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コロナと。 ①ホラー映画モード

「Tetugakuyaの店主はとうとう死んだのだろうか?」

生存確認の電話をもらうようになった。

それが、まだ死んでない。


ちょっと久々にラフに文章を書いてみようと思う。

実は、2月に入ってから、だんだんと体調を崩し始めた。

2月ごろ、ふと気がつけば、いつも利用していたSNSで流れてくる情報がコロナウイルスに関するものばかりになっていた。コロナウイルス以外のことを呟いている方が場違いといった空気さえ感じた。

毎日のように、不安や憎悪、不満、批判、緊迫感に溢れる言葉に接していたのではないかと思う。

コロナ以前は、みんなそれぞれに関心ごとが違っていて、投稿される内容も様々だった。

今となっては、コロナウイルスが全ての人の直面する問題であり、話題の全てになり、この一つの話題について昼夜問わず情報が溢れていた。

話題が一色になることで普段は目につかない価値観の差異も顕著に露呈していたとも感じる。一方で、徐々に「人それぞれ価値観が違っていいじゃない」というムードでもなくなって行ったように思えた。

おそらくほとんど全ての人がこの話題に無縁ではいられないがために「聞き捨てならない」という感情も沸き起こるだろうし「受け流せない」ということもあるだろう。
ほとんど全ての人にとって「私事」でもあるが故に、話題になっている事柄から距離を取るのは極めて難しい。(私はそうだ。)

デマだと分かっていてさえ、多くの人が影響を受けて実際に行為するようなこともあっただろうし、そしてその結果、さらに多くの人の生活にも影響があっただろう。行為の有無に関係なく、もちろん、気分的に影響があった人もいただろう。

3月に入る頃には、私はすっかり「ホラー映画モード」に突入していた。


説明しよう!
「ホラー映画モード」というのは、店主杉原の体調が極めて悪くなり、生きる気力が消失した時にホラー映画にはハマり始めるという変わった習性のことだ。


以前、夜間救急の常連になる程、次々と病気を呼び寄せていた寝たきりの時には、1日であのグロいスプラッター映画SAWシリーズを5本立て続けてに鑑賞したことがある。水分を取る機会や食事の回数は減ってゆき、起きているのか寝ているのかもよく分からなくなり、よく泣くようになる。あまり良くない状況だ。

コロナウイルスへ接触する機会があるかどうかよりも、断然、自分で勝手に死んでしまう可能性の方が高くなってきたというのは、友人に言えるブラックジョーク気味の「本音」だ。


ある時、それが朝だったのか夕方だったのかも分からないが、私は、眠りが浅くなってぼんやりしていた。

何かを感じたのかもしれない。

部屋の中に自分以外の誰かがいる。

気がつくと目の前に誰かが立っていた。

歳のいったおばさんが、私の顔をじっと覗き込み静止していた。


恐ろしさに、叫び声にもならないような、ひゃっという息を呑むような悲鳴をあげて身体が硬直した。

もしかしたら、ぎゅっと布団の縁を握りしめたかもしれない。

頭はまだ完全には冴えていないのに、心臓はドッドッと急激に稼働した。


リアルホラーだった。


よく見ると、自分の母親だった。

私が息をしているのかどうか確かめに来ていたのだ。

家族にとっては、娘の状態がリアルホラーだったかもしれない。



そんな風に、あまり良くない状態が続いた。

だがある日、さりげないお客さんとのやりとりで、スイッチが切り替わった。


店に訪れる人は少なくなった。香川県では高松市において土日の外出自粛要請が出されて2週目になった時だったか。(店は高松ではない)

ちなみに、高松市で外出自粛要請が出ていたことは最初の週の土曜の夜に知った。(ニュースは東京の話ばかりだ。香川県知事の会見ですらライブで見れない)

Tetugakuyaでは、来店客の連絡先を念のためメモさせてもらったり、換気をしたり、客席を減らしたりしていた。60坪分ある店内空間の広さが憎々しかったが、今だけはありがたかった。


