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人事が「優生思想」的な発想になっては危ういのではないか

優生思想っていう言葉は過激なんですが・・・。

要は企業という生物にとっての社員を「優秀な遺伝子かどうか」という観点を持ち、その「保有する特性だけ」をみて人の取捨選択していないか?そんなマインドにとらわれていないか?

ということです。

そもそも油断をすると、「人が人を選ぶ」「人が人を評価する」という時点で、私はなんだか偉そうに感じてしまうのです…。

その役割を担う人事という仕事は、ともすると優生思想の枠組みにはまりかねない危険性があると思っています。

そして、隣り合わせながらも、その危機意識は薄いと感じています。

ひとつ前のnoteに書きましたが、リーダーシップ研究においては英雄の研究からはじまって、何かしらの共通の特性があるはずという「特性理論」は100年ほど前にでてきています。

ただ、それだけではどうにもならず、「行動理論」が生まれ、「状況適合理論」が生まれ、いまも様々な角度で研究されています。

そうした過去の積み上げを軽視(知らない)した状態で、「活躍人材には共通の因子があるはず」とか、「優秀者を適性検査のスコアでみて判別する」とか、ぐるぐる話をしている場面を狭い世界の中では見かけることがあります。

これは個社に限った話ではなく、人事の一般論として。

「関係性」への着目

個人的には「資質に着目」や「SPIの波形」というキーワードがでてきたら気を付けるようにしています。

自身が関わる事案については異を唱え、考え方を変えるように努めています。

一方でなぜ、一般論とはいえそういう話がでがちなのか?

根底にあるのは人事が「個」という存在にとらわれているから?なのかなーと感じています。

心理学においては個が中心であったのも関係しているのか、してないのか。

「関係性」にコトが進んでいかないのかな、というのが私が最近考えていることです。

ベンチャーにいたときに感じていたのは、経営課題に占める人や組織の課題が多いということ。そして、その課題をつきつめると1人と1人の「関係性」に真因があることです。

問題は「関係性の質」をどうみていくのか。

質とは要は「信頼度」なのか。コミュニケーション頻度なのか、内容なのか、物理的な距離感なのか、主観なのかetc

このあたりはまだ分かりません…。

このあたりをクリアにしていくことをこの1年のテーマにしていくことにしたいなーと思っています。

関係性に注目している会社としては
Humanyze (何度かお話を聞かせて頂いて共感中)
Laboratik (リリースみてなるほどなと)
ほかにも増えていくのかな。

まだ頭の整理ができていないのは「信頼度」のとりかたです。

質が量で測れるのか?テキスト解析で測れるのか?問題。人は実際のところ何をもってその人を「信頼した」と思うのでしょうか。

優生思想的な考え方からの脱却

その先に何があるのか。突飛な話ではなくシンプルで、「マッチング」なんじゃないかと僕は考えています。

今、世の中の価値観の変革期にあるマッチングアプリ。その対象は何も男女の出会いだけじゃない。

仕事におけるパートナー、チームメンバーだって一緒なんじゃないのと思います。そしてそれは社外だけでなく、社内だって同じ。

優生思想におちいるのは、選ぶ側/選ばれる側のパワーバランスもあるし、旧来からある採用の構造(母集団を集め、フィルタリングし、数を絞る)に引っ張られているところもあります。

100年続いた旧来型の採用構造をアップデートできれば、自然と消えていくのかもしれません。

その観点で、これまでのマッチングアプリ(マッチングアルゴリズム)の変遷と、これからの進化は着目すべきなのではないかなと考えてます。

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