私が超最高っていう話しについて。
前回の続き。
人前で全裸になっちゃう夢をみた後、
父から、ひいおばあちゃんの話しを聞きました。
一緒に暮らしている祖父のお母さんです。
ひいおばあちゃんは、戦争で旦那さんを亡くし、女手一つで4人の子供を育て上げ、バリバリ働き、とても厳しい人だったそうです。
そのひいおばあちゃんは、晩年は優しくなっていったようで、私の母にもとっても優しくしてくれたんだとか。
赤ちゃんの私になんか買ってあげなさいと言って、こっそりお小遣いを持たせてくれたりしたそう。
そして、みんなに、
「ご飯食べとっていいよ、私見とるで。」
といって、ひいおばあちゃんが私を愛子て(あやして)くれている間に、みんなが晩ご飯を食べたという話しをしてくれました。
多分母は、ゆっくりご飯を食べられる束の間のひと時だったんだと思う。
そして、その横で
私のことをずっとあやしてくれたひいおばあちゃんを想像したらもう、なんか、とってもとっても嬉しかったんです。
父は私の小さい頃、ひとちゃんと読んでいたけれど、元々ひとちゃんと呼び出したのはひいおばあちゃんだったとか。
あぁ、私の記憶にないところでも、私はみんなに愛されてたんだ。
と思いました。
それは、私が母のお腹の中にいた時も、生まれる前も、昔の、違う肉体だった時の人生でも、
もうずっとずっとなんというか、私が今の私じゃない時も含めて。
なんか、すごい〜〜〜〜〜!!!!
って思ったのです。
父が、ぽろっと話したその昔話で。なんというか。
私の中に脈々と流れる全ての愛みたいなものを感じたような。
壮大すぎるけど、でも、母と父とおばあちゃんとっていう、私が目に見える家族以上のものを感じたのです。
そして、私が知らなかったのは、いや、忘れていたのは
このことだと思いました。
私が私が!!!って踏ん張ってるから力みすぎて、大事なことを忘れている余裕の無い感じだった気がする。
私の良いところは、
私の可愛さは、
私のものだけど、私のものだけじゃない。
だからすごいんだっていう気がしました。
これ読んで、私は可愛くないとか、私は愛されていないとか思う人がいたら
なんというか、それはちょっと傲慢な気がする。想像だけど。
自分のものだけど、自分だけじゃない
これまで受け継がれてきた全てが、私の肉体に集約されて今があって。
その目に見えないものも含めて自分のこと、愛して優しくする責任があるような気がした。
(逆説的に、愛せない時も経験することも含めて)
自分の記憶に無い、愛された事実がみんな必ずあるんじゃないかな。
だからさ、自分のこと大事にしないとだよ。
って思うの。
だからさ、私は超可愛いし最高なのよ。
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