久々に来店されたお客様がいた。正確には2度目の来店だ。最初は確か年の初めだったと思う。

ずっと雑誌を読まれていたので、私はあまり声をかけずにいた。

レジのお会計の時、ほんの僅かに言葉を交わしただけだった。


その後、私は食器の後片付けを始めた。

コーヒーカップのソーサーを掴んで持ち上げようとすると、カップの安定がやたらと悪い。

カップの下に何かがあった。


何だろうこれは。

(思わず撮った再現Vならぬ、再現写真↓)

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それは、ちょうどカップの底にピッタリ合うほどの大きさのチョコレートだった。


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このデザインは、Tetugakuyaの壁面に飾ってあるタペストリーとよく似ている。


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言ってみれば、ただそれだけのことだった。

けれども、こんな状況下の中での来店と無言の差し入れに私は頬を叩かれたような気持ちになった。

その夜、色々なことを思い出して泣いた。Tetugakuyaで出会った人々とのやりとりがいくつも思い出された。

「人間」というのは、なかなか神や仏や聖人君子にはなれないが、それでも、このTetugakuyaでは、時々、聖霊が息をしたかのような、人と人とのやりとり生じる。そう感じる瞬間に多く恵まれて来た。

他の人がどうこうではなく、あくまでひっそりと、でも確かに自分の内に秘めたるものを握りしめながら、自分の生と問答を繰り返しながら生きている人との真に迫った対話が起こることもある。


そんな場所を守りたいと思った。

しっかりしろ店主!!

Tetugakuyaの中の人は私しか居ないじゃないか!!

もぐもぐもぐもぐ(←チョコレート)


それから私は兼ねてから頭の片隅にはあったものの勇気がなくてできなかったある決断に踏み切った。

いくつかのSNSのアカウントを完全に消去したのだ。

誰にも事前に何の予告もしなかった。説明したりするとそのやり取りで、また複数の人と同時にやり取りを続ける事になるだろう。そのエネルギーは残っていなかった。

SNSは依存性が高いと私は考えている。少なくとも私はそうだった。それでも全く差し障りのない人もいるだろう。あくまで私の場合は、コロナ以降、特に、自分に雪崩れ込んでくる声という声があまり良いように作用していない。

Twitterなど、人とのやりとりの記録も詰まっていたし、自分のその時々の記録もそこあったわけだから、惜しい気持ちがなかったわけではないが、急に底力のようなものが湧いてPCの操作ができた。


Facebookは、アカウントの利用を一時的に解除。

記録は消えないし、いつでも復活できる。

店舗のFacebookページも、気持ちに余裕ができるまで当分はお休みだ。

テレビもネットも、以前と比べてあまり見なくなった。

見ても、色々と思うことが多すぎる。つまり感情の方が揺さぶられる。

人の感情に触れても、自分の感情が揺さぶられる。
(誰がどういった思いを抱いているかというのも一種の情報だ。)

「人との接触を8割減へ」という呼びかけもいつからかされるようになったが、自分に雪崩れ込んでくる情報を8割減にした。

今まで利用して来たネットを遮断する事によって、スピーディーに情報得る事ができず、なんだか取り残されるのではないかという不安もなかった訳ではないが、ああだこうだ言っていると結局今までと何も変わらないので、何を取るかは決めねばなるまいと思った。

速報やテレビのdボタンで、重要と思われるニュースは確認できた。県内の行政の対応や政策についても、県のHPなどで確認することができる。(営業状況や形態にも関わるので、こまめに確認している。)



少しづつではあるが、体調も安定して来た。

すると自分でも気がつかないうちにホラー作品から遠のいている。


ぼうっとして外の景色を眺めていると変わらずに在り続けるものに気づく。

我が家の猫も相変わらずだ。この世になんの不幸も存在しないかのような顔をして寝息を立てている様子をみれば、仏がいるのかと思う。


今日も庭先の木々は産毛を纏った新芽を風に揺らしていたし、アブラ虫の大好物であるカラスノエンドウも育ち盛りになった。

餌を巻いておけば、庭先に野鳩が遊びに来る。


蜘蛛はあちらこちらに巣を張り巡らしていて、モッコウ薔薇は満開を迎えようとしている。

この庭にいれば、何かが起こっているということを忘れそうになる。

人間社会にとっては確かに。

でも、この蜘蛛は今日も何も知る事なく糸を紡いている。




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