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[Lisztomania!] Case2:テクノとドラムンベースとロックステディの話

各地に生息する音楽好きの方々にそれぞれの音楽遍歴や音楽にまつわるあれこれについて
お話を伺う連載企画です。
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 人生のほとんどを神奈川で過ごしてきた者にとって中央線沿いの街は縁がなく、未知の場所。憧れと言ってもいい。はじめて訪れた中野の駅前はほどよく活気があり、時間の流れが緩やかに感じた。 


 小さな店で賑わう商店街を通り抜け、その先を少し右に進むと「LITTLE BIRD」の店舗がある。店内に並ぶヨーロッパのレトロでカラフルなヴィンテージのワンピースは個性的で、色や形やデザインがすべて違う。古着は一期一会。自分に似合う洋服に出会えたら運命だ。あのモデルさんみたいに格好よく着こなせる一枚を探すためにまた足を運びたくなるお店が中野にあることを、私はその日に知った。ディスク・ユニオンとブックファーストがあることも。憧れとの距離を縮めてくれる、そんな素敵な古着屋さんの店長の話。

〜Case:2 草野さん(中野古着屋LITTLE BIRD店長)の話 

──草野さんは私と同い年ですよね。

草野 同い年か。俺、大久保さんのことを最初にどこで知ったかなと思ったら『ele-king』で書いてたでしょ?だから95年か96年位にもう大久保さんの文章を読んでたんだよね。原宿のサウンドデモの記事は覚えてる。『ele-king』は買ったら次の発売日までマジで100回くらいは読んでたから、記事をほぼ暗記してたもん。97年くらいまではずっとそうしてた。

──ホントですか?そんなに隅から隅まで。その頃は『ele-king』以外にも『REMIX』、『LOUD 』、あとは『GROOVE』もありましたよね。

草野 あったね。『GROOVE』は最初にムック本みたいなのが出てて〈ワープ〉特集をやってたんだけど、いま思うとものすごい貴重なオウテカの当時のスタジオの写真とかいっぱい載ってた号があって、それ探してるんだよね。

──持ってたのに手放しちゃったってことですか?

草野 うん、全部。なんかね、聴く音楽が変わると、今まで持ってたものに対してあんまり愛着がなくなっちゃって、結構ガーッと処分しちゃう。

──草野さんが最初に音楽を聴きはじめたのはいつ頃ですか?

草野 えーと、中学生ぐらい。親にステレオを買ってもらって。せっかく買ってもらったからいろんなの聴かなきゃっていう気持ちになって、レンタル屋さんでいっぱい借りてきた。で、TMネットワークのアルバムがあって、あんまり大きい音で聴けないからヘッドフォンで聴いてたら、シンセサイザーの音が右から左にピューンって移動したの。その瞬間に「やばい、未来だ!」って思って。それでシンセサイザーがすごい好きになっちゃった。

──動いた!って(笑)。この世代の人ってTMネットワークから聴きはじめる人が多いですよね。

草野 BOØWYかTMネットワークだね。TMはガンダムの主題歌やってたでしょ。それで多分、知ったのかな。で、似たようなのを聴こうと思って他のいろんなバンドを聴いたんだけど、そうすると自分の好きなのがドラムマシーンだったりとか、シンセサイザーの音だってわかって、中学2年生くらいだからやっぱり他人と違う風に思われたいって気持ちが強くなってて、その頃はYMOも解散して5~6年は経ってたからあまり知られてないし、借りて聴いたらやっぱりシンセサイザーの音って気持ちよくて、かっこいいなって。

──テクノですね。他にはどんなものを聴いてました?

草野 きっかけというわけではないんだけど『宝島』を読みはじめて、洋楽特集のシンセサイザーの音が好きならこれだ!みたいな記事でOMDとかデペッシュ・モードを知って、レンタルで借りて聴くようになった。あとソフトバレエね。電気グルーヴの前にソフトバレエだった気がする。YMOと一緒のアルファ・レコードだったから。その頃アルファはテクノっていうイメージで。シンセサイザー系の音楽ってその頃ほとんど廃れてたから、アルファぐらいしか出してなかったんだよね。

──その頃ってちょうどバンドブームでしたよね。そっちはあんまり?

草野 うん。でもね、ジッタリンジンだけは好きだった。なんか淡々と歌ってて表情もなくて、ビートもスカでソリッドだったから。親の影響でオールディーズもすごい好きで、ジッタリンジンって最初の頃はオールディーズっぽいメロディーの曲をいっぱい出してたから、あ、これ気持ちいいなって思って。

──親の影響ってことはご両親も音楽を聴いてたんですか?

草野 昔の青春時代に聴いてたやつを繰り返し聴いてる感じ。

──私たちの親世代はそうなんですよね。すごく音楽好きってわけじゃなくても、一応ステレオでレコードを聴いてましたよね。豊かな趣味の象徴っていうか。

草野 うん。教養として音楽を聴くみたいなのはあったのかもしれないね。

──電気グルーヴはどこで知ったんですか?

草野 それも『宝島』。だからフリッパーズ・ギターも中学3年生の頃には知ってた。まだ『ヘッド博士の世界塔』が出る前だったから。モテるんだろうなあ、こういうのが、と思って見てた(笑)。

──ははは。じゃあ『宝島』を読んで、聴ける音楽は全部聴いてみるみたいな?

