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イエスタデイ・ワンス・モア

何年か前、もしかすると10年以上は経ったのかもしれない。とっくに再生機器を手放しているにもかかわらず聴けないままで部屋の隅に置きっぱなしになっていた両親の古いレコードやCDを実家で見つけて、数枚だけわたしが引き取って家に持ち帰った。アバやカーペンターズ、サイモン&ガーファンクルなど。しばらく眠っていたそれらのレコードを昨夜久しぶりに引っ張り出して聴いてみた。クレジットに1970〜80年代と記されたレコードは中古レコード屋に置いてある大昔の作品と同じようにジャケットが色褪せていて、うっすらとカビの臭いがあり、針を落とすとノイズが混じった音がした。

その古いレコードはわたしが小学生の頃、休みの日に居間で親がよく流していたものだった。洋楽という概念がまだ理解できなかった年頃に初めて接したポピュラーミュージックだったかもしれない、と今になって気づく。好きかどうかを判断する以前からすでにもう知っていて、生活の一部としてただそこに存在していた。どれも有名な曲ばかりだったので大人になってからいろんな場所で耳にする機会はあったけれど、わたし自身が何か特別な思いを抱くようなことはなかった。それなのにしばらく聴いていなかった懐かしいレコードを改めて再生しながら曲順通りにゆっくり耳をすませていると、音楽が昔の時間や空気を一瞬で蘇らせ、家で流れていた当時の情景が脳裏に浮かんだ。部屋のカーペットの模様やテーブルの形、窓から差し込む日差しやカーテンの色。ハタキの柄の部分をマイク代わりに持って歌う母の姿。狭い部屋に鎮座したガラス扉のオーディオラックと、目の高さほどの場所に置かれたレコードプレイヤー。スタートボタンを押すと目的地まで動いてゆっくり落ちていく針、回り続けるレコードの側面。コンクリートブロックの上に乗せられた、馬鹿みたいに大きなスピーカーから流れる音。

そうだ、あのスピーカーは確か父が仕事の帰りに中古オーディオ店で買ってきたものだった。安くていいものを見つけた、と半ば興奮気味に持ち帰ってきて、あまりに急な出来事に家族全員が呆れた。でもわたしはその突拍子のなさが少し嬉しかった。ドブ板通りにあった中古オーディオ機器の店にはわたしも何度かついて行った。棚にびっしりと並べられた音響機器を見上げながら、店主の目の届かない場所でアンプのツマミをこっそりいじったりしたものだ。そうやって4人姉弟のなかでわたしだけが日曜日の午前中に出かける父に時々ついて行き、仕事用の車の助手席に座って一緒にドライブをした。あるとき「ちょっとここで待ってて。」と言い残して父が少しだけ車から離れたことがあった。カーステレオから流れるAMラジオを聴きながらおとなしく待っていると、ちょうどその頃テレビで放送されていたクリネックスのCMについて巷では呪われているとの噂があるらしいという話題になり、CMで使われているアカペラの曲 " It's a Fine Day " が流れてきたので車中ひとりで震えあがったものだ(ちなみにこの時の"It's a Fine Day " がCherry Redからリリースされた曲だったことをのちに知り、十数年後にOpus IIIにカバーされたヴァージョンを聴いてまた驚いたりもした)。
それから日曜朝のドライブの途中で食べるセブンイレブンのシーチキンマヨネーズのおにぎりがたまらなく美味しかったことや、以前にも書いたことのある初めてレコードを買ってもらった時のこと、酔っぱらうと押し入れからおもむろに8ミリの映写機を取り出して子供たちが幼かった頃の映像を流していたこと、クリスマスには仕事で出入りしていた米軍基地内の店でアイスケーキを買って来てくれたことなど、子供の頃に父と過ごしたいくつかの忘れていた場面が、レコードを聴いているあいだに次々と浮かんできた。


夏から続いた数ヶ月の闘病生活で見せた弱々しい父の姿ばかりが生前の最後の印象として残ったままで、葬式用にアルバムから見繕った写真は孫と一緒に撮った近年のものか、もしくは私たちが生まれた頃のものしか手元になかったけれど、写真には残らないわたしがよく知っている昔の父の様々な思い出を、聴き慣れた音楽が静かに補ってくれた。その記憶はいったいどこに眠っていたのだろう。思い出したのはわたしで、覚えていたのは多分その古いレコードだった。





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