輪廻するって君も私

村田沙耶香氏『生命式』を読んで――

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 いつものように近くのコンビニで総菜パンとヨーグルト飲料を買うのに、今日の店員はレシートをくれない。彼にとってここのところは、必要ないとする客が趨勢なのだろうが、商売マナーの違反だとわたしは思う。自分でも少々おこがましい所作であると自覚しながら、それを促すと、アジア諸国からの留学生の細い目つきは、何の感情もなくレシートを引きちぎってくれた。「揚げたてチキン50円引き」のレシートが、そのレシートについてきて、心躍りながら路上に飛び出すと、「しんど」と一人ごちする三つ編みのお婆さんとすれ違った。
 私は家に帰るなり、買ったものを食べ、さっきのレシートと「揚げたてチキン50円引き」のレシートを丸めてゴミ箱に捨てた。ゴミ箱がいっぱいになったので、もらったレジ袋をプラスチックのそれに張り詰めた。
我が家にはゴミ箱が、台所、ベッドルーム、洗面台の三か所にある。トイレで出たゴミは全部水に流す。ふと一息ついて、高さのないソファに座ると、せっせと生み出した髪の毛とせっせとよそから持ってきた砂が床に一定量あるのを認めた。ティッシュを一枚取り、集めて捨てた。わずかばかり取り切れないが、それはご愛敬であります。ずいぶん前に、両親と妹、父方のお婆さんと五人で暮らしていたとき、やることのないお婆さんはよく素手で廊下の埃を集めて捨てていた。母はその姿にいら立ち、お婆さんがそういう動作に入ったら掃除機を出して「私やりますんで結構です」と部屋に返していたことを思い出した。あれからずいぶん時がたったなぁ。
さて、ゴミ袋がいっぱいになったので集積所に向かう。私のマンションは管理費二万円強の割には、管理人の駐在時間が長く、ゴミ置き場も外と分断されていていつでも出せるのが魅力だ。明日が燃えるごみの回収日なので、山高くゴミが積みあがっていて、いつかコーヒーのCMで見たグァテマラの清冽な山脈を思い出して恍惚とした。崩さないように、それでいて、さらに威厳が増すように、クリスマスツリーを飾り立てるあの無邪気な気持ちが沸き起こるこの瞬間がたまらなく好きだ。
部屋に帰ると、シンクにさかさまにしていたペットボトルも六本乾いている。いそいで袋に詰めて、私はもう一度集積所に向かう。掲示板には、次の町内清掃の日が来週だとあって頭にメモした。ペットボトルは燃えるゴミ山脈を超えたところなので、今回は山を迂回して捨てる。こちらはみんなの惰性のせいで水滴がたくさん残っているので、無機質な蛍光灯の光でも乱反射してプリズムのように、まるで鍾乳洞のよう。キャップをバケツに入れると、貝殻同士が自然に波にさらわれてぶつかったときのような音色が響いた。つんとつく刺激臭に見送られ部屋に戻り、今度は点けようとしたテレビの台の下に埃と髪の毛が点在している。
大学時代のサークルの先輩で、こけしのような髪型が独創的だった田中先輩は「陰毛って生きてるよね」と宴会でつぶやいて、言い得て妙の笑顔が広がった。髪の毛は、マグネシウムなど、なぜか人間が取り込んでしまったいらないものを集めてできている。いらないものにキューティクルだの、パーマネントだのしてぜいたくできる人間はとても悠長で強靭な生き物だ。
でも、特に大きな目標もなく、静かに大手電機会社で経理をし、訪れる結婚ラッシュもわが身一つで乗り越えてきた私にとって、ゴミ出しというのはとても生産的な行為だと思っている。私が生きていると、私から無駄なものが出る。この無駄なものは、私の対偶だ。無駄なものがないなら、私は死んでいる。
町内清掃の日が来た。ほかの人が出した無駄なものが、マナー違反というオマケ付きで拾い集められるなんて、鴨が葱を背負って来るみたいじゃない。
「ああーいつも偉いね!」
と町内会長で一帯の氏子をまとめる神社の宮司である丹羽さんが野太い声で笑った。丹羽さんの脂ぎった頭皮にあった薄い髪の毛から髪の毛が落ちていく。粉雪のようにいとおしく、私はそれをすぐに拾ってゴミ袋に集めた。