草野 うん。そういう感じだった。買わないで借りて聴いてた。お金がなかったから。借りてテープをいっぱい作ってた。

──ああ。テープの時代ですよね。私たちが中学生になるあたりからCDが普及しはじめたじゃないですか。洋楽がちゃんと日本盤で出てて、駅前のレンタルCD屋に揃ってたし、わりとなんでも借りれましたよね。

草野 借りれたね。当時って結構マニアックなのも平気で置いてたから。で、中学3年くらいのときに『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ダンス甲子園」っていうコーナーがあって、うしろで結構ダンス・ミュージックが流れてて、M.C.ハマーとかはそんなにピンとこなかったけど、たまにクラフトワークがかかるの。それ聴いてすごいかっこいいなと思って。それでダンス・ミュージックが好きになって……。

──えっ、そこから!?

草野 いや、結構そういう人は多いと思うよ。あと『DADA』っていう番組があって、ZOOとかがやってた深夜番組なんだけど、そこで沢山流れてたり。

──へえー。私も「ダンス甲子園」はテレビで見てたんですけど、学校のイケてる子たちが「ダンス甲子園」を目指してよく練習してたから、自分にとっては程遠いものっていうイメージでした。C+Cミュージック・ファクトリーとかね。

草野 めっちゃ流行ってたもんね。でも同時に『宝島』を読んで、アズテック・カメラだったりとか、エルヴィス・コステロとかも聴いたりして。そういうのを知るまでは、洋楽って全部ヘヴィメタルだと思ってたの、マジで!長髪で汗臭い感じのイメージ。そしたら普段着で結構ちゃんとかっこいい音楽やってる人がいることに気づいて。それがスミスとキュアーとアズテック・カメラだね。

──そこもちゃんと通ってるんですね。そのあたりの音楽は今でも好きですか?

草野 結局そのジャンルが全部好きってわけではなくて、知ってる範囲の特に好きなバンドを聴いてただけ。アズテック・カメラだったら『High Land,Hard Rain』と『Love』と、あと『Stray』の3枚が好きだし、スミスは「William,It Was Really Nothing」が入ってる『Hatful of Hollow』っていう編集盤があるんだけど、それとかね。

──私、アズテックは好きなんですけど、スミスがわからなくて。

草野 あ、そうなんだ。スミスは熱狂的に好きか、モリッシーの歌がほんとにダメか、どっちかだよね。その2種類しか会ったことない。

──そうそう、私もそれです。ジョニー・マーは大好き(笑)。

草野 だよね。で、そうこうしてるうちに高校生になって、高校が体育会系の高校だったのね。でも俺、運動にはからきし興味ないから、話が合う人がまったくいなくなっちゃって。

──いなくなっちゃった、ってことは中学校の頃はいたんですか?

草野 ……いなかった!よく考えたら最初からいなかった。中学校の人が誰もいない高校に入っちゃったから、なかなか孤独で。家が埼玉だから学校に行く途中に池袋を通るんだけど、当時は池袋にでっかいWAVEとLIBROっていう本屋があって、そこで立ち読みと試聴ばっかりして、いろんなものを吸収してた。

──学校の帰りに池袋に寄れるのはいいですね。じゃあ友達と音楽を聴くわけでもなく、家でひとりで音楽を聴くような感じでした?

草野 そうだね。あと放送部だったから、みんなに嫌がられるけど好きな曲をかけまくってた。ジーザス・ジョーンズとか(笑)。マイク・エドワーズかっこよかったじゃん、顔が。

──マイクはかっこいいけど、曲だけかけたらどうなんだろう、伝わるかな(笑)。

草野 曲は最悪だけどね、いま思えば(笑)。

──いや、でもこのあいだ聴き返したら初期は結構よかったですよ。『Liquidizer』と、あと『Doubt』の曲もちょっと。『Perverse』から全然よくない。ジーザス・ジョーンズといえば世代的には『BEAT UK』ですよね。見てました?

草野 めっちゃ見てたし、見すぎて気に入ったPVを何回も巻き戻して見てたから、ビデオデッキを2台くらい壊した(笑)。「Friday I'm In Love」とかさ、大変なことになってる!って思ったからさ。

──キュアーですね。ちょうど深夜の夜更かしできるいい時間帯で。

草野 そこでプロディジーとかも見たね。「Everybody In the Place」だ。電気グルーヴが好きだったのは、電子楽器ですごく速くてパンクっぽいことをやってたからで、プロディジーはまさにその進化系だからめちゃくちゃ聴いてた。まだライアム・ハウレットも刺青とか入ってなくて、おぼこい時期で。

──プロディジーはずっとチャートインしてましたよね。でも話を聞いてると、そんなにひとつのものにハマるっていうわけでもなく……?

草野 いや、音楽にはハマってたよ。逆にひとつのジャンルにハマるっていうのがその当時はなかったのかもしれない。

──その時代の聴きかたってそういう感じでしたね。とりあえずひと通りなんでも聴くっていうか。それこそ『BEAT UK』を見てたらロックもあればダンスもあるしで、そういうのをずっと見てるからどのジャンルでもいいと思えば普通に聴く、みたいな感覚ですよね。

草野 まだ正確にジャンルの細分化がそこまで行われてなかったからね。あと、電気グルーヴのオールナイト・ニッポンもすごい聴いてた。卓球のおすすめ曲でテクノがかかるとヤバいことが起こってるって思ったし。

──あのコーナーでかかる曲って近所には売ってないじゃないですか。どうしてました?

草野 渋谷のWAVEに電話した。「ありますか!」って(笑)。

──ははは。多分それ、星川さん時代ですね。あのロフトのWAVEはよかったですよね。見やすいし。

草野 テクノが異常によかったよね。あそこでケン・イシイの『Garden on the Palm』のLPを買った。あとは『宝島』で吉祥寺の33(サーティースリー)を知って、そこで『Delic』を買って、わ、俺が知りたいことが全部書いてある!って思って、CDも服も一緒に買ったりしてたね。

──電気グルーヴは何が好きだったんですか?

