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文化は生命

インスタグラムに図書館が好きという話しを書いた。実は、図書館は好きだけど本を借りて家に持ち帰るということができない。

本についたしみから、
前の持ち主のエーテル体を感じたり
線の引かれた部分に思考の流れを感じたりする。それを家に置いて、ましてやベッドサイドに置こうものなら多分いつもと違う夢を見ると思う。

これについては、大学生の時から薄々気付いていたのだけど論文を書く時に絶版になっていて古本しかないものや、図書館にしかない資料が沢山あったから、気付きたくなかったし、古本が好きな自分を素敵だと思い込もうとした。21歳の時。

人の思考に誘導されるのが好きじゃなかったけど、たまにメモしてある素敵な言葉に感動することもあった。その人が沢山勉強した跡に敬意が湧く時もあった。





Netflixで令嬢アンナの真実というドラマを見ている。英語のタイトルは『Inventing Anna』

アンナ・デルヴィという詐欺師の実話を元に作られた話しなんだけど、(ちなみに釈放されてから今も更新されているインスタが生々しくて凄い)
その中に学校でいじめられないようにファッションセンスを磨くシーンがある。

子供部屋でヴォーグのページを切り抜いてのコラージュをしたりするシーンがあるんだけど

そのシーンに私の中の何かが反応して
「わたしも!!!!!
ファッションが好きぃぃぃいいいい!!!!!!」
って気持ちがハートから溢れてびっくりした。

夏至のテーマになっているのが私の中の”少女”と繋がりなおすということだったんだけど、
またもやそこでも少女ちゃんが出てきて

服が好き
ファッションというものにとても感謝をしている
その喜びは地球で生きる私の支えになっている

という、とてもパワフルなものを感じて驚いた。

ファッションと軽率さや浅はかさはとても繋がりやすくて
(逆もアピールできるけど)
私はその葛藤をずっと持ったままファッションと対峙していて、仕事にしたからお洒落が嫌いになったり、もう度肝を抜かれるセンスのいい人達を見てはコンプレックスの塊のような気分になって、業界を批判したり、本当のサスティナブルにを求めてすごく原始的になってみたり
色んな試行錯誤をした結果

何かもっと頭で考えている”ファッション”を超えた
それ自体が生命体として、生きていて。
人格を持って存在しているような感覚を受け取った。もっと信頼してダイブして良かったんだ
という体感に包まれた。

それは本当に魂にタッチしてくるような感覚で、内側から込み上げてくるものがあった。

なんというか、
”ファッションさん”というのが生きているんだよね。ファッションさんは、あらゆる人間を通して表現される。
他にも"絵画さん"とか"建築さん"とか、あらゆる文化とジャンル自体が1つの意識体なんだろうなと思った。人間たちはそれを、たまごっちのように何世代もかけて育て、育てたものに学ばされ、気付かされ更新していく。


”お洒落が好きな私”をもっと大切にしようと思った。
最近はスーパーに行ったり、図書館に行ったり、ジムに行く時の服を選ぶのがとても楽しい。私とその町とその場所のためだけにお洒落をしている感じがするから。

意識を変えたいなら服を変えたらいい。
ただ冷静に観察していくと、私は物欲がさほど無いように思う。物に関する執着が無いわけではないけど、薄い。物や服やアクセサリーによって自分が受ける変化が凄く好きなんだと思う。


一周回って、もう一度純粋にファッションの仕事が楽しめそうな気がしてる。
上を見たらきりがないから
コンプレックスを持つことはいくらでもできる。
(正直本当の本当のセンスが欲しかったら生まれ直すしかないと思う。幼少期の生活は大きく影響するから。)

冷静に私の強みを見てあげて、私にできることを惜しみなく出すというのはとても大切なことだよと自分に言ってあげている。


ただ今にいるとリリースもインスピレーションも勝手に起きて、全ての体験が私を通って通り過ぎていく。

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