 丹羽さんのすねをかじるバカ息子も、この日は毎回手伝わされている。彼とは実は三つ違いで、同じ商業映画のTシャツを着ていたことから話が合ってよくしゃべるようになった。「きみも偉いね」と声をかけると、腫れぼったい瞼は動かさず、顔を動かしてこちらを睨みつけ、「ああ、長田さん、お疲れ様です」と放った。しばらくの話で、大学は辞めて家業を継ぐ気になったという。
「長田さんも一杯神さまのご利益得るよう祈りに来てください」
 さて、私はまず溝の中を覗く。シダ植物が濡れた生暖かい匂いに舌鼓を打つ。数匹の虫が、ビニール袋や缶を住まいにしようとしているが、その命ごと袋に入れる。湿った土も、コンクリート片もみな均一に放り込む。わたしはこの袋に入れた全てを等しく愛している。色形違えど、私の元に捨てられる以外の選択肢をもたずにきたものたちは等しく家族のようなものだ。今からしばらくたてば、街はずれの処理場で燃やされてほとんど炭素になり、風に乗ってまた私の街に降り注ぐ。森に行って植物に取り込まれ、酸素になるものもいるだろう。こんな平等は、いくら政治家が声高に叫んでもなしえない万物流転の平等なのだ。
 呆けていたのか、ほとんど接吻できる距離に顔を近づけていたバカ息子に「きもいっすね」と言われて、思わず飛びのいた。飛びのいてから、彼の生臭い吐息や、無駄な整髪料の芳香が感じられて不快に思った。臭いは捨てられないので、敏感なだけ損している。
「ぼくもね、ゴミ掃除、実は好きなんすよー。だって、僕を馬鹿にする色んな人たちがこれを捨てていくし、見向きもせず家に帰ってるから今日ここにあるんすよね。いろいろと取り繕ったり人を卑下して自分に縋り付いている人たちが、一所懸命生きるためには、ゴミを拾う余裕なんてない。でも、僕や長田さんがいなかったら町は汚くなりゆく一方じゃないですか。もっとね、大局を感じてからものを言えっていう話なんですよ」
「それは、そうかもしれないけれど」と、ゴミ問題と自立の問題は別だし、自立していないことそれゆえに悪だというわけでもないなど説いてやり過ごす。今日はゴミ袋三個分を集めた。それらを集積所に一緒くたに積むときはいつも、育ててきた教え子が巣立っていく教師の心持を理解できる。丹羽さんが高らかに笑いながら安物の洗剤をくれて解散した。ゴツゴツした手からインスタントなものが私の手に渡ったとき、私からそれを燃え滾る炎のタービンへ渡す映像が見えた。その後ろにはアマゾン川と森林だったり砂漠だったりが見える。大きな循環を私はゴミとなるものから感じ取るまでに成長した。
 家に帰ると、彼氏彼女の契約を結んでいるアツシがコンビニのお好み焼きを食べ終えて人のオレンジジュースを勝手に飲んでいた。テレビは無駄な情報こそ出すが直截のブツは出ないので、そのブラックアウトに埃が積もっていく様子だけをいつも見ている。彼はどこから見つけたのかリモコンを片手にいじっていた。「桃子おかえり。何してたの」ときれいに整列した歯から透き通った声を出す。大学のサークルで出会って以来の彼は不潔でこそないが、親の教育が良くないのであろう、食べこぼしや自身のゴミにあまり頓着のない男で、歩いた後にゴミがでるのでとても好きだ。俺の後ろに道ができる、と言わんばかりの自慢げな彼は、サークルの宴会でもよく粗相してはどこかへ行くので煙たがられていたものだ。その吐しゃ物を、顔をしかめながら処理し、大量のトイレットペーパーと一緒にゴミにするのは決まって私だった。それが耳に入ったツヨシは自身への行為とはき違えたのか、詰め寄ってきたので、受け入れたまでだ。
 愛くるしく厚顔無恥な様子に性的魅力がないわけでもない。それなりに愛着がわいてきているのだが、今日は様子がおかしい。お好み焼きの容器はゴミ袋に入れて臭いのもれないようにレジ袋で縛っている。性行為の際もいつもは液体をまき散らすのに今日は避妊具の中に収め、下着を集めている間に全裸の彼がティッシュでこぼれを吹き去っている。そういえば流行りの薄いグレーのセーターもソースで汚れていない。急激な不安に襲われた。
「先輩に、男も甲斐性が大事なんだ、それはお金だし、お金がないならせめて家事をしてやったりして安心させて懐に包んであげるような。そうしないと男としてじゃなくて子供として扱われっぞって。そういえば、俺たちの始まりも桃子が俺のゲロを処理してくれていたからだったよな」
