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今日の起床7:00。旅の刺激低下。

noteが、こんばんは体にお気をつけくださいね、と言ってくれる。機械からのそういうメッセージが結構嬉しい。そういえば、週末の夜はラジオで人工音声DJが番組をやる日があるが、それも好き。

ところで、今日は少し仕事をした後で北海道に来た。神戸空港からさくっと飛行機に乗ってすぐに着いた。空港のあるポート島には、仕事でよく行っているため全く非日常感がない。だいぶ長距離を移動したのに、なにか、近所にちょっと出かける延長みたいな感じしかしない。旅にともなうこの感じは少し前から気づいていた。これはもしかするとインターネットでどこででも日常と同じような情報にアクセスできるからかもしれない。もしくは単純に、私が歳をとって大抵の事には新鮮味を感じなくなったからかもしれない。今日は夜の札幌の街で、ホテルを探して少し道に迷ったのだが、iPadを起動してGPSで場所を探すことにした。なんとなく、ビジネスホテルを探していること自体が目標として魅力がないので人に聞きにくかったからだ。これは大変つまらなく、3日前に神戸の街で5人に道を聞きながら事業所にたどり着いたときの方が面白かった。

ホテルでは、備え付けのWi-Fiがもちろんあったが、持参のWi-Fiに繋ぎ、オンライン英語でお世話になっている先生の猫の容態について話した…ようするに全く普段と変わらないのだ。しかもコロナウィルスが世界的な問題となって以降、人との交流のかなりの部分がオンライン化している。今朝もオンラインで自助グループミーティングを開いたところだ。明日の夜も北海道だが、いつものオンラインミーティングを主催の予定。

大学生になったとき、ネットどころか固定電話さえ無くて孤立している気分だった。今は海の向こうにいようと、一般人でも動画で話しながらコミュニケーションできるのだから、孤独の質は違ってきているだろう。私の場合は、たぶん行きすぎた孤独もアディクションを加速させたと思うので、現代の多様なつながり方は悪くないと思う。しかし、そうは言っても、1人にならざるを得ない環境で自分自身の感情と向き合い考えたり書き綴ったりする貴重な機会がつながりすぎにより失われているのではないかと思う。少なくとも、私の場合は失われている。これは単に自分自身にスケジュール管理の能力が欠けていることや、抑制ができずその場でやりたいことしかやっていないせいかもしれない。しかし、自分自身がその調子ならば、同じような人もたくさんいるのではないかと思う。多様なつながり方をするだけではなく、つながらないことも意識して選択肢に入れておく方が、結果的に豊かな感性をみちびくのではないかと思う。

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