草野 やっぱラジオだよね。面白かったもん。でも影響を受けすぎちゃって、でたらめなことしか言わなくなって、まあ人は離れていったな。

──自覚ありですか(笑)。でも草野さん、そんなことないと思うけどな。

草野 いや、当時ね。今は物心ついた(笑)。

──物心が(笑)。高校生になってからはCDを買ったりしてました?

草野 してた。でもあんまり買えなかったな。だから1枚1枚が勝負だった。ソドムがハウスのアルバムを出したっていうから買って聴いて、でもあんまりよくなくて1ヶ月くらい落ち込んだ。アルファ・レコードから出してる冊子みたいなのがあって、それにテクノの情報が載ってたから読んでたね。

──それはどこかで貰えるものですか?

草野 大手輸入盤店に置いてあったみたいなんだけど、俺もあんまり手に入ることができなくて、アルファに電話して送ってもらった。

──電話してみるもんですね(笑)。

草野 なんでも電話してたもん。田中フミヤに電話したのもそうだし。

──はいはい。『Delic』を読んだらラスト・フロントのレヴューに電話番号が書いてあって、どこで買えるかを聞きたくて本人に電話したって言ってましたよね(笑)。

草野 あとコニー・イーね。「デリック・メイが来るみたいなんですけど前売りはいつから出ますか?」って電話したら、それはコニーさんの招聘じゃなくて久保憲司だったみたいで(笑)。

──そうだ。今日は昔のテクノのパーティーのフライヤーをいくつか持ってきたんです。多すぎて収拾がつかなかったから、ほんの一部だけを見繕ってきたんですけど。

草野 すごい。よく取ってあるね!これは今後も絶対に取っておいたほうがいいよ。

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フライヤーを眺めながら2人で暫し談笑

草野 これ行った?オービタルのライブ。最高だったよね。

──行きましたよー。これは人生のテクノのライブのベスト3に入ります。オービタルが素晴らしかった。

草野 94年かな。これもクラブ・ヴィーナスなんだ⁉むちゃくちゃ混んでたよね。チケットもほぼ即完売だったと思う。どこかでアンケートかなんかを書いたら、海外のアーティストが招聘されるたびにフライヤーを送ってきてくれて、早めに買えたんだよね。

──当時ってネットがないから情報が得られるのがその場じゃないですか。だからパーティーに行けば次はこの人がくるよって教えてもらえたり、チケットをその場で買えたりもしましたよね。クラブにはひとりで行ってました?

草野 ほぼひとりだね。あ、でも高校生の時に1人だけ友達で電気グルーヴが好きな子がいて、その子を洗脳していったな。

──洗脳した子はその後どうなりましたか?

草野 だんだん趣味が変わってきちゃって、ラウンジとか好きになって。俺はどっちかっていうとストレートなテクノが好きだったから。

──初めてクラブに行ったのは?

草野 93年の年末の渋谷FFDの「Special Frog」。大久保さんも行ったんでしょ?混んでたよね。

──混んでたし、あの頃は高校生でも平気で入れましたよね。

草野 大晦日だったからね。マニアック・ラブはIDチェックが厳しくて入れなかったこともあった。スピーディー・Jが来日したときにマニアック・ラブでIDチェックをされて、19歳だから入れなかったの。周りを見ても10代ぐらいの奴って俺しかいなかったし。

──それは厳しいですね。私は高校生の頃からイエローに行ってたけど、IDチェックで入れなかったことは一度もないな。

草野 え!高校生の頃から行ってたの!?すごいね。

──『REMIX』に載ってる地図を見ながら行ったんですよ。で、角にあった昼間しか開いてないコンビニみたいなところで場所を聞いたんですけど、知らないって言われて。早く行き過ぎて夕方に着いたから、夜中に空いてるクラブなんて近所の人も知らないっていう(笑)。

草野 でもさ、いま思えばGoogleもなんにもないのによく探して行けてたよね。

──あんな簡素な地図だけを頼りにねえ。でもなんか草野さんって、話を聞いているとわりと淡々としてるっていうか……。ここで熱中して人生が変わったという時期はあんまりなかったんですか?

草野 うーん。テクノは好きだったし、衝撃を受けた曲もいっぱいあったんだけど、やっぱそこまでテクノにハマってなかったのかもしれない(笑)。そのあと、ドラムンベースが好きになったの。ドラムンベースで完全に頭がおかしくなった。クラブに週4とかで行ってたから。

──そうなんだ!?そのあとなんですね。

草野 テクノは好きで、それをいいと思わなきゃいけないってっていうか、好きだって思い込もうとしたところもあったんだけど、卓球とか田中フミヤのDJを聴いてもハードすぎちゃって。極めつけがデイヴ・エンジェルがリキッドルームでDJをしたときで、とにかく速くて、ちょっとこれは……と思ってしまって。その時期はサージョンとかメロディーもなんにもないのが流行ってたし。でさ、レコードを部品ってよく言ってたでしょ?あれが嫌で。なんかそういうんじゃねえなって思ってた頃に『ele-king』のLTJブケムが表紙の号があって、EZローラーズの「Rolled Into 1」っていう曲がロンドンですごくヒットしてるみたいなことを言ってて、それを聴いてみたら俺がテクノで好きだった速くてメロディアスな要素があって、トランスみたいな過剰な甘さがなくてクールで、すごいハマったの。それが95年かな。でもその前からラガ・テクノは好きだった。SL2とか。それで激ハマりして、ちょうど時代的にもドラムンベースが日本で流行りはじめたし、うわあ、これは大変だ、と。ちょうどその頃は渋谷の大学に通ってたから、レコード屋の入荷日を、ホット・ワックスは金曜、ミスター・ボンゴは水曜、シスコは何曜、って感じで毎日チェックしてた。

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──そこで火がついたんですね。やっと出てきた(笑)。

草野 レコードを買いまくってたし、週替わりで新しいヒーローが誕生する感じだったから、やばいなって。

──ドラムンベースの中では誰が好きでした?