ニッカリと笑う言葉尻の汚さこそ不滅だったが、積み上げてきたゴミ山が一気に崩れ去る寂しさが湧いてきた。取り繕う丁寧はそれこそ無駄なものだ。本当のゴミは無駄なものなんかじゃない。人間が流転に抗うぜいたくなのだ。ヘラヘラとゴミを集積所にもっていこうと道筋を尋ねてくる彼を必死に静止し、
「ゴミを出すから魅力的だったんじゃないの!こんなの契約違反よ!」
と大声を出した。すぐに、隣人が壁を大きな音で叩いた。そういえば、さっきセックスしていたときもこの鈍い音が鳴っていた気がする。音も無駄なのに捨てられないなんて卑怯だ。
「なにいってんだ」と白目むくツヨシの左手からゴミ袋を奪うと、ベランダの半身くらいあるゴミ箱に投げ入れた。私は下着姿だったので、夕闇に浮かぶ隣のビルでおじさんがこちらを凝視しているのが見えた。その無駄な視線も、不快な思いにしか変換できない。
「あなたの後ろにゴミがあるから、私はその後ろをついて行けるの!あなたは前を向いて、私を所有欲と性欲の対象にしてくれていたらそれだけでよかったのに……」
 久方ぶりに大きな音を出してむせ返り、肩で息をしていた。彼はベッドの上で怯えて後ずさって硬直している。それからしばらく向かい合っていたが、彼は荷物をもって大股で家から出ていった。「きっも」と言っていた。彼の言葉で心が揺れたことは一度もなかったが、この言葉だけは胸に刺さった。すぐに飛び出してマンションの吹き抜けの廊下から外を見た。彼がガムを取り出して、包み紙を捨てている。胸が高鳴る。でも、もう私の前でそれをしてくれない。下着姿のままで、音に集まった隣人が出てきた。初めて見たが、170センチくらいで小太りの出不精な雰囲気が満載の男だった。彼は好色の目つきを見せると、私はその目やにやフケに目がいき、よだれが出てきた。一歩一歩近づいてきて、彼はいきなり私の左手を掴み、余った太い掌で胸を掴んだ。下着をずらそうと失敗したが、若い乳房が一つ出てしまった。胸は高鳴っているのだが、そのヤニくさい吐息やまくり上げたチェックシャツから除く濃い体毛にとっさに
「イヤァアアア」
と叫んでいた。間もなく、別の階の住人や、路上の往来がこちらに注目し、男は草食動物のそれのように巨体を揺らして急いで逃げ帰った。紳士然としたミドル世代の男が下りてきて「けがはないかい」といったが、私の下着姿も品定めするように一瞬間、嘗め回した。「です。警察とかも、大丈夫なんで」と言う私は、振り返ったときにはツヨシはもういなかった。
 部屋で茫然としていると、隣の部屋にあいつがいることがたまらなく不快に思えてきた。これがゴミだったら、すぐに縛って集積所送りにするのに、このどうしようもない存在位置の関係は何もできない。どちらかが退去することでしか断ち切れないのは末恐ろしいし、やるせない敗北感がある。
 溝でビニール袋にいた虫のことを思い出した。名前も知らないその彼に、私は天上の愛でもって住処ごと焼却を決定してやったのだ。ドブのような思いをしている私をゴミ拾いしてくれる存在はないものなのだろうか。そんな不合理なことはあってよいのか。私が崇高な使命感で捨ててきたゴミと、拾い集めた世界のゴミのこと、そして、丹羽さんがまた見えた。
「よう、お疲れさん!」
日に焼けた丹羽さんの快活な声で受け取った、床に転がっている洗剤を手にしたとき、私は焼却炉の炎と、その後ろに広がる南の島や広大な宇宙、浮かぶ人工衛星が見えた。役目を終えた人工衛星は、大気圏に自ら墜落し雨中の塵となる。人間というものは、死ぬまで灰になれないはおろか、その骨は箱に入れられ、末代まで守ろうとする先祖への愛で、焼き尽くされないのは恐ろしいし、なんて傲慢な種族なのだろうかしら。もはややることは一つだったが、たばこも吸わないし、バーベキューもしない、あげくIHコンロの我が家には、放火するものすらないのだ、と天を仰いだ。そして、電球が見えた。私は埃のかぶったテレビジョンを電気の通う電球にぶつけたが、少しの火花とテレビが破壊される音だけが響く。隣人のあいつが割れんばかりに壁を三度叩いた。私はそれは鼓舞するティンパニのように感じた。思い出して、卵をたくさん電子レンジに入れた。ヴーと、赤外線のどす黒い赤色を浴びながら、大量に投入された卵がゴロゴロとテーブルを回っている。可燃物をたくさん電子レンジの前に集めた。残り五十八分と点滅しながら、刻々と減っていくタイマーに、鼓動が同期している。
BON!
