は置いておきましょう。

3.で、人名を付けることは「現実(元ネタ)との差別」あるいは、「他者の創作物との差別」の効果をもつのではないか、と述べました。

まず、「他者の創作物との差別」ですが、私の場合、ほぼほぼその必要がないです。というか、同じ題材をモチーフに擬人化してらっしゃる方はいらっしゃいますが、積極的に同じ題材で交流したことがないので、これまで不便を感じたことがありませんでした。

次に、「現実(元ネタ)との差別」ですが、おそらく、これが、「私が自創作のキャラクターに人名を付けない理由」なのではないかと思います。

要は、「現実(元ネタ)との間に明瞭な境界を入れたくない」んです。 「現実と妄想(創作物)との境界を曖昧なままにしておきたい」んです。 「妄想の世界の中で生きていたい」んです。

この理由に辿り着いたときにかなりショックを受けましたが、ここ最近の創作活動への傾倒具合を鑑みると、妥当な結論なのかなあと思いました。少々、創作活動との付き合い方を考える必要があるかもしれません。

5.まとめ

擬人化創作物のキャラクターに人名(愛称)を付けることは、現実(元ネタ)や他者の創作物と差別化をすることである。「私」は現実と自創作の間に境界を入れたくないので、人名を積極的に付けていない(のだと思う)。

※繰り返しになりますが、これは「私が自創作の擬人化キャラクターに人名を付けない理由」を考察してみた文章であって、人名を付けることがいいとか悪いとかを述べたものではありません。