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カメと暮らせば

私は家に一匹のカメを飼っている。名を「師匠」という。

師匠は3年前の夏、大学の農場でひからびかけているところを私に発見されて保護された。大学の周囲は住宅地で、池のある公園までも1㎞ほどはあるので、全くもってどこから来たか謎だった。弊研究室には手頃な空き容器がなかったので、水系の研究をしている隣の研究室に駆け込んだのだが、甲長20㎝はありそうな大きなカメを手に現れた同期を見て、友人は困惑していた。当然だ。すまなかったと思う。

カメを保護したはいいが、どうするべきかというのは大問題だった。池のある公園であれば、産卵のために陸地に上がったのかなどと考え、放っておくのが第一の選択肢であろう。駐車場などのコンクリート地帯に現れたのであれば、そっと土壌のある場所に移動するだけでいい。

ところが、大学にはカメの生息するような大きな池は無い。つまり、このカメは大学内にいたカメではないのだ。大学の生態系に元々組み込まれていた生き物ではないのだ。ありていに言えば、捨てガメか逃げガメということになる。

仕方がないので、飼うことにした。2016年の夏の話である。

カメ目は全くの専門外なので調べたのだが、このカメは「クサガメ」という種類のカメだった。全国に分布するカメで、中世以降に移入したものであるらしい。ペット用に輸入されるものも多く、神社や公園などで見られる個体は捨てガメだったりするようだ。泳ぎがあまり得意ではない、という文はともかく、「性質が陽気で」は執筆者の私情が混ざっているのではないかと思ったが、それなりに飼育はしやすいカメであること、飼育に許可が要る種ではないことは分かった。

近所のホームセンターに行って、適当な容器を探した。金がないうえ、水替えの手間があるので、1500円くらいの衣装ケースがカメの終のすみかに定められた。敷地と道路に段差があるときに置く、例のブロック(商品名は「段差解消プレート」というらしい)を陸地替わりに置いて、何度目か分からないが、カメ生がリスタートした。

あれから3年。衣装ケースの中で、拾いガメはぬくぬくと暮らしている。日に一度、私の手から大袋数百円のホームセンターで買った餌を食べ、他の時間は気ままに甲羅干しをしたり、水に潜って居眠りしたりしているようだ。夏場は2日に1回は水替えをしないといけないので、この時期の水道代は跳ね上がった。体調が悪いときは正直めんどくさいのだが、拾ってしまったものだから仕方がない。咳をしながら、怠いのを我慢しながら替えている。

カメと暮らすようになって、カメの情報が多少は私の中にインプットされたためか、周囲のカメの影に敏感になった。見渡してみれば公園の池には思っていたよりも多くのカメがいた。

ちょうど同じくらいの時期に、都心の某公園でアルバイトとして働くことになった。某公園は非常に広大な敷地と、いくつかの池を有し、当然そこには何種類かのカメがいた。クサガメと、イシガメと、ミシシッピアカミミガメと、スッポンと、おそらく他のカメもいたのではないかと思う。大きな公園には大抵、管理局があって、情報を発信しているインフォメーションセンターのようなものが置かれていたりするが、ここの公園も例外ではなく、春先にはカメの情報をよく出しており、職員さんはカメのことを知っていた。

ある日、バイト先に行くと、虫かご(ケージ)の中に、小さなミシシッピアカミミガメがいた。これは「ミドリガメ」と呼ばれるだろうな、というくらいの、500円玉より2まわりか3まわり大きいくらいの体長だった。職員さんは「今日は子供たちの観察会があるので、そこで見せる」と言って、ケージの中にカメが食べそうなものを入れていた。私は、「終わった後はどうするのか」と訊いた。

「冷凍庫に突っ込むよ?可哀そうだけど。」

ああ、そんなもんか。と思った。ミシシッピアカミミガメは侵略的外来種として知られているカメで、日本では「要注意外来生物」に指定されている。愛知県や佐賀県など、条例で規制対象となっている自治体もある。つまるところ、日本の生態系内で殖えることが全然推奨されていないカメであって、捕まえたら死ぬまで飼い続けるか、殺すかするしかないのだ。これが一匹や二匹なら温情を掛ける道もあるだろうが、状況証拠から見るに、ミシシッピアカミミガメは公園内で繁殖している。キリがない。私が公園の職員でもそうしただろう。

元は北アメリカの水辺で生きていたカメがなぜ日本にいるのかといえば、それはペット用に持ち込まれたからで、さらに言うと飼いきれなくなって捨てられたからだ。仏教では放生会といって捕らえた生き物を池や野に放つ行事もあるのだが、いくら宇宙船地球号などと運命共同体を謳っていても、北米のカメを日本に放つのは錯誤も甚だしい。そもそも、捨てる人は放生会のことなど頭にはなく、「死ぬよりはマシでしょ」みたいな考えなのだろう。

そういうカメが日本中にいて、バイト先の公園にもいて、在来の生態系のカメの資源を奪い、個体数を減らし、交雑をおこし、ついでに公園職員の手を汚させるわけだ。あんまりこういうことは言いたくないが、クソくらえだ。

陰鬱な気分になっている私をよそに、拾いガメの「師匠」は今日もよくエサを食べておひるねをしている。クサガメ自体は要注意外来生物に指定はされていないが、おそらく日本の自然界で育ったカメではなく、そうでなくても近辺で育った個体ではないことを考えると、再度捨てることは絶対にできない。師匠を飼いきるために、私も長生きをしなければいけないし、不慮の事故で死ぬことはできない。責任重大である。

生き物を飼うということは、そういうことなのだ。