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S氏の伝説

全て実在する人物の実話である。
S氏は2012年11月27日、日本のとある病院にて彼の両親により産まれた。産まれた病院についても諸説あり、彼の家の近くの大きな病院である可能性が高いとされているが、本人はどこで産まれたかは覚えていないのと、私が彼の両親と話す機会が一切なかったことなどにより誕生した病院については情報がない。さらに、彼が数年間同じ家に住んでいたという確証もなく、彼の誕生、そして彼の幼少期については謎に包まれている。2012年11月27日生まれなので紅葉で染まり、どんどん寒くなって凍える時期である。彼には兄がおり、彼の兄がいつ産まれかははっきりとしていないが2007年〜2011年の間ではないかと言われている。彼の幼少期については私は一切情報がない。なぜなら、先ほども記述した通り彼の両親と話すことはできなかったためである。だから、私は2019年4月に彼に初めて会ったときの話を書く。2019年4月、彼は私の学校に入学した。非常にゆっくり話すのが特徴的であった。見た目は非常に賢そうな雰囲気もある。入学当日、彼は同級生によって苗字を取って普段呼ばれる名前(事情により伏せさせていただきます)をつけられた。私もそのように呼んでいたことが多かっただろう。
私と彼は対立した。対立の原因は未だわかっていない。同じ学校で生活していたらいつの間にか対立していた。私は彼と入学当日から話していた。それにより私の中で彼はふざけていると思い対立の原因となった。その仲の悪さは学校中に広まり、それにより1番周りからの印象が悪くなったなったのは私だった。なぜなら、私は彼より三つ上であり、明らかに体格にしても力にしても彼を上回り、彼と喧嘩をすれば彼が確実に負けるからである。だが、私は気にせず喧嘩した。私は彼との喧嘩をスマブラごっこ(当時流行っていたゲーム、スマッシュブラザーズ大乱闘のリアル版としてやっていたことにした)と自ら紹介した。そして彼も乗じてそれをスマブラごっこと言った。
そして1番彼との思い出で印象的なのは2019年の夏休みだろう。私にとってもこの夏休みは人生でいちばんの伝説であったと考える。なぜなら、当時同じ学校に3人の問題児、通称トラブル三大師が夏休み同じ公園に集まっていたからである。近所に大きな公園がある。非常に広く、端から端までは車で移動する必要があるほど遠い。私とM氏とN氏は2019年夏休み、同じ公園に偶然居合わせていた。それも、この公園は暇さえあれば学校の生徒の多くが行く場所であったからである。特に夏休み中は、いつでも必ず数人以上は学校の生徒がいた。そして私はM氏とN氏と居合わせた。彼らはゲームをめぐって喧嘩しており、私はそれを見て笑っていた。非常に滑稽で面白かったからである。
話はそれたが、S氏との夏休みの思い出の一つは、彼が公園で宿題をしていた最中、ベンチで寝ていた私だったが、ベンチで起き上がり遊具でも遊ぼうと思って彼の横を通った際、彼の宿題を見て「まだそんなもんかよ遅いな」と言って私が彼の頭を叩いたことである。彼は泣いた。今の私からしたら当時の私の行動は明らかに間違っており、当然近くの大人から叱られた。しかし、当時は明らかに対立しており、通っただけで殴るのが当たり前だった。以前にも彼は殴られて泣いたことがある。私の一個上の者が彼に挑発されたとして彼の腹を殴った。挑発は彼の得意技である。私の一個上の者はT氏と言うのだが、私がT氏に対して「未熟」などの発言をした際、T氏がM氏に「こいつボコしていいよ」といい私はボコされた。M氏は強いのでなかなか痛かった。このようにT氏は挑発されたら反撃をする性格なため、S氏は挑発してはならなかった。そして夏休み中最も大きな事件が体育館脱走事件であろう。2019年8月20日もしくは21日(これに関しては日付は曖昧で、覚えてない。私は事件が起きたそのときに日付を気にしているわけではないので当然覚えているわけもない)に、私は学校の体育館でS氏含む10名ほどと遊んでいた。ドッジボールをしていたのだが、ドッジボールが終わり次のゲームをするまで自由にしている際、S氏が突然「びゅうううう」と言い手を広げて回転しその手は私に当たった。それにキレた私は彼に「やめろよ!」と言って突き放した。それを見た上級生が「出ていけ」と私を突如追い出した。私がS氏をよくいじめていたこと、そして私が彼との体力差を無視していたことが原因で彼らは私が一方的に暴力を振るったのだと勘違いしたのだろう。私は追い出された。追い出されたため、私は裸足で体育館から遠いところまで逃げた。理不尽に感じたからである。10名は私のことを探し出し、500mほど離れたゴミ広場で私を見つけた(私がゴミとして捨てられていたわけではないよ笑)。彼は私が出て行ったことにキレていて、私は反論した。そしてS氏も叱られた。2019年8月20日か21日の2時ごろである。
それからしばらくして、二学期に入った頃、N氏の父とS氏が某公園で居合わせていた。その日は月曜日の放課後だったため、N氏の父はS氏に「日曜日何した?」と聞いた。そしたらS氏は「え?」と言って震え出し、突如泣き出した。N氏の父はよく公園に来るのだが、厳しいことで知られている。自分の子供にはもちろん、他の子供も悪いことをしていればすぐ叱られる。非常に強そうで大柄で怖い。S氏は叱られたのだと勘違いして泣き出したのだろう。
それ以降は目立ったことはあまりなかった。スマブラごっこは続けていた。11月27日の誕生日だが、残念なことにその頃私はインフルエンザにかかっていて祝うことができなかった。2020年4月、休校と同時のここから25里ほど離れた学校に転校した。彼は非常に困難な家庭の問題を抱えており、家庭環境が荒れていた。そのため彼は祖父の家に住むこととなったのだ。
それ以降は彼の話は聞いていない。噂によると施設に入ったとか言われているが定かではない。にしても彼は伝説だ。私の知らないところで彼は伝説を生み出しているのだろう。S氏に栄光あれ!

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