草野 まんべんなく好きになった。最初はLTJブケムみたいな綺麗なインテリジェント・ジャングル。でも聴いていくうちにブリストル系の存在に気づいて、やっぱこっちかっこいいな、って,、ロニ・サイズのほうにも行ったし。あとDJファビオがやってた〈クリエイティブ・ソース〉っていうレーベルがあって、そこがジャズっぽいドラムンベースをいっぱい出してて、それもすっごい好きだった。で、1~2年はそんな感じだったんだけど、だんだんメタルヘッズとかハードな音が出てきて、スピードも上がり過ぎちゃって。そうなってくるとミニマルテクノがダメだったのと同じで、もうちょっと余裕というかメロディアスな部分がないと嫌だなあ……って疲れてたときに、偶然下北沢のラックストーン・レコードっていう小さなお店でロックステディのコンピを見つけて、レゲエも気になってたから何気なく聴いてみたら、あ、これじゃん!俺が聴きたかったのは、って思うレコードに出会った。そこでものすごいハマってから20年ぐらいはずうっとロックステディばっかり聴いてた。

──へえー。そこが分岐点ですか。面白い。だって97年位だと20歳過ぎてますよね。10代の思春期の頃に電流が走った!みたいな音楽体験をして、そこからひとつのジャンルにのめり込む人が多いと思うんですけど、それまではわりといろいろ音楽を聴いてて、大人になってから急にのめり込むものに出会うって、なかなか聞いたことのないパターンだなと。

草野 まあドラムンベースにハマったって言っても、生涯をドラムンベースに殉ずるみたいな感覚はさらさらないんだけど(笑)。でもドラムンベースはいちばん熱中してたし、クラブで踊るのがこんなに楽しいんだって思ったね。

──ドラムンベースはどこに遊びに行ってたんですか?

草野 毎週月曜日にマニアック・ラブでDJ FORCEさんがやってたパーティーと、あとイエローでKAJIさんとHATCHさんがやってたパーティー、毎月1回の新宿リキッドルームでの「DRUMN BASS SESSION」はマストだったし、あとはちっちゃなパーティーもチェックして行ったり。

──私、ドラムンベースで上手く踊れないんですよ。四つ打ちが命だったから。家で聴く分にはいいけど、ダンス・ミュージックとしては魅力がわからなかった。

草野 面白いね。俺は逆に四つ打ちがあんまり乗れなかった。ドラムンベースが史上最強のダンス・ミュージック(笑)。

──でもドラムンベースって熱狂的にハマる人は多いから、どこかにダンスのツボがあるんだろうなと思いつつ、結局わからないままで。

草野 それ珍しいかも。だってあの当時って完全にドラムンベースが主流で、言いかた悪いけど四つ打ちは元気なかったでしょ。

──うーん。その頃はトリップホップとかジャズっぽいテクノを聴いてましたね、私は。サンジェルマンとかデイヴ・エンジェルもジャズっぽいアルバムを出してたじゃないですか。その辺りの。

草野 デイヴ・エンジェルはさ、作ってる音楽とDJの乖離が異常なんだよね。〈ローテーション〉(デイヴのレーベル)の曲とかメロディアスだったし。

──そうか。メロディアスな曲が好きなんですね。

草野 好き。デトロイトテクノとかね。デリック・メイは91年に偶然買って聴いて、「Strings of Life」に衝撃を受けて、高校生の頃にいくつか聴いてた。

──今まで音楽の聴きかたで影響を受けた人はいますか?兄弟とか、友達とか。

草野 まったくいない。気になるジャンルがあったら専門店を調べて行って、こういうの好きなんですけど、って言ってお薦めを聞くみたいなやりかたでどんどん広げていった。自分で面白いもの探そうとして、そこは頑張った。あとは雑誌だね。『ele-king』はやっぱりでかかった。でも自分が音楽を聴くうえでスペシャリストだったことは多分一回もなかったかもしれない。しいて言うならドラムンベースとロックステディはものすごく聴いてたし、とにかく買いまくってたけど。買うレコード買うレコードが、あ、これ絶対魔法かかってる、みたいな感じ。

──何を聴いても全部いいと。そこで開けた感じですか?

草野 うん。自分が求めてるものが本当に全部あったから。その流れでスカも好きになって。で、その頃に初めて自分の主導でロックステディのイベントを南青山でやったの。98年くらい。一応友達と一緒にだけど、まあ無理やり付き合わせたって感じ。レコードも持ってないし、DJは自分の技量じゃまったく満足してもらえないのはわかっていたんで、他の人にお願いして。クラブスカに遊びに行くようになったから、そこでロックステディをいっぱいかけてくれたRAS TAROさんっていう人と、あとはシューティング・スター・クルーっていうDJチームの楠本さんっていう人とか、スカ・フレイムスの長井さん、ロッキング・タイムの今野さん、小粥鉄人さんとか。ライブでは、クラブスカのDJだった花田さんがやってる9milesっていうバンドを呼んだり。

──その辺の人たちと仲良くなってDJをお願いできるようになったんですか?