と大きな音がした。揺れている卵もある。残り四十五分になったころ、煙が出てきた。私は半ばあきらめかけてカーテンを閉めたり、二重鍵を閉めなおしのぞき穴から広がる町並みを見て奥歯を噛みしめていたところだった。
BON!DON!と鳴いている。これはバスドラムだ。中学校のみんなで見に行った市の吹奏楽団の演奏を思い出した。チャイコフスキーというクラシック作曲家の序曲を吹奏楽に編成したものだったと思う。本当は大砲を使うらしいところを四台のバスドラムで代奏していた。あの沸き起こるパッセージが思い出される。どす黒い赤外線と回る卵、そのとき、一瞬にして殻が弾け、殻が燃え始めた。その炎は思っていた焼却炉のものよりも小さく、情けないものだった。火災報知器が騒ぎ始めた。
「カジデス、カジデス、スグニヒナンシテクダサイ、カジデス、カジデス……」
どうにも白けて、私は先日ツヨシが買ってくれたワンピースをしっかりと着て、まだタグがあったので、クローゼットの御道具箱から鋏を取り出して切り取った。Mのサイズを表すシールも小さく貼ってあった。ゴミ箱にそっと入れると、ベッドの付近に髪の毛と砂が落ちている。まずは掌で集め、ティッシュでそれを掬い取る。重力というものが厄介なトレーナーで、簡単にはゴミは集められないのだ。苦しいからこそ、集め甲斐があるものだ。お道具箱を見るとほとんどすり減っているスティックのりがあった。この際だから捨ててしまおう。本の袋、新聞チラシ、なぜ捨ててなかったのだろうゴミたちがどんどん目につき、袋はあっという間に一杯になった。台所には、ツヨシが忘れて行ったジャンバーを火種に大きな炎があがっていた。それでも、私が考えていた焼却炉の炎とは全然違う。これはまだ火に過ぎないのだ。私は、横をゆっくりと通り抜け、大人の頭蓋骨程度のレジ袋を持って、鍵をあげ、サンダルを履いて鍵を開けた。隣人と紳士が心配そうな目を皿にして私の出てきた部屋を見ていた。遠くから消防車が駆けつけて、今まさにマンションの下に到着したようだ。私は、「ああ、ごめんなさい、明日燃えるゴミの日なんで、今日いっぱいゴミ出しちゃいました」と二人に告げて、一階に下りた。代わって、消防署員と、近所の消防団員とすれ違った。私の部屋はやむなく鎮火され、大家から原状復帰のためのリフォーム代二百万円と退去の契約書に判子を押した。最後の日、ゴミを出そうとする隣人と出くわした。嫌なものを見る脂ぎった顔面だったが、腕とレジ袋だけに焦点を当てると、赤子を取り出した助産師を見るような豪奢な気持ちになった。
テレビを買うとき、同じく小太り眼鏡の家電量販店店員に「男性はテレビを見るとき、一点を見れるんですけど、女性は全体を見る癖があるので、大きいといっても42インチでちょうどよいと思いますよ」と言われ、その六分の一サイズのテレビを買ったことを思い出す。
また隣人の全体を見た。その全体はゴミでなく、いっぱしのぜいたくな人間である。彼は寂しそうな目をしたが、私は会釈をして、階段を踏みしめて歩いて降りた。私は、先の火事で焼けた皮膚をかきむしり、ポロポロとこぼれる皮膚だったものを、コンビニ袋で受け止めている。(終)

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