日記 男らしさとかいうオワコン概念

「エイプリルフールで嘘をついていいのは午前中だけ」という説は嘘だ。そもそも嘘をついていけない日などないからだ。実際あなたも毎日のように嘘をついているし,その多くは暴かれることを望んでいない。

エイプリルフールのタイムラインに溢れるのは実のところ「バイデンが松屋で食い逃げしてた」「富士山の正体はホログラム」と同レベルの大喜利にすぎない。誰がみてもわかる嘘──わからない人は今すぐインターネットをやめろ──は,果たして嘘なのか?
クリシェでいいねを稼いで悦に浸るのも結構だが,なにも年度の幕開けからやらなくていいだろう。それより普段は言えない本当のことを聞かせてほしい。赤裸々に叫んでほしい。嘘なんてどうせ年中ついているんだから。

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『男らしさの終焉』を読んだ。
男らしさ(笑) 男らしさって終わってるよね。マジでオワコン。そんなに筋トレしてどうすんの?笑 男が女を守るとか,もう古いから。すぐマウント取りたがるのキモいよ。ハゲてるのは男性ホルモンのせい? この日,権左衛門は素手による去勢を決行している──。

要するに,男は加害性と特権性の自覚が必要で,それは責務であると同時に規範から降りるハシゴにもなりうる,なんて話をしたいらしい。うんうん,そうだよね。それで? いやこれでおしまい。なんだそりゃ。この本,無内容にもほどがある。

確かに伝統的な男らしさはオワコンかもしれないが,それは覇権が終了したにすぎない。ロールモデルの増加は既存のモデルの死を意味しない。伝統的な男らしさそれ自体が終わったのではなく,それに男性の価値を不可避に結びつけるシステムが(少なくとも理念上は)終わったのだ。
千葉雅也は本書を指して「個人の実存と普遍的倫理を混同している」と述べた。まったくそのとおりだ。勝手に終焉だのなんだの,余計なお世話としか言いようがない。

私は伝統的な男らしさが好きだ。強制力をもつ規範としてではなく,本は電子より紙がいいとか,マックのポテトは小さくてカリカリになった部分が一番ウマいとか,その程度の意味で好きだ。すてきでしょう。

しかし男らしさや父性がオワコンなのもやはり事実で,『父滅の刃』とかいうふざけた本──精神分析当てはめ批評を数百ページくり返す恐ろしい本──すら出ている。これは6割ほど読んでやめた。
まともな本だと『BOYS 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』などがある。未来を担う子どもたちをオワコン男性規範に縛られぬよう育てるにはどうすべきか,著者がマジに考えている。おすすめだ。すでにBOYではないあなたにも読んでほしい。

私が気になるのは,あらゆる規範が解体された後に現れる地平線だ。
かつてニック・ランドは「生物工学の地平が近づいてくる」などと謳い,ゲノム編集で人種や性別という枠組みが過去のモノとなる時代に期待したらしい。いや,ちょっと期待しすぎだろ。バ美肉おじさんがマジの「美」になるってこと? そんなことある? たぶん,規範オワコン化スピードの方がずっと速い。少なくとも個人レベルでは。

規範の二項対立が無化されたら,人はなにを選ぶのだろう? 岐路から一歩も動けないロバのように──これは意思決定のランダム性を考慮していないおかしな思考実験だが──その場で死ぬのだろうか?

そろそろ「馬鹿げたポストフェミニズムはやめろクソボケ」と怒られそうなのでやめるけれども,ともあれ多くの伝統規範が解体されているのは事実だ。そして,ここが重要なのだが,むしろ強化されている規範もある。健康だ。

たいていの人間は健康を求めている。これは至極当然で,というのも生─死の対立は破壊できないからだ。サドとマゾ,民主主義と全体主義,男と女,多くの二項対立には第三項があったり,弁証法的な転換があったり,あるいは0/1の二値ではなく連続的なスペクトラムであったりする。
しかし生と死は特別だ。生から死への移行は不可逆で,決して生に戻ることはない。死んだ人間は還らない。材料を集めても命は錬成できない。逆に言えば,科学がもし《死者蘇生(制限カード)》を作り上げたら,それこそほんとうの「生物工学の地平」ではないか。

この不可逆性を軽視して「生と死って紙一重だよね」と語るやつはみんなフェイクだ。というか紙一重であるのは当たり前で,それにもかかわらず両者を分かつ厳然たる差がある,そこに問題の本質があるはずだから。ちなみに私は『城の崎にて』を浮かべながらこの文を書いているが,志賀直哉は嫌いではない。

話がそれた。
さも自分で思いついたかのように書いたが,健康の特権性はいたるところで指摘されている。なぜ神はりんごを食べたアダムを裁いたのか? スピノザは「その行為が悪だからではなく,りんごが有毒だからだ」と答えたが,ここにはジジェクが指摘するとおり父権の終焉健康の称揚が確認できる(カッコつけて書いているが,私はジジェクについてほとんど知らない)。

男らしさは個人の実存レベルならまだまだ「終焉」していないけれども,他者との関係において生じる男らしさ=父権は,もう虫の息だ。チチキトク,スグカエレ。そうして病床の父に代わってあなたに命じるのは,健康イデオロギーだ。健やかに生きなさい。タバコは喫煙室で吸いなさい。マックのポテトはおやめなさい。

善─悪という男らしさよりよっぽどオワコンな二項対立を拒否し,健康という強力な概念を主軸に据える倫理観。これを間違っているとは言わない。私も健康でいたいし,当然死にたくない。けれども『資本主義リアリズム』にも言及があるとおり,健康はしばしば資本主義に回収される。やさしい父親のフリをしてあなたに命ずる健康という神は,その実あなたを支配しているかもしれない。「健康」一般が称揚されているようで,実のところ市場にとって都合のよい領域だけが取り出されているかもしれない。

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論旨がぐちゃぐちゃだが,日が変わる前に公開したいのでここで終わる(これは日記である)。

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