草野 仲良くなる前だった。もうやりたいと思ったらすぐやってた。クラブスカもめちゃくちゃ行ってて、あそこは勉強になったね。とにかくこういう音があるっていうのを当時はそこでしか聴けなかったから。まだインターネットもそこまで発達してなかったしね。

──じゃあどこかに行って、誰かに聞いて、その場所に行かなきゃもらえない情報を自分で全部摂取してたんですね。

草野 結構人見知りも激しかったし、自意識過剰だったから、人と上手くコミュニケーションを取れない時期が長かったんだけど、イベントやるにあたって折衝の必要が出てきて、度胸をつけて色んな人に話しかけたら受け入れてくれたんで、それもいいトレーニングになった。

──いろんな所に電話をかけたのもきっと役に立ってますね(笑)。

草野 行動力は異常だったね。それしかなかったからさ。当時、仮にインターネットがあったとしたら、そこまで行動的になれたかは疑問かな。2ちゃんねるに書き込んでるタイプだったかもしれない(笑)。さっき話した花田さんが今もやってる9milesをライブで呼んで、それがきっかけで、花田さんと奥様でボーカルのYASUCOさんと一生の友達になれたのも嬉しかった。

──草野さんの音楽人生の中で重要な3枚を挙げるとしたら何になります?

草野 まずフィッシュマンズの『空中キャンプ』。言い忘れてたけどフィッシュマンズにも狂ってた時期があった。95年末に「ナイトクルージング」って曲のTVコマーシャルを偶然見たの。それまで全然知らなかったのに。で、やばい、すごい曲だ!って。だって明らかに頭おかしいじゃん、あの曲。これは聴かなきゃ、と思って発売と同時に『空中キャンプ』を聴いたら、まあ激ハマりして。

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空中キャンプ/Fishmans

──フィッシュマンズは何が好きでした?

草野 やっぱり歌詞。あとサウンドも。むちゃくちゃかっこいいなと思って。佐藤君が死んじゃった時は本当にショックだった。でもほんとに好きだったのは『空中キャンプ』と『Long Season』で、そのあとの『宇宙 日本 世田谷』はとにかく暗くて冷たくて、そこまで好きじゃなくなったんだけど。『空中キャンプ』はいちばんだね。あと不思議だったのが、なんでこんな音楽になるのか、なんでこんな歌詞になるのかって。歌詞の意味を理解しようと思ってずっと考えたり。だから余計に好きになった。

──佐藤伸治に対して人として興味があるって言ってましたよね。

草野 うん。それはなんでかって言ったら、歌詞を理解するにはその人のことを理解しないとわからないんじゃないかって思って、いろいろ読んだり調べたりしてた。でも結局わかんなかったけどね。それはやっぱ無理だなって思った。

──でもわかっちゃうと冷めるんじゃないかな。魔法が解けるというか。わからないから惹かれることってありますよね。

草野 そうかもね。そういう意味ではわからなくてよかったのかもしれない。フィッシュマンズの今の活動にはまったく興味ないし、聴いてないけどね。

──青木さんがいなくなったスカパラに欣ちゃんが入ったときは素晴らしいと思いましたね。ちゃんと売れたし。

草野 ドラマチックだったよねー。欣ちゃんには幸せになって欲しいし、今スカパラでやってることは欣ちゃんに合ってると思うけど。スカパラはさ、音楽でちゃんと食っていくとか、スタッフを養うことに意識的なバンドだから、そこがいいなあと思う。

──『空中キャンプ』は何回ぐらい聴きました?

草野 1000回まではいかないけど、人生でいちばん聴いたアルバムだね。でもあとの2枚はすごく悩んだ。ドラムンベースは入んない。アルバムでいいのってあんまりないからね。ほとんど12インチだったし。

──えっ!入んないんだ?

草野 うん。で、これ。フィリス・ディロンっていうジャマイカの歌手で、ロックステディの名曲をいっぱい出してた人の唯一のアルバム。これはリイシューでいい曲が追加されてて、よく聴いたね。リリースは70年代なんだけど、60年代に出してた曲をいっぱい集めてて、あと新録で何曲か入ってる。

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One Life To Live/Phyllis Dillon

──これは草野さんにとってどういうアルバムですか?

草野 『空中キャンプ』を好きなのとおんなじ理由で、とにかくゆったりしたリズムで、綺麗なメロディーが鳴ってる。でもこれは好きな人に聞いたら定番中の定番で、まったく珍しくもなんともない、誰もが知ってるやつ。あともう1枚はアルトン・エリスっていうむちゃくちゃ有名な歌手のベスト盤で〈トレジャー・アイル〉っていうレーベルから出してるロックステディとかスカが入ってるやつ。これは声がよかった。すごく太くて、ソウルフルで。ロックステディがよかったのは、あんまりウェットにならない。悲しい歌を歌っててもカラッとしてたりとか、そういう感性がすごく好きだった。〈トレジャー・アイル〉っていうレーベルは、スカ、ロックステディ、レゲエ、っていう順番に進化していくんだけど、その3つの時代で重要な曲をいっぱい出してて、そのレーベルに夢中になってた。

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Greatest Hits: Mr Soul Of Jamaica
/Alton Ellis


──じゃあ基本はロックステディなんですね。

草野 最近はよくテクノの話をしてるけど、20年以上はずっとスカとロックステディとレゲエだったから。テクノの話が多いのは、自分で打ち込みをはじめたのがでかい。

──曲作りは何がきっかけではじめたんですか?

草野 いろいろあって暇だった時に、Abeletonの「Live」っていうソフトがウェブ上で打ち込み体験ができるサービスをやってたのを見て。それまでとにかく音痴で、音階も何もわかんないしリズム感もなくて、作ってみたくても無理だと思ってたんだけど、試しにちょこちょこやってみたら、あ、これ結構かたちになる、って気づいて、体験版をやってみたら曲が作れてた。音楽って魔法で作られるって本気で思ってたから「魔法じゃないじゃん!騙されてた!」って。

──(笑)。じゃあ40過ぎてはじめての曲作り……?

