あだ名が「YouTuber」になるかもしれない

もし私の身近な人に対して私の印象を訪ねてみたら、
何と返ってくるだろうか。

きっと中学校からの友達は、私の性格や趣味趣向、
私の昔のオモシロエピソードを披露してくれるだろう。
これが家族となれば、私自身ですら知らない自分の一面を知ることだってあるかもしれない。
これは高校の友達だって一緒だ。彼らとはまだ一年も一緒に過ごしていないのに、まるでずっと昔から彼らと知り合いだったような気がしてくる。

しかし、そこから一歩遠い関係になってみればどうだろうか。
クラスの女子、他クラスの生徒たち、先輩後輩、
きっと彼らは私の事を「YouTuber」と呼ぶだろう。
私はこれがなんとなく嫌だ。
でもこの件に関して彼らには一切の非はない。
むしろ悪いのは私だ、というか完全に私が悪いのである。

というのも私が通っている高校はそこそこ人数が多く、
入学から8ヶ月以上は経過しているものの、
ほとんどの同級生との関係は「他人」であり
「たまたま同じ校舎で授業を受けている人」程度だ。
そのため今でも学校の中で初対面の相手に自己紹介をする機会は多々ある。
しかし私は人の顔や名前を覚えるのが苦手で自信が無い、
中学三年間同じクラスだった女子の名前を呼ぶのですら勇気がいる。
常に「名前を間違えたらどうしよう」と怯えながら
恐る恐る人の名前を呼んでいる。
その点で言うと、「提出物の返却の手伝い」なんて地獄だ。
顔と名前の情報に加えて席の位置情報まで追加されて訳がわからない。
早くAIを導入してほしい。
少し話が逸れてしまったが、とにかく私は人を覚えるのが苦手なのだ。

なので自己紹介の時は常に相手に自分の事を覚えてもらうように努力する。
いやそんなの当たり前だろうと言われればそれまでなのだが、
この時に相手にしっかりと覚えていてもらえば、
自分が相手のことを忘れていても大体なんとかなる。
基本的に私は知り合い程度の人には積極的に話しかけようとはしない、
というか出来ない、知り合いなのかどうか分からないから。
相手が話しかけてきて、相手の話を聞いて、相手が満足すればそれで良い。
そのために私がする自己紹介のやり方はいたって簡単、
「自分の一人称を自分の名前にする」だけだ。
相手と自己紹介を交わした後に繰り広げられる惰性の会話、
この中で常に自分の事を名前で呼ぶ。
私だったら「玲は○○が好きかな、知ってる?」という感じ、
分かっている、気持ちが悪い。かなり。
しかし、これは私とあなたの共通認識なので安心してほしい。
とにかく、こうすることによって
相手は苦笑しながら私のことを覚えてくれる。
更にこれに加えて私の個性を表す特別な情報も加えれば、
相手はそれによって私の名前や顔をより覚えやすくなる。
私にとってはそれが「YouTubeでの活動」であった。
そう。これが完全にダメだったのだ。

これによって私はその人の中で完全に「YouTuber」になってしまった。
浅はかだった。
この現代の高等学校において、YouTuberなんて「ピアノ弾けるヤツ」
くらいの感じでクラスに何人かは居ると思っていた。
しかし実際はそんなことはなかった。
いや、もしかしたら居るのかもしれない。
だとしてもその人はそれを隠しているし、公表はしないだろう。
当たり前だ、名前などを隠して活動しているのにそれをわざわざ
自ら公表していく馬鹿なんて居る訳がない。
いや、居る。私だ。
この時の私はまだ気づいていなかったのだ、
「YouTuber」というステータスの珍しさ、面白さを。

一回その人にYouTuberであることを公開してしまうと、
その人の中での私の印象は、それ一色に染まってしまう。
確かに、これからその人と長く付き合っていけば、
その色を薄めることが出来るだろう。
しかし、前述したように
私はそこまで知り合い程度の人と関係を深めていくつもりはない。
別にそれで良い。
知らない人に話しかけられるたびにチャンネル登録者数を聞かれ、
こないだ動画に来た面白いコメントの話をして、
儲かっているのかを尋ねられる。
これは完全に私の浅はかな言動が生んだ結果であり、
何も言うことはない。
しかし、ここで別の問題が生まれてしまった。

私が私自身を考えるときでさえ、
「YouTuber」という言葉を使ってしまっているということだ。
私は一応高校生、自分で言うのもアレだが多感な時期だ。
無論、日夜自問自答を繰り返している。
そして最近、自分自身の性格や人間性を言語化するときに
自分が「YouTuber」であることに重きを置きすぎていると思う。
本来は、「私らしさ」があった上でそれを表現したりする物として
「YouTuber」という手段、属性を取ったのだ。
しかし、最近は「YouTuber」という属性、個性から「私らしさ」を
探しているような気がするのだ。

最近母にこんなことを言われた。
「玲は本当に度胸があるよね」
これを言われたときに私はとっさに
「俺がYouTubeをやってるから?」
と返してしまった。すると母は
「違う!YouTubeとかじゃなくてアンタに度胸があるって言ってんの!」
と一喝された。
私は目を覚まさせられたような気がした。私は無意識に、
自分自身を「YouTuber」というフィルターを通して見ていたのだ。
これはとても危険だ。
「YouTuber」という言葉はあまりにも面白く、分かりやすく、魅力的だ。

そう、とってもヤバいのだ。








この記事が参加している募集

#自己紹介

233,563件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?