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B'zの『今夜月の見える丘に』の「ある一節」から、創作のヒントを得た話

※ この記事は、曲の世界観の解釈や考察ではありません。タイトル詐欺のように思われた方は申し訳ありません。


 私はB'zという音楽ユニットが大好きだ。
 小学生くらいの頃に、親が車の中で金色のベストアルバムをよく聴いていた。これがB'zを知ったきっかけである。
 中学時代の同級生にB'zファンが数名おり、彼らの影響もあって私もハマっていった。
 そこから現在まで聴き続けている。
 一度参戦したLIVE-GYMでの『恋心』の一体感は忘れられない。

 そんなB'zが2000年にリリースした
『今夜月の見える丘に』
 という曲がある。

 この曲は『ビューティフルライフ ~ふたりでいた日々~』という
 木村拓哉と常盤貴子が出演した大人気テレビドラマの主題歌だった。
 ミリオンヒットのシングル曲なので、知っている人も少なくないだろう。

 私がこの記事で話したいことは
 この曲の「歌い出しの歌詞」から、創作のヒントを得たという話である。

 以下にその箇所を引用する。

たとえば どうにかして 君の中 ああ入っていって
その瞳から僕をのぞいたら いろんなことちょっとはわかるかも

B'z『今夜月の見える丘に』

 とても自然にメロディーに乗っている歌詞なので、聴いている分には何も思わない。
 実際私もこの曲を初めて聴いてから約24年間、何ら違和感を覚えたことはなかった。

 しかし、私が5月に小説を書き始めてから、久しぶりにこの曲を聴いた際
「たとえば どうにかして 君の中 ああ入っていって」

 という歌詞に対し

「稲葉さんにしては、ずいぶん大雑把な言い回しだな」
 という印象を持ったのだ。

 ボーカルの稲葉浩志さんが作る詞は
 彼の富んだボキャブラリーによる繊細な表現が多い、と私は思っている。
 実際、歌詞の考察や解釈を紹介するファンサイトなども多数存在している。

 もちろん、今のところ人間には「誰かの頭の中に入って自分自身を見る」などという芸当はできないので、その具体的な方法を書けないのは当然だろう。

 しかし、そのことは分かっていても
 この「どうにかして〜」という言い回しは
 ひときわ「漠然とした、大雑把な表現」に思えたのだ。

 私も稲葉さんの中に入ることはできないので、この歌詞がどのように出来たのかは分からないが
 おそらくは、松本さんの作ったメロディーにこの歌詞を乗せたのだろう。
 もしかしたら、余っていたから「どうにかして」を強引に付け足しただけかもしれない。


 そして、私がこの「漠然とした表現」に対し、どう感じたのかというと
「なるほど! これでいいのか!」
 と一つ創作のヒントをもらったような気持ちになったのだ。

 それは
「説明できないこと、しなくてもよいことは、ときに大雑把なままでよい」
 ということだ。

 なぜ私がそう思ったのか、というと
 私には、小説を書く際に「説明などが冗長になりがち」という
 ものすごく改善したいクセを持っているからだ。

 だから、この歌詞に改めて触れた際に
「創作はときに、これくらい自由で大雑把でよい」
 ということに気付き、そして勝手に救われたのだ。

 ついつい何でも説明しようとしてしまう自分。

 描写にリアリティを持たせようとして結果的に冗長にしてしまう自分。

 わかりやすく説明しようとして、かえってわかりにくい文章にしてしまう自分。

 スパイス的に
「どうにかしてこうなったんだよ!」
 と大雑把に展開をまとめる方がよいのでは
 むしろそれの方が分かりやすいこともあるのではないか
 と、思ったのである。


 いまいち私の感動を伝えられるように書けていないように思える。
 将来的に、自分でも読み返して「意味不明だな」と思う日が来るかもしれない。
 が、時間が経ってからではなく、今の新鮮な気持ちを残しておきたいという気持ちもあり、こうして記事にしてみた。

 noteは編集し放題なので、少しずつ内容がブラッシュアップされていくかもしれない。

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