草野 そう。44歳にしての。そうなってくると、昔は作りたいと思ってたけど諦めてたあの感じやりたい!って思って、ブラック・ドッグを買いなおしたり、プラッドやヨコタ・ススムやルーク・ヴァイバートもそうだし。

──いちど手放したものをまた買いなおしてるんですね。いつも聴かせてもらって思うんですけど、面白そうに作ってるなあと思って。

草野 大久保さんもやると思うよ。

──そう、前回インタビューした大八木さんにこの企画の前後に自分の考えを説明していたら、そういう風に客観的に見ている人が作った曲を聴いてみたいと言われたんですよ。そこで急に、もしかして私も曲とか作れるのかな⁉︎と思っちゃって。

草野 (小声で)作れるんだよ……!作った方がいいよ。すぐやろう。ほら、トゥー・ローン・スウォーズメンのなんだっけ……あの曲さ、好きでしょ?ああいうの簡単に作れるよ。

── 「Rico's Helly」ですか?えっ、簡単に⁉でもそれ簡単に作れたら今まで聴いてたものに対してがっかりすることはないですか?

草野 簡単にできるけど、好きだった曲とは雲泥の差があるんだよね。似たように作ることはできるけど、やっぱり何かがやっぱり違う。そこがまた面白い。

──そうか。差がわかるんですね。でも夢がありますね。だって若い人だけじゃなくて、何歳になってもできるかもしれない可能性があるなんて。

草野 だから気づいたこととして、できないと思ってたことが暗示だったわけじゃん。やれば何でもできるんだよ、多分。あと、いつかやれればいいなと思うことはすぐやらないとすげえ損だなと思って。

──いやあ、ほんとそうだわ。そう思うんだけど……時間が足りない!(笑)。

草野 そうだよね。家事もあるしね。だからこのインタビューはボツにしていいからね。

──なんでですか(笑)。話を戻しますけど、アルバム3枚はそれで、好きなアーティスト3組だったら誰になりますか?

草野 うーん。考えたんだけど、電気グルーヴとフィッシュマンズと、あとヨコタ・ススム。ヨコタさんはすんげえ好きだった。ずっと追っかけてたわけじゃなくて『Metronome Melody』がとにかく好きで。あと『1998』と……。

──ああ、私はもうね、『1998』がいちばん好き!

草野 ……って思うじゃん?でもこの『Cat Mouse&Me』がめっちゃいいんだよ。ハートハウスが一回潰れて、そのあとに出したやつ。ダウン・ビート。ドリーミーなトリップホップというか、ヨコタさんらしい感じの。

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Metronome Melody/Prism
Cat Mouse&Me/Yokota
1998/Susumu Yokota

──これ知らないなあ。私は『SAKURA』も好きだけど『1998』がとにかく好きで。ダンス・ミュージックじゃないですか。『1999』も好きだけどちょっとポップですよね。

草野 あと『ZERO』も好き。ちょうどいいんだよね、塩梅が。今この辺の中古がまた値段が付きはじめてるよ。あとこれも異常な行動力なんだけど、この前ヨコタさんのことを調べていくうちにDJ MIKUさんのインタビューに辿りついて、アルバムを聴いてみたらよかったからフェイスブックで「すごくよかったです」って書いたら「ありがとう」って返信が来て、「MIKUさんのレーベルから出してたヨコタさんのアルバムも好きでした」って少しやり取りをした。

──ヨコタさんは名義も多いし、多作ですよね。

草野 海老とかRINGOも決定的だったね。ヨコタさんの曲はすごくリズムが細かいんだよね。でもあざとい細かさではなくて、本当に必要なところだけ細かくしてる感じが上手い。あとテクノって結構さ、子供っぽかったじゃん、ノリが。そういうのと離れた雰囲気の独特な感じだったのも好きだった。

──じゃあ最近よく聴いてる音楽は?

草野 そのヨコタさんと、カール・クレイグが初期のサイケ名義で出してたのと、あとルーク・ヴァイバートと、これは昨日からだけどマイク・パラディナス。

──昨日からμ-Ziqを(笑)。また昔のテクノに戻ってますね。それは前に聴いてたものを改めて聴いてるってことですか?

草野 それもあるし、同時にドラムン・ベースに夢中になってた頃に出ててチェックしてなかったものを聴いてる。〈ピース・フロッグ〉が出してたジョン・ベルトランの『Ten Days of Blue』とか、ルーク・スレーターのセブンス・プレインの『The 4 Cornered Room』とかのアンビエントも。ルーク・スレーターってさ、石立鉄男に顔が似てない?(笑)。

──いや、ルークはね、歳を取ってもいまだにかっこいいんですよ!最近スティーヴ・ビックネルとデイヴィッド・サムナーっていう人とユニットを組んでて、それが3人の頭文字を取った「LSD」っていうひどい名前なんですけど(笑)、その動画を見たらルークは渋くてめちゃくちゃかっこいいの。見た目が。

草野 へえー。セブンス・プレインはいいよ。アンビエントだし、IDMだね。大体このあたりのことは河村祐介くんに教わってる。このアルバムいいよーって。

──河村さんね。仲良しですね(笑)。

草野 河村くんはレゲエとかダブも詳しいしね。あと最近の聴きかたではサブスクがやっぱり大きかったね。試聴して、CDで買う。ばんばん買ってる。引くぐらい買ってる。いや、引くぐらいではないかな(笑)。軽く引いたのは、MOUSOU PAGERのshowgunさんっているでしょ?あの人は月にCD150枚、7インチ100枚くらい買うんだって!業が深いよね(笑)。

