意味よりも大事なもの

少し前にETVで放送された『ぼくは しんだ じぶんで しんだ 谷川俊太郎と死の絵本』という番組を観た。子供の自死という重たいテーマをもとに試行錯誤を重ねながら作られた絵本『ぼく』が今年1月に発売されるまでの制作過程を追った、丁寧なドキュメンタリー映像だった。

番組の最後に印象的な場面があった。「読者に伝えたいメッセージは?」と質問されると、絵本の作者である谷川氏は「ないですね。ひとりひとり全然違う環境にいて全然違う人間関係を持っている子供たちに一般的なメッセージは言えないと思いますね。今は意味偏重の時代なんですよ。誰でも何にでも意味を探したがる。意味を見つけたら満足しちゃう、みたいなね。」と答え、そしてこう続けた。

「意味よりも大事なものは何か存在するってこと。存在というものを意味を介さないで感じとるということ。意味づけないでじっと見つめる。」

その言葉を聞いて、4年前に東京オペラシティのアートギャラリーで行われた谷川俊太郎展のことを思い出した。期間中、私は展覧会を2度観に行った。1回目を観賞してから、しばらく経った3月にもういちど足を運んでみた。ちょうどその頃『デザインあ 2』のCDの発売に際するレビューの依頼があり、テレビ番組のサウンドトラックという特殊な作品だったせいか煮詰まってなかなか思うように書けずにいたので、気分転換のつもりでオペラシティに向かった。展覧会の入り口には谷川氏の詩を使ったインスタレーションがあり、小山田圭吾と中村勇吾が、つまり『デザインあ』のコンビが手掛けていたことも再訪の理由だった。言葉と音と映像が行き交う空間に佇んだまましばらく黙って詩を眺めていると、思考が一旦リセットされたのか、帰り道に急に視界がひらけるような感覚でするすると言葉が出てきたのを覚えている。暖かい春の日だった。



存在というものを意味を介さないで感じとるということ。それは芸術を楽しむうえでの大事なルールであり、人の感性を育むためのヒントにもなる。谷川俊太郎は言葉を使い、小山田圭吾は音で、中村勇吾は映像を使って、大人にも子供にも伝わるような、受け手を刺激する作品を創る貴重な作家という点で同じだ。時間をかけて創られたその作品は、心を自由にし、目の前に広がる世界と自分を少しだけ近づけてくれる力を持っている。

谷川俊太郎展で詩集を購入した際
レシートに記されたメッセージ



昨年7月に突然休止をしたままの『デザインあ』が、4月からのEテレの番組改編のタイミングで再開されなかったのは残念だった。うちの子供たちはもうEテレを楽しむような小さな子供ではないけれど、忙しく過ごしながら一緒に成長していった生活のなかに『デザインあ』を毎日観ていた時間は確実に刻まれていて、見えないところに必ず影響を与えている。それに土曜の朝の15分版は、休日で遅起きの子供たちにテレビを占領される前の私の密かな楽しみでもあった。自分にとって小山田圭吾が特別だったのは『デザインあ』の存在が大きかったのかもしれないと改めて思う。


時が解決することもあれば、時が経つほど戻れなくなることもある。『デザインあ』はどちらだろう。10年も続き、全国各地で展覧会を行うほど好評を博していた人気番組だからこそ、簡単にクリアできない難しい問題があるとは思うけれど、大人も子供もともに楽しめる番組としてまた正式に再開できることを願う。そしていつか視聴者にきちんと見守られながら幸せな終わりを迎えられる番組として、世の中に存在していてほしい。


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