大学に再入学してから再就職するまでの話②再入学の動機

私がなぜ2回も大学に通うことにしたのか、再入学を決心するまでの経緯を書いています。

初めての就活にて

それは私が当時21才、一回目の大学で経済学部三年生の冬就活ガイダンスでのことでした。

「えっ!?文系の人って設計とか開発とかやらせてもらえないの!?」

そこそこネームバリューのある大学に通って天狗になっていた私は人生や社会をナメており、ろくすっぽに人生設計も立てていない世間知らずのちゃらんぽらんでした。私は大学の就活ガイダンスで初めて文系の人は技術職につけないということを知りました。

昔からプラモやミニ四駆が好きだったり、シミュレーションゲームで効率を追い求めるタイプであった私は「なんか発明とかして生きた証残したいなぁ」とぼんやり思っていました。
しかし高校生の時化学の先生が嫌いになり、今後この人の授業をうけなくていいからという極めて安易な理由で文系へ進むことを決めてしまいました。21才になるまで文系の人は設計だの開発だのといったことには進みにくいということを知らなかったからです。

そんな世間知らずな私にはまさに寝耳に水の事実。受験にも成功し、順風満帆であると思い込んでいた私は初めて人生に対する恐怖のようなものを感じました。大学受験での頑張りや、今までやってきたことが自分の夢とは違う方向を向いた努力だったのではないか?と疑問に思ったからです。

友達のおじいさんの言葉

技術職につけないと分かったとは言え何かしら稼ぎがないと生きていけませんし、周りがどんどん就活に精を出していったため、それに引っ張られて私も半ば諦めムードの中就活をしていました。幸いにしてちゃらんぽらんな私でも大学のネームバリューパワーでとあるメーカーに営業職として採用してもらえました。

就活での青天の霹靂ショックも和らいだころの卒業旅行中、どういう流れでそうなったかは忘れてしまいましたがおじいさんを亡くされた友人が言いました。「じいちゃんホントは科学者になりたかったんだって。」お亡くなりになる直前までご家族の誰もそのことをご存知なかったそうです。

その言葉を聞いたときまた私の中に強いショックが走りました。ショックが生じた理由は主に2つなんじゃないかと思っています。
ひとつは和らいだと思っていたあの感情が実は和らいでいたのではなく、ただ考えないようにしていただけで、まだ自分は技術職を諦めていなかったと気づかされたこと。
そしてもうひとつは、お孫さんを持ち、亡くなったことをたくさんの方に悲しんでもらえるようなちゃんとした人生を歩んだ人でさえ、後悔を胸に旅立ってしまうことがあるのだと知ったこと。

これらのショックは私の心に残り続け、社会人になって働き出してからもずっと頭のどこかにこのことがもやもやと存在していました。

働き出してから

もやもやを抱えたまま始めた社会人生活。メーカーの営業職として働き出しました。私はこの新社会人生活の中で、大学再入学を決意することになります。

私が配属された部署はかなり体育会系かつ直属の上司が元ヤンで正直私とは全く反りが合いませんでした。大学に再入学したいというのも、この職場からの逃げ道を見出しただけのような気もします。しかし今となってはこの環境でなかったら辞職→大学再入学という思い切った決断もできなかったと思います

私が入社した会社の製品には他社にない独自技術が活かされているおり、ユーザーからの評価も上々でした。営業としてそんな製品をオススメしている間に、真に価値を創造しているのはやはり開発の人なのでは?という思いが強くなり、技術職をより強く志すようになりました。(あくまで当時の私の意見です。不快な思いをされた方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。)

2年と少し働いて、大学に4年間通う学費約200万円の貯金ができたころ、私のストレスと技術職への思いはピークに達しました。ついに会社を辞め、人生2度目の受験勉強を開始することにしたのです。



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