──えー!そんなに買うものがあるんですかね。買わずにいられないのかな。

草野 でもどこかで俺たちもそのスイッチが入っちゃうかもしれないから、気をつけないと。今もうどっちかっていうとだいぶ近づいてるかもしれないし。男だけかな?例えばルーク・ヴァイバートのアルバムを1枚買ったら、全部揃えなきゃっていう使命感が出ちゃうの。

──そうなんだ。私は揃えなきゃっていうのはないかな。欲しいから買うだけで。草野さんはコレクターっぽいところはあるんですか?全部揃えて並べたいとか。

草野 並べたいというか……多分ね、道筋が見たいんだと思う。どうしてこうなったのかっていう。だから全部買う必要はなくて、重要なアルバムを押さえてわかればいい。

──流れを見て自分で理解できればいいってことですか?コンプリートしたいわけじゃないと。

草野 うん。あとコンプリートしたいと思ってても、途中で飽きるのがわかってるから。ルーク・ヴァイバートはすでにちょっと飽きてるもん(笑)。

──リアルタイムで年代を追ってなら聴けるけど、それこそ昔からいる人なんて、あとからいっぺんに聴くのだとなかなか量も多いし。

草野 アルバムだけじゃないしね。

──今はレコードは全然持ってないんですか?

草野 ない。ターンテーブルがないから。結局いちばん重要なのってスペースじゃん?

──うちは数年前までターンテーブルが3台あったんですよ。

草野 え、なんで?ジェフ・ミルズの影響⁉家でエキシビジョンやってたの?

──やってないですけど(笑)。今は2台に減らして。レコードは意外と長持ちするけど、CDは久しぶりに開けたら割れてるのもあったので。CDは中古で安くて日本盤で解説がついてたら絶対買う。

草野 わかる!だからソニーテクノのやつは買う。むしろ解説に金を払ってんじゃないかってところもある。当時のことを知りたいし。無理して書いてんなあ、とかあるもんね。大体が野田努、三田格、杉田元一の解説かな。三田さんの文章はやっぱり面白い。文章だけでも読む価値ある。あれ、まとめてくれないかな、何かで。

──パーティーのことも聞きたいです。昔やってたパーティーとか、これからやりたいこととか。

草野 最初は新宿のOTOで、大学のときにエアバスっていうアシッドジャズのバンドをやってた先輩がいて、その人たちと色々持ち寄ってやってたのがはじまり。そのあとは南青山にVALっていう、『REMIX』の小泉さんとか、春日さんがたまにDJしてた小箱でやったり。そこからロックステディのほうに行って。で、そのときはロックステディのレコードを3~4枚しか持ってなかったんだけど(笑)、でもやりたいって言ってオージャス・ラウンジで「RAM JAM」ってロックステディーがメインのパーティをはじめた。出てくれた人がクラブスカ、スカ・フレイムス界隈の人だったし、ロッキン・タイムっていう日本のロックステディのバンドがちょうど売り出しのときだったから、人がすごく入ってくれてた。

──うわあ、じゃあもう大盛況だ。

草野 うん。でもだんだん入らなくなったけどね。あ、でもその前にオージャス・ラウンジでフィッシュマンズ・ナイトもやってた。フィッシュマンズの曲と、フィッシュマンズと似たような曲をかけるだけ。まあでもDJとしては全然ダメだったけどね。2~3回で終わったし。 それで気づいたのが、フィッシュマンズのファンが全員そうだとは限らないけど、フィッシュマンズの曲が大音量で聴きたいだけで、別に他の音楽は聴かない(笑)。

──それは意外。いろんな音楽を聴いたうえでフィッシュマンズが好きっていうイメージなんですけど。

草野 フィッシュマンズ・ナイトに来る人は結構みんなコアなファンだったからね。そのあとで新宿のオープンっていう老舗のレゲエクラブでイベントをやるようになって、UKのニュー・ルーツのジャー・シャカとかアバ・シャンティみたいなサウンドシステムのチームにゲストDJとして無理矢理スカとかロックステディのDJの人、LONDON NITE 、CLUB SKAのYOSSYさんとか、IHARAさんなんかをブッキングしてた。そこは人気もあったし、人も入ってたね。それが2007年か2008年までかな。それからはジャズを聴くようになって、ジャズからジャズサンバにいって、ブラジルの音楽が好きになった。ジャズサンバはブラジルの人がやってるジャズで、すっごい速い。速くて綺麗なの全部好き(笑)。で、ボサノバとかも聴いたり。

──いろいろ聴いてるんですね。わりと節操ないというか。興味があったらのめり込んでひと通り聴いて、はい次、みたいな?

草野 そういう感じ。そのあとサバービアとか昔の映画のサントラも聴いたし。その頃はブームなんて完全に終わってたから買いやすかった。あとソウルも。そんな感じでしばらくパーティーはなんにもやってなかったんだけど、あるときAmazonを見てたら、好きだったスカのCDが新品で600円ぐらいで売られてたから買って聴いて、他にも好きだった安いやつを買うようになって、聴いていくうちに誰かに聴かせたくなったところで、偶然なんだけど中野のジェット・バーっていう店の当時の店長だった人がツイッターで「うちでスカのイベントをやりませんか?」って言ってくれて。で、一緒にイベントをはじめたんだけどいろいろあって、俺が新宿のオープンにツテがあるからって場所を変えたの。

──じゃあ結構いろいろとやってるんですね。パーティーを企画するのが好きなんですか?

