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比較癖や謙遜癖は、そのうち治って、再発し、また治り、成長する。

Fine Art Photography Exhibition vol.5を観てきました!

一昨日(2024/03/30)、都内で開催された写真展「Fine Art Photography Exhibition vol.5」を観てきました。
(会期は終了しています)


会場の様子(写真撮影はOKです)
なるべく人が映らないように撮りました。
本当は周りにもっとたくさんひしめき合っていました。

この写真展は、プロ・アマ、機材、経験年数、ジャンルを問わず、全国様々な作家の写真作品を一堂に会しています。
今回は270点近い様々な写真作品を一つ一つ観させていただきました。1人あたり1〜5枚の出展だったので、参加は200人近くになるでしょうか。

作品に込められた思いの多様さ・自由さ・力強さを現地で感じました。忖度抜きに言います。

写真として撮る瞬間あるいは前後で、この人は何を思い、何に気持ちを動かされたのかーー
その気持ちの振れ幅を想像してみると、どの作品にも私には無いものが感じられて、単純に上手下手や優劣をつけるなんて発想は、微塵も湧きませんでした。

私自身が次回vol.6に出展予定なのもあるのですが、アート作品を鑑賞しながら5時間も集中力が持続したのは自分史上初めてで、驚いています。

作品の横のプレートにはQRコードがついていて、それが各作家のInstagramアカウントにリンクしているのですが、私は全員フォローしました。(1名だけ、リンク切れなのかエラーが出てフォローできなかった方がいます)
見切れないのはわかっているけど、それでも見逃したくなくて。

気がつくと比較癖・謙遜癖がどこかへ…

フォローしていく側から次々とフォローバックをいただき、その中で何人かの方々とメッセージをやり取りさせていただきました。

互いに「フォロー(フォローバック)ありがとうございます」「素敵な写真ですね」と。
そして私は「次回vol.6に出展予定なので、みなさまの作品の中で遜色ないように頑張ります!」と。
お互い顔が見えない同士、SNSではよくあるやり取りです。

ですが、私はその2〜3往復のやりとりに違和感を覚えていました。
私自身が発した「遜色無いように」という謙遜の言葉についてです。

なぜなら、先述したように、上手下手や優劣の次元で作品を見ていないから、「遜色」など発生しようがないのです。
ここに並ぶ作品全ての中に「自分には無いもの」を感じたなら、逆もまた然り。私の作品の中にも、「他の人には無いもの」があるのだと自然に思えるようになったのです。

たしかに、日々写真を撮っている中で、「これ、あまり好きじゃないなぁ…」「失敗した、撮り直し!」と思って削除したりアップせずそのままになる写真は多々ありますが、
それでも「この写真がいい」と自分で思えたなら、それを押し殺して無かったことにしてしまうなんて、とてもそんなことはできないと思うようになりました。

こんな自然な感じで、「他人と自分を比較して落ち込む癖を治したい」「謙遜してしまう癖を治したい」という悩みが晴れてしまったのですが、

この手の永遠のテーマ的な悩みって、結局は、

いっそ比較して落ち込もうが、逆に天狗になって鼻っ面をへし折られようが構わず、とことん作品に向き合い続けるしかないんじゃないかな、と思うのです。

私自身もまたいつか、再び他人との比較で落ち込む時が巡ってくるでしょう。そのときのための備忘録的に、この記事を残しておきます。

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