草野 好きだね。詳しくなくてもいいから大人が来てくれて、気持ちいい音楽かかってるじゃん、って言ってお酒を飲んで楽しく過ごすのを見るのが好き。DJすることにはたいして興味ない(笑)。

──なるほど。そういう人が曲を作ってるのもまた面白いですね。

草野 でも曲作りはまたそういうのとは違うかもしれない。癒し(笑)。自分のメンタルのためにやってる。頭を空っぽにしてできるものっていうか。

──没頭できるものですね。

草野 今やってるイベントでいちばん嬉しかったのが、全然レゲエとかわかってなさそうなサラリーマンの集団がやってきたことがあって、結構酔っぱらってたんだけど、クラッシュかマッドネスの曲をかけたら盛り上がって、モッシュじゃないけどガンガン踊ってたのを見たとき。これが見たかったんだなーって思ったね。

──わー。いいですね。またイエローの話になっちゃうんですけど、イエローの平日のパーティーで、よくスーツ着たサラリーマン風の人がふらっと来て踊ってたじゃないですか。あれがすごくいいなと思って。仕事帰りに疲れた体でちょっと寄って、よく知らないDJで踊って飲んで、ああ楽しかったな、って帰って次の日また働く、みたいなの。

草野 そうそう!だってさ、鳥貴族に行って愚痴こぼしてべろべろになって帰るんだったらさ、クラブに行ってお酒飲んでいい音楽を聴くっていうリフレッシュの仕方もあっていいよね。

──踊らなくてもいいし、カウンターで飲んで聴こえてくる音楽を聴くだけでもいいし、踊りたくなったら踊ればいいし。日常の延長にあって、出入り自由っていうか。

草野 そうだね。選択肢は増やしたいし、やりたいことはそれと一緒だと思ってる。普通の人が無理しないで遊んで気持ちよくなって帰れるパーティー。だからチャージも取らないしね。

──でも今はこんな状況だからなかなかできないですもんね。やってほしいな。

草野 テクノナイトは絶対今年やりたい。テクノに付随するものなら何でもいい。トリップホップでもアシッドジャズでも。そこはレゲエのハコだけど、まあ別にね、今はそういう時代でもないし。オープンはいいハコだよ。

──それは楽しみですね。あ、そうそう、これを聞いておきたいんですけど、10年くらい前にお店が火事にあったと言ってたじゃないですか。

草野 うん。店を開けてたら昼の3時頃にバコーンって音がして、なんだ?爆発した?って外に出たら、煙がぶわーって上がってて「火事だー!」って。あとで見たら真ん中に穴が開いて、床が焼け落ちてて。

──ええー!怖い。

草野 斜めうしろのラーメン屋の排気用のダクトが熱を持ちすぎちゃって、モルタルに火が移っちゃったみたいで。で、服もだけど店に自分の個人的なレコードをたくさん置いてたから、全部ダメになっちゃった。12~3年前かな。そこから物に執着しなくなった。いつかなくなっちゃうと思って。

──それって損害賠償みたいなものは?

草野 火事って損害賠償とかないんだよ。火災保険に入ってたからまだ良かったけどね。それでまいったなあって、火災保険が下りた段階でロンドンに買い付けに行って。で、倉庫で使ってたのを変えたのが今の店なの。こんなことあるんだ、って思ったけどね。

──そうだったんだ。いやあ、一瞬でなくなる経験をしたら悲しいですね……。でもその前は執着はありました?

草野 うーん……。よりなくなった。なんだかんだ言っても結局ルーツのレコードはわりと持ってたから。あと服がいちばん痛かったな。いいやついっぱい置いてたし。残ってたのも煙を吸っちゃってて、臭くて使えない。だから火災保険だけは入っておけ、と言いたいね(笑)。あと罹災証明書はすぐに取りに行けと。

──草野さんは無事だったんですか?

草野 無事、無事。だってほら、足あるでしょ?(笑)。すぐ逃げた。しかもやばいかなって思ったから、ある程度の服はガーッと抜いて投げて「倉庫に持ってけー!」って(笑)。だからこのインタビューではね、火事の恐ろしさを伝えたい!

──(笑)。じゃいろいろあっての今のお店なんですね。お店で普段はテクノをかけてます?

草野 絶対かけないよ。普段はレゲエとロックステディ。嫌でしょ、古着屋でミルサートがかかってたら。

──それは焦る(笑)。普段の音楽の聴きかたはCDを買ってオーディオで、あとはサブスクですか?

草野 そうね……。あ、でもよくよく考えるとパソコンで聴いてる。買ってリッピングして。あとスマホだね。だっていちばん音楽を聴いてるのって移動中でしょ?

──私はね、移動中は聴かないんですよ。いつもびっくりされるんですけど。なんでかっていうと、没頭して自分だけの世界に入り込んじゃうんです。昔はウォークマンで聴いてたんですけど、しょっちゅう降りる所を間違えて目的地に時間どおりに辿り着けない(笑)。

草野 それさー、本当に好きなんだね、音楽が。でも俺もそういう時期があったんだと思うけど、歳を取ってそのマジックが消えちゃったんだよ。それを維持できてるんじゃない?音楽を聴くのっていろんな聴きかたの種類があると思うんだけど、大久保さんみたいな人が多分いちばん集中して聴いてるんだと思うよ。俺は流してるだけっていうか、そういうタイプなんだよね。

──でもちゃんと聴いて覚えてますよね?

草野 んー、あんまり覚えてない。しかも最近なんて自分の作った曲ばっかり聴いてるし(笑)。どうかしてるよ、ホントに。あ、ごめん、今まででいちばん聴いたの、『空中キャンプ』じゃなくて自分の曲!(笑)

──フィッシュマンズを超えちゃった(笑)。


2021年3月某日
撮影協力 武